津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■仲悪しき義兄弟

2015-05-17 16:12:10 | 人物

先に ■悪ごろ・村上平内 を書いた。今一人成田清兵衛の弟子に臼杵杢之助というあばれ者があり、村上平内とはいたって仲が悪かったという。
藩の重役もこれを聞き頭を痛めていたが、両家が縁組すれば少しは治まろうと平内の妹を杢之助に嫁がせた。
嫁いだ平内の妹成る人も気苦労の多いことであったろう。杢之助(鉄炮頭300石)は後には平内同様、理由は定かではないが禄を除せられている。

      臼杵杢之助と云は、成田清兵衛の弟子にて、組打剣術二王身等を能せり、又村上平内と云は村上河内子なり
      新免瓣助寺尾求馬三男なり弟子にて、又剣術を能せり、其比何れも名高きあばれ物にて、種々の噺甚多きこと
      なり、其比は下帯組、二王組、いばら組とて、あばれ組三組あり、平内はいばら組の頭、杢之助は

      二王組の頭也、互に争度々ありて、事出来ることを計て、大家衆の取扱にて、縁組を取結せたり、
      杢之助が妹を平内が妻にす○家記には平内妹を杢之助に嫁すとあり是なるべし(殿云)既に婚禮す、
      日互に剣術の争有て、打合あり、杢之助庭に被下り、垣の強期を引抜てかまへたり、村上は樫木の
      割木の三尺計なるを持て立合たり、杢之助眞向に振上げ、打んとする處を、村上かの割木にて、ち
      よっとさしたりければ、垣を押破て隣屋敷に打出たりとなん、夫より杢之助は、剣術の師範を止
      て、組打計師範せりとなん、其子も剣術を能せしが杢之助死後、師範に取立んと門弟中より致
      せしか共、父の遺口なりとて、遂に師範をせざるとなり、さて村上は此上は成田に勝負せんと、翌
      日成田が自宅へ行、昨日の様を語て、此上は御自分様と仕合申んと、拳を振て仕懸るに成田打笑ひ
      御自分の剣術誰が右に出る者あらんや、臼杵が負たること尤なりとて、甚禰誉して、相氣の色見
      えざりし故、村上氣を呑れて歸り、中々成田はならんと申されしととなり、是より村上臼杵が中能成
      て、一つ組になる、臼杵は鑓も能せり、鑓と組打は村上負る、剣術には臼杵負ると、相互に咄合へ
      り、又或時臼杵に、二王身を取て見せよ、則二王身を仕て見せければ、村上大に笑て云、二王身素
      よりよし、然れども我より見れば、其用を不知、只石をすへにしにひとし、凡人は動を以貴ものなり
      と云り、臼杵尤なりとて、その後は止たるとなり (随聞録)
       

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■がラシャ二題

2015-05-17 12:32:58 | 徒然

■なんでも探偵団を見ていたら、加藤藤九郎の作とされる茶碗二つを持ちこんだ人がいた。たしか二点を80万円で購入されたとか・・・・残念ながら偽物だった。
 藤九郎の紹介の中で、「ガラシャ」の銘をもつお茶碗が一瞬だが画面に現れた。
 藤九郎の作品をいろいろググってみたが見つからない。これは作品集でも見なければ見つからいようだ。また宿題が出来た。

■熊本出身の作家・小山寛二の著作「細川ガラシア夫人」が、上下巻二冊ヤフオクに出品されていた。
 私も所蔵しているが、装丁が棟方志功であるのがうれしい。
 落札してどなたかにプレゼントしようと思っていたが、空振りになってしまった。落札されたのか日にちが過ぎて不落だったのか定かではない。
 もう少々観察しておく必要がある。
                                                                小山寛二  細川ガラシヤ 上下 昭和35初 函帯 装幀・志功 
 

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