東京大学史料編纂所研究紀要第23号(2013年)に原慶三氏の論考 益田氏系図の研究―中世前期益田氏の実像を求めて― が掲載されている。
これは石見国最大の勢力を誇ったという中世期前期の益田氏系図について論じられている。三隅・福屋・周布氏などを分出した総領家であり、「兼」の字を通字としている。
肥後細川藩家臣・益田才右衛門家の2・3代目に兼典・兼武と名乗る人がある。
ひょっとすると上記論考につながるお宅かもしれない。今後の研究課題としたい。
■ 益田才右衛門 (南東37-12)
1、半右衛門
2、才右衛門・兼典(養子 実・北里二郎左衛門二男)
3、丈右衛門・兼武 二百石 御小姓組五番御使番御鉄炮頭
4、才右衛門 御小姓組・下津・組脇 二百石
5、八郎 御番方・松下清蔵組 二百石
6、幾太(丈右衛門)
7、官太郎(才右衛門) 二百石