一、御花畑江前以下地懸合ニ相成御出被遊候 御熨斗迄被差出一寸御對面被遊候由ニ而無程御立被遊候
一、出町口荒木和三郎宅江御小休被遊候 此所ニ而朝鮮飴差出置候ニ付直ニ御持せニ相成候 御供中江も不残平香物ニ而湯漬差出候得共何れも相断併三四膳は手ヲ掛御六尺江も
差出候由 迎町出町御小休ニ而被下之儀者宇土御用人中江申遣候 右御挨拶宇土より取計
一、三まけ御小休 宮ノ内御野立
一、植木御茶屋江七ツ半時過御着座被遊候
一、御家老衆拙者 御前江罷出恐悦申上候 御供中席々より之恐悦拙者相束御家老衆迄申上候也
一、宇土御家老中御用人中ゟ以飛札伺御機嫌申来則申上ニ相成返事書入ニ而相済候 右飛脚明朝御発駕奉見上罷帰候筈也
一、御茶屋番より御肴鰡(ぼら)二ツ 玉子一籠 山芋差上候ニ付金五百疋被下候
一行は迎町から長六橋を渡って御城下へ入り、あの阿部一族の屋敷(現RKK社屋)前から御城を望む一本道を花畑邸へ歩を進めた。
この時期熊本藩主・細川齊護は幸いにも在国しており、立政は挨拶のために花畑邸に立ち寄っている。
その後どこを通ったのか・・・下馬橋から南坂(現・行幸坂)を登り、南門から城内に入って北門から出て京町口へ出たのではなかろうか。
出町口の荒木氏は高名な商家である。朝鮮飴が出されたというのも面白い。六尺(陸尺)とは御駕衆のことである。
三まけとあるのは「御馬下の御茶屋」のことである。徳川家茂に嫁した薩摩の篤姫も江戸に上る途中ここで休んでいる。
現在も往時の姿をとどめる貴重な建物である。
植木御茶屋は植木町味取にあったとされる。七ツ半(午後五時)に到着して一泊である。
残念ながら私はその詳細を知らないが今後の課題としたい。