津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■御恵贈御礼「兼見卿記・第四」

2015-05-23 14:10:46 | 書籍・読書

 待望の兼見卿記・第四(巻)が発刊され、校訂に携われた著者「橋本政宣・金子 拓・堀 新・遠藤珠紀先生」の御名をもって御恵贈を給わった。
伏して御礼を申し上げたい。

今般の第四(巻)は天正十八年正月から文禄元年(天正廿年)十二月までのものである。
細川家を勉強する者にとっては幽齋や忠興に関する記述や、幽齋女・伊与の婿にあたる兼治やその子兼従と云った人々の消息がみえて誠に興味深い。
豊臣秀吉の北条征伐から朝鮮出兵に至る軍事的動きや、聚楽第の建設、禁裏の造営、東山大仏の建設などとともに、秀吉の身内の不幸、また千利休の処罰など内容は盛り沢山である。

第一級史料が語りかける事柄の一つ/\を読み進めると、時間を忘れさせてしまうがまさに快感である。
みなさまにもぜひともご一読いただくようご推薦申し上げる。(感謝)

 

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■筒口村鐘ヶ淵

2015-05-23 09:52:31 | 地図散歩

 現在の横手1丁目、現在は水路となっている狭い流れがかっての袚川(井芹川)の名残で、禅定寺裏で曲の手に曲っている個所を「鐘ヶ淵」とよんでいた。
流れは昭和28年の熊本大水害の後、その土砂をもって水路部分を残して埋立てられ、現在では道路となっている。肥後国誌によると巾五間、深さ三間もある大きな淵であったというが、現在ではとても想像すら出来ない。
「鐘ヶ淵」という名の由来については色々な説が言われている。
   ・http://www.geocities.jp/sakuragaoka5364/html3/kanegafuti.html
   ・http://blog.goo.ne.jp/jokamachi-kumamoto/e/89d8ab399079907b21b3ca74c1f2c30f

真実は90度に屈曲したという意味で「曲ヶ淵」が本当であろう。大工さんが使う「曲尺」を「かね尺」という。

                              「曲尺」の画像検索結果

江戸から明治にかけて、 「鐘ヶ淵の雨乞い」という行事があり近隣の農民が雨にちなんだ龍や雷神などの仮装をして、作り物を引き太鼓を打ち鳴らして最後はこの鐘ヶ淵に至ったという。雨乞いの習俗は明治七年に規制されたが、貴重な記録が熊本市立博物館に収蔵されている。

 

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