津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■世界遺産へ・三角西港

2015-05-11 17:13:22 | 熊本

 所要があって天草の入り口三角へ出かける。先に発表され世界遺産候補になった「明治日本の産業遺産」の三角西港がある。
各地の候補地も大いににぎわいを見せているようだが、三角西港も何時もならば魚釣りの親子などでにぎわいを見せるのだが、今日は平日とあって賑やかと云うほどでもない。
今日は私も「熊本ンわさもん」となって、しばし散策をしてみる。
最近は「A列車で行こう」のフレーズのJR三角線のニュースも昔ほどではなくなったが、これも又復活することであろう。

天草の崎津の教会も、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」として登録を目指しているが、これらが認定されると「天草雲仙国立公園」も厚みを増してくることだろう。少々気が早い話だが大いに期待したい。

熊本からは1時間少々のドライブコースだが、ただ片道一車線の道路事情が気にかかる。


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■小野某弟とは

2015-05-11 06:44:56 | 歴史

 先にご紹介した、重賢公に堀平太左衛門を推挙した側用人・竹原勘十郎玄路は養子で、実は小野某弟と紹介されている。
元文五年の事とされるから勘十郎二十歳前後の時と思われる。婿養子であろうか。
さてこの小野某とは誰の事だろうか。小野氏といえば綿考輯録の編纂に当った、小野武次郎がすぐに思い出される。
側用人と綿考輯録の編纂者、なんとなく関係あっても不思議ではないように思えるのだが。
尤も小野武次郎自身が養嗣子である。しかし実家は同族と思われる小野氏、父親は吉左衛門である。
吉左衛門の跡は嫡子が相続しているが、今一人男子がいてそれが勘十郎だと考えるのは虫が良すぎるか・・・・・

ちなみに勘十郎は寛政六年十一月歿、75歳であった。一方小野武次郎は享和二年72歳で歿している。年の差が11歳有るのが気に成るのだが。
この推理、はずれたか? 謎解きは続く。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする