天正二十年(1592年)という年は、正月五日に秀吉が諸将に朝鮮出兵を命じ、四月十二日には小西行長が釜山に上陸、不毛の戦いがはじまった。
いわゆる文録の役が始まった年である。そのようなことも有り、兼見と細川家とのかかわりも極端に減少している。
天正二十年(文禄元年)
■正月二日 癸亥、 幽齋來、百疋、 小笠原(秀清)來、二十疋、進夕飡、入夜皈京
■二月二日 癸巳、 幽齋女房來、及晩皈京
■同 四日 乙未、 幽齋女房州皈國
■同 八日 己亥、 幽齋歸國、三月一日御入唐御進發也、依用意急下向云々
■九月卅日 丁巳、 幽齋留守居恩齋・長以・了意招寄夕飡訖
■十月廿九日 乙卯、 自丹後、月々之祈念撫物持上了、自女房衆(麝香)状到来、
■十二月八日 甲午、 (文禄改元)
■同 十七日 癸卯、 幽齋へ書状返事
丹後ヨリ小鯛五、女房衆(麝香)書状ニテ上來、即書状之返事遣了