昨日ひょんなことで高森氏のご子孫にお会いした。高森氏は阿蘇家の庶子家である。高森九郎左衛門尉惟居が阿蘇大宮司宇治三郎左衛門惟直の孫とされる。天正三年伊予守となり、15,000石とも35,000石を領した高森城主であったが、天正十四年の薩摩の三度の攻撃に抗しきれず落城となり子供ら三人と共に自刃した。山中に葬られたが、のちに家臣の武田元朝が含蔵寺に墓を移した。
その武田氏の祖大和守元實は若州小浜の城主であった。織田信長に攻められて落城後、九州に下り川尻に住み、阿蘇大宮司家を頼り高森家の客将となった。ご子孫は細川家家臣となった。茶道肥後古流の家元・武田家やNHKのアナウンサー武田真一氏などがご子孫であるという。
熊本史談会会員の福田晴男・木庭實治氏は若狭まで出向かれて実地調査、「肥後の『若狭の武田氏』、その軌跡を探る」を発表されている。
熊本には若狭出身の人が多く細川家臣となっているが、これは細川幽齋の姉・宮川が武田宮内少輔信重(信高)室であり、武田家没落後その家臣を弟・玉甫紹(大徳寺高桐院第一世)の肝煎により召し寄せられたと伝えられる。
高森氏のご実家は矢部(現・山都町)だという。系図が残されているらしいが、拝見できればと思っている。
矢部には浜の館(遺跡・矢部高校内)があり、大宮司家としての阿蘇氏終焉の地である。