「細川氏動向--兼見卿記から」は過去12回にわたって書いてきたが、この度東大史料編纂所の金子拓先生から「史料纂集・兼見卿記--第四」を御恵贈いただき、これを契機に13回をお届けすることにした。
幽齋の生母・智慶院は清原宣賢女であり、兼見はその実兄であり吉田家を継いだ兼右の子である。つまり従兄弟の間柄であり、兼見の嫡子・兼治(侍従)に幽齋女・伊彌(伊与)が嫁いだ。そのことによって大変親しい交流の様が記されており、細川家の動向を知る上でも大変貴重な史料である。
兼見は天文四年(1535)生まれ、幽齋は天文三年(1534)生まれであり、この年(天正十八年・1590)56~57歳である。
忠興は28歳、伊彌は23歳である。
吉田兼倶---+--兼政----兼満===兼右---+--兼見--------兼治(侍従)
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+--● +--梵舜 |
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+--宣賢--------+----兼右 |
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+--智慶院------幽齋---+---伊也(侍従女房)
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+---忠興(与一郎)
天正十八年
■正月九日 壬子、 幽齋來、百疋持來、焼風呂、進夕飡、於青女侍従女房衆已下相伴□、入夜皈京
■同 十日 癸丑、 幽齋小性孫三、予馬ニ令所望之間、不及是非、只今牽ニ來之間、相添中間与左衛門尉遣之
■同十一日 甲寅、 自幽齋書状到來云、明日十二日詩歌會興行也、三幅繪直丈借用之、即使者勘三郎渡遣之
■同十二日 乙卯、 今日於幽齋詩歌之會張行、今度琉球人上洛、關白へ御礼申、幽齋へも來、重硯已上十箱持來、依此義右會興行也
■同十三日 丙辰、 自幽齋使者、昨日借用之三幅繪返來
■同十四日 丁巳、 幽齋へ為礼罷向
■同十五日 戊午、 明日長岡与一郎(忠興)へ殿下御成也、盃之䑓・指樽壹荷持遣之、書状返事在之、侍従女房衆ヨリ御神供
■同十七日 庚申、 及晩幽齋明日下國之間、為見舞出京、於路次参會、即明日下國治定也、令暇乞、直ニ罷皈了
■同十八日 辛酉、 今朝幽齋下國云々
■二月一日 癸酉、 自丹州幽齋牽馬、御陣所マテ記(預)置之由書状到來
■同十一日 癸未、 幽齋返事在之、喜藤次之義不相調也
■同 廿日 壬辰、 幽齋昨夕上洛也、為見廻罷出了
■同廿一日 癸巳、 幽齋へ以書状遣使者・・・・・及晩幽齋來、當社両宮造営見物之、入風呂、明日出陣、与一郎同陣之由被申訖
■三月一日 癸卯、 (軍勢二万人)青女・侍従女房衆・孫女以下、自早々為見物幽齋宿所へ罷出了
■四月九日 癸辰、 伊豆國山中之城、近江中納言(羽柴秀次)被責落□、ニラ山在家放火、丹後与一郎(忠興)押入、悉焼拂云々
■五月一日 辛丑、 幽齋へ書状・帷曝一、同与一郎、帷子一曝、アサキ桐之文(紋)
■同十一日 辛辰、 幽齋留守居之衆三人來、終日相談
■六月八日 戊寅、 丹後國幽齋女房衆(麝香)ヨリ書状、使者小四郎罷上云、今度愛宕福壽院兵部卿(細川幸隆)申分在之、就而祈念之義被申上訖
■七月廿九日 戊辰、 辰刻幽齋上洛、直ニ可來候由、自大津使者、後到来
■八月一日 庚午、 自是向幽齋、自他所皈宅之砌也、對談、明日皈國之由被申訖
■同 五日 甲戌、 自先刻大和大納言(羽柴秀長)殿へ被罷出、數刻松井(康之)私宅ニ相待、及暮歸宅
■同廿七日 丙午、 昨夕幽齋自丹後上洛、即遣使者兵庫助
■同廿八日 丁酉、 出京、幽齋為見舞罷出、令面談□ ・・・・後刻幽齋來、焼風呂、進夕食、及暮歸京
幽齋女房衆ヨリ書状、先度預給小箱取來、先度之使小一郎、ハリ封已下持來、一両日已後請取之由云、然間只今不相渡之
■九月三日 壬寅、 幽齋女房衆被預置小箱、以書状ワリ封取來候間、相渡之、使者大塚小一郎
■同十八日 丁巳、 自幽齋、来年立小座、タルキ竹所望、大工衆、即於神龍院・少樂庵六十本切候、即此方ニ預置之、雙六盤木櫻所望候
■同十九日 戊午、 雙六之盤木櫻切之、以兵庫助持遣之
■同廿七日 丙刁、 出京、向幽齋へ、客來也、不及對面
■同廿九日 戊辰、 幽齋和州へ下向云々、大納言(秀長)殿見舞義也
■十月一日 庚午、 幽齋來、自和州昨日上洛候由被申□、社領出分之儀、為談合來候由、被申訖
■同 二日 辛未、 自幽齋侍従方へ書状到来、今夜鞠張行、賀茂祝令同道可來候由、書中也
■同 三日 壬申、 幽齋・松下民部少輔(述久)來、及晩鞠張行・・・・・・・・・・・・・・幽齋入夜皈京
■同 八日 丁丑、 侍従女房(兼治室、長岡幽齋女・伊彌)幽齋ヨリ迎ニ、御いま來、即同道シテ出京訖
出京、向幽齋・・・・・女房衆(幽齋室・麝香)對面
■同十七日 丙戌、 今夕於幽齋鞠興行、侍従(兼治)罷出了
■同十九日 戌子、 ・・・・御方女房衆(兼治室・伊彌)歸宅、三荷三種持來
■同 廿日 己丑、 明日幽齋女房衆招寄之、可來候由返事也
■同廿一日 庚寅、 幽齋女房衆令先約、齋了來、焼風呂、進夕飡、及暮皈京、幽齋者和州へ下向、大納言(秀長)殿既一大事也、為見舞發足云々
■同廿五日 甲午、 幽齋内義へ大根廿巴遣之、祝着候由、返事在之
■同廿七日 丙申、 幽齋女房衆有馬へ為湯治發足云々、以外風雨也
■同廿八日 丁酉、 幽齋來、進夕飡、入夜皈京
■十一月五日 癸卯、 幽齋侍従(兼治)ニ遣馬青毛三寸、駿馬也
■同 七日 乙巳、 幽齋來、福壽院(長岡幸隆)來、匂香二貝持來、高雄木食帯一筋持來、各進夕飡、及暮皈京、幽齋入風呂、入夜皈京
■同 十四日 壬子、 孫女与一郎(忠興)殿へ罷向、妹二人(たつ・たま)同道、
幽齋女房衆有馬ヨリ上洛
■同 十九日 丁巳、 幽齋來、小性・碁打二人・松下民部少輔來、及深更囲碁、月出皈京 風呂・夕食已下興行□
■同 廿二日 庚申、 入夜幽齋ヨリ申來而云、木(植木徴發)之儀、矢久申理、相済候由、書状到来
向幽齋、木之義相済、祝着候由申畢、及深更歸宅
■同 廿三日 辛酉、 及暮幽齋來、囲碁在之 (幽齋と松下民部は一泊している)
■同 廿四日 壬戌、 幽齋朝食已後歸京、 松下民部今朝罷歸了
■同 廿六日 甲子、 幽齋和州下向云々
今夜於幽齋囲碁興行、可來候由書状到来、可参候由返事、及暮出京
■十二月一日 己巳、 出京、幽齋へ罷向、令對談
■同 二日 庚午、 人足之儀ニ出京、向盛方院、即相談候、幽齋へ罷向、此段相談了・・・・・・及暮幽齋ニ相待、無左右候間罷歸了
■同 三日 庚午(辛未)、 幽齋女房衆下國
■同 六日 甲戌、 幽齋和州へ下向云々、亥刻中村甚左衛門幽齋者也、折帋到来云、三才男子相煩疱瘡、守所望之由云、明日可謂遣候由、返事□
■同 七日 乙亥、 (中村)甚左衛門申來守・天度卅六本・御祓調遣之訖
■同 十日 丙刁、 出京、幽齋明日下國、為見舞罷向
■同 十一日 己卯、 幽齋未明發足云々
■同 廿六日 甲午、 長岡与一郎息女(お長)隣國但馬守(前野長康)子息(景定)へ祝言、今夜被罷向云々
■同 廿七日 乙未、 幽齋昨夕上洛、罷向、對面了
■同 廿八日 丙申、 幽齋來、入風呂、入夜皈京
■同 廿九日 丁酉、 幽齋へ馬之糠十俵・藁卅九、持遣之、六罷出了