津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■師走気分

2014-12-24 18:44:41 | 徒然

 ここ数日朝の散歩以外に外出しないでいると、ジングルベルも聞こえてこないし、町の喧騒など味わうこともなく師走気分も現実的ではなかった。
さすがに今日あたりになると、奥方がバタバタしている。私も遅まきながら年賀状の準備など始めると、流石にあと数日でこの年も終わりであることを実感している。わが干支・午年もおわり、後期高齢者などという嫌な言葉まではあと一年の余裕があるが、来年1月半ばに誕生日を迎え又齢を重ねることになる。
ああしたい、こうしたいが為されぬまま、ただただ反省の師走である。 

                                 義理を欠いて又ひととせや 師走かな 津々
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■立政公御参勤 道中日記をたどる 2 (川尻界隈)

2014-12-24 12:26:50 | 歴史

                                     

                                       https://www.jstage.jst.go.jp/article/aija/77/680/77_2445/_pdf 

                                        泰寶丸

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■立政公御参勤 道中日記をたどる 1 (大渡川渡船)

2014-12-24 12:13:32 | 歴史

立政公(後・宗家齊護公)は正六ツ半(午前七時)に宇土陣屋を発駕して川尻へ向かう。

一、大渡川無御滞御渡船被遊候 少し間御川待被遊候

ここで大渡川(現・緑川)を渡船しているがしばしの時間を費やしている。宇土からの旧道は現在の緑川橋のあたりで国道三号線に出てくるが、渡船の場所は多分このあたりであろう。この橋を渡りやや行くと、又川尻旧市街に入る旧道がある。現在の川尻6丁目がかっての大渡町(+表示)で、その西側が富合町御船手、船頭衆700人ほどの町があった。対岸が川尻の港で御座船を始め150艘ほどの船が並び、25万俵を納める米蔵や奉行所・御茶屋などがあった。現在でも往時の風情をとどめている。

川尻の町中から川尻神宮の脇を走る旧道は、世安(ヨヤス)のあたりで現在の3号線に出て長六橋へ至っている。
長六橋の手前左側一帯が迎町、当時城下町で屋敷町が手狭になり設けられた町だが、ここで一行は一休みしている。(次回迎町界隈で) 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする