御掃除方
一、御掃除方道方一局ニて 寛永御入国之比は立田口辺小頭屋敷ニて御用相勤候由、其後上林ニ会所出来 宝暦五年御作事所之内ニ会所有之 同六年御奉行所触之平士御掃除頭并
附属之段々と記ニより増減も御座候事
一、宝暦五年迄ハ御番方ゟ御掃除頭相勤申候事
寺社方
一、寺数八百九拾五ヶ寺 寺ハ一代/\之住僧之位階之高下ニよらず寺格ニよって御取扱被仰付候事
一、寺院之座配ハ宗旨之古きを以上座と仕候 其次第天台・真言・禅・浄土・時宗・法華・真宗西派東派・西願寺と順席仕候事
一、山伏百一院御座候事
一、寺院之法 寛文五年従公儀被仰出候事
一、自社取扱之格 元禄年中 及寛政三年公辺之趣御間合ニ相成 記録有之候事
一、宝暦年中旧例等之趣を以格式を立 祠院式稿・寺社雑式等之記録出来仕候事
一、寺社之間数 寛文八年公儀御定御座候事
一、元文四年 御国中寺社間数改被仰付候事
一、宝暦六年 寛政二年右同断
一、寺社幷山伏之本末元禄十五年御改有之 正徳五年全備之記録有之候事
一、真宗庵持坊主 代々居住 一代居住ニ付て御法有之候事
一、虚無僧之事ニ付 宝暦六年御沙汰之趣有之候事
一、陰陽道之儀ニ付 寛政三年公辺御触有之候事
一、盲人地神経を続 琵琶錫杖を以諸祈祷いたし候を盲僧と唱 青蓮院宮様御支配ニて 久我様御管領之座頭とハ別段之由 天明三年青蓮院宮様御役人申立候処 同八年九月従公儀御
差図ニより元々之通座頭と差別無之 検校支配ニ立戻候 座頭ハ寺社方ニハ附属不仕 座元ハ御奉行所古役之根取支配仕候 右之一巻ハ天明年中寺社方根取佐藤庄九郎 青蓮院
宮様御役人ニ応対等を始 御奉行所当用方ニ扣有之候
一、座頭之掟宝暦五年十二月御奉行所より相渡置候事 座頭共自分法度ハ元禄十一年二月池永検校ゟ申渡候趣有之候事
但 安永四年黒河検校ゟ杉谷勾当江渡候書付も有之候事 座頭之上衣と申候ハ検校中老と申候ハ勾当之事也
一、御国中惣社数六百四拾一社
一、阿蘇大宮司ハ着座之取扱 家督之節於佐野御間被仰渡 尤御間取出座之所等御家中とハ違申候 同道ハ寺社方御奉行ニて御座候
一、右同人官位昇進 往古鷹司家之御執奏之処 中興吉田家之執奏ニて有之候処 安永年中思召之旨ニて鷹司家之御執奏ニ旧復いたし 寛政十一年ゟ阿蘇摂社末社之社人裁許ハ凡
て大宮司ゟ相渡候事
一、社方之儀 寛文五年従公儀被仰出候趣有之候事
一、右寺社共前廉ハ寺社奉行支配ニて 座席江戸御留守居之次座ニて御座候 御用向ハ於自宅取計来申候 附属は町横目十人組当時之廻役有之候処 宝暦二年被差止 寺社方町方分職
之御奉行ゟ致裁判居候処 天明七年寺社方町方専職ニて於塩屋町堀端寺社町奉行所ニ被建 御奉行所ニ有之候寺社方町方一局右之所ニ相詰御用取計候処 寛政元年寺社町御奉
行御再興被仰付 座席御奉行副役之次座ニて独職被仰付 附属は元之儘ニて被閣候処 同二年寺社町御奉行所被差止 宝暦二年以来之通ニ相成候事
一、寺社之裁許ハ尤旧法を用候事
一、寺社共ニ無縁多候故 富講を以取計候 尤勧化見世物芝居奉加配札等ニて相続仕せ候事
一、寺社之衣服ハ其身ハ御制外 尤有宮之社人之家属ハ士席之家族(属)ニ准し 無官之社人之家属は独礼以下之家族ニ准し申候 将又真宗坊主之家族ハ是又一寺之住職之従類ハ
士席之家族ニ准し 其外弟子同宿等之家族ハ独礼以下ニ准し候事
一、諸達等寺社御奉行と仕出候 尤四(五)ヶ所町ハ其之所之町御奉行 在ハ御郡代ゟ触達仕候 尤熊本ハ町小路共ニ寺社御奉行所 且御府外も寺社柄ニより寺社御奉行所ゟ達候ヶ所
も有之候事
一、富講之儀初発ハ元文二年八月平塚藤左衛門と申浪人親 綱利公御懇意被仰付候者ニて 藤左衛門儀新庄及零落 家屋敷道具を富入札を以売払申度願ニよって 横手手永蓮台寺於
境内興業仕候 勿論当時之仕法立とハ違申候由 同三年在中之為不宜段御郡代より達ニよつて被差止候
但 右富講之僉議ハ藤左衛門御取救計にてハ無之 其比御差支付て阿蘇宮を始其外共ニ殊之外及破損 神躰仏像も雨露ニ晒し申様子ニて 如何敷儀ニ御座候間 責て
右之通之筋を以なりとも御修復有之度との儀ニ相見候事
一、寛延二年久本寺堂宇大破ニ付富興行願出候処 先年御奉行ゟ達之趣有之被差止置候間 内々ニて猶存寄之儀聞繕ニ相成候処 御隣国ニも段々興行有之趣相聞候ニ付 再往何角
可申上様無之由之返答ニては長六下河原ニて興行仕候 仕法ハ相分不申候
一、当時迄連綿仕居候富之起りハ 宝暦三年二月藤崎社永代為修復料一ヶ年五度宛興行被仰付 受込之役々を立 御勝手方御横目ニは堀平太左衛門勝名より書付を渡 其余ニハ御奉
行ゟ書付等相渡 薬師坂下勢屯ニて興行有之 其後明和七年藤崎年行司ゟ依願富場御社内ニ相成候事
一、宝暦三年ゟ同十四年迄は御物頭両人・足軽十五人・御目附一人被差出来候処 被指止候て其後は御目附付御横目并町方御横目被指出候事
一、右富初発ゟ櫨方引受ニ被仰付置候処 天明七年より櫨方引受被差止 町家之者江富元被仰付 藤崎を始富講御免之寺社ハ富元之町家ニ相対ニ申談候
一、寛政五年町家之者達ニよつて富余銭を以町家飢餓之備ニ被仰付候事
一、富講之讃談は寺社町方ニて仕候事