熊本市新町三丁目十番に正教寺というお寺がある。肥後国誌によると御船城主甲斐宗運の子千代丸の開基によるという。
新二丁目内馬借町 真宗西派成満寺末寺慶長年中慶専開基之表口五間入十五間並ニテ免許ノ地ナリ
当寺由緒云開祖慶専ハ俗姓甲斐氏益城御船城主甲斐千代丸ト称ス 後ニ出家シテ慶専ト改メ慶長年中
当地ニ創立ス云々
日頃ご厚誼をいただいているS様も甲斐宗運の末裔だが、先頃ご提供いただいた系図によるとまさしくこのことが記されていた。
残念ながら正教寺様は西南の役に被災されて、貴重な記録をすべてなくされているという。残念の限りである。
玄察覚書ほか貴重な記録を残した渡邊玄察は、S様の遠祖早川(渡邊)丹波守秀貞からすると従兄弟の孫という関係に成る。
千代丸は早川秀貞の義叔父という関係である。
又加藤清正の側室(忠広・あま姫生母)である正応院は、宗運の弟・親房の女婿・玉目丹波守女である。
これらを網羅した系図をながめていると飽きることを知らない。
S様のブログ こじょちゃんの戯言 は渡邊(早川)一族や甲斐一族に対する熱い想いで満ち溢れている。