津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■お安く読む・岩波新書「都市 江戸に生きる」

2015-05-15 18:51:55 | 書籍・読書
都市―江戸に生きる〈シリーズ 日本近世史 4〉 (岩波新書)
 
             岩波書店

内容説明

江戸城の周囲に、大名屋敷、町人地、寺社地等が展開する巨大城下町・江戸。そこではどんな暮らしが営まれたのか。町の構成、物の流れはどうか。日本橋近辺、浅草、品川などの地を取り上げ、庶民の訴えや寺の記録、絵図や名所図会などから、都市を構成する多様な要素とその変遷を読み解く。細部から全体を捉える意欲的試み。

目次

第1章 城下町・江戸(城下町のイデア;城下町を構成する要素 ほか)
第2章 南伝馬町―江戸町方中心部の社会(高野新右衛門と南伝馬町;高野新右衛門が支配する町々 ほか)
第3章 浅草寺―寺院と寺領の社会と空間(近世前期の浅草寺;浅草寺一山と寺中 ほか)
第4章 品川―宿村と民衆世界(南北品川宿村;品川宿村の社会 ほか)
第5章 舟運と薪―江戸の物流インフラと燃料(江戸湊と江戸河岸;江戸河岸の人びと ほか)

著者紹介

吉田伸之[ヨシダノブユキ] 
1947年東京都生。1975年東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。千葉大学教育学部助教授、東京大学大学院人文社会系研究科教授を経て、東京大学名誉教授。専攻、日本近世史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

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■熊本・福岡県境の二つの「関」

2015-05-15 09:08:05 | 論考

 明日の史談会で「西遊雑記」を取り上げるにあたって下調べをしている。肥後領から筑前領へと向かう古松軒の記述に「南の関に至る 古しへは松風の関といひし所にて當国の名所也」と書いている。

ぐぐってみると「松風の関」は福岡県みやま市の北の関に比定されている。なぜ古松軒は南関と比定したのであろうか? 

 豊前街道の熊本最北部に「南関(なんかん)町」があり、福岡県側みやま市の最南端部に「北の関」がある。
現在のみやま市の大津山一帯は中世期は肥後領臼間荘であり大津山関があったらしい。
臼間荘大津山の北・南に北の関・南の関が設けられ、中世期の為政者によりこの地が筑後領に編入された。慶長六年藩主田中吉政の時代に現在のような境が確定し、北の関は柳川領、南の関は肥後領と確定したらしい。
肥後人は南関をして「松風の関」と考えたらしいことは、三卿家老・松井家に残る南関の図に於いてもそう表現されているという。
古松軒が旅をした天明二年当時においても、そういう考え方があったればこその彼の記録であろう。
定かな説も見受けられないが、次のような論考が見えるのでご紹介しておこう。

             大津山関の比定

 

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