津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

細川氏動向--兼見卿記から(15)天正二十年

2015-06-15 10:23:58 | 史料

 天正二十年(1592年)という年は、正月五日に秀吉が諸将に朝鮮出兵を命じ、四月十二日には小西行長が釜山に上陸、不毛の戦いがはじまった。
いわゆる文録の役が始まった年である。そのようなことも有り、兼見と細川家とのかかわりも極端に減少している。

天正二十年(文禄元年)

■正月二日 癸亥、 幽齋來、百疋、 小笠原(秀清)來、二十疋、進夕飡、入夜皈京

■二月二日 癸巳、 幽齋女房來、及晩皈京
■同 四日 乙未、 幽齋女房州皈國
■同 八日 己亥、 幽齋歸國、三月一日御入唐御進發也、依用意急下向云々

■九月卅日 丁巳、 幽齋留守居恩齋・長以・了意招寄夕飡訖

■十月廿九日 乙卯、 自丹後、月々之祈念撫物持上了、自女房衆(麝香)状到来、

■十二月八日 甲午、 (文禄改元)
■同 十七日 癸卯、 幽齋へ書状返事
              丹後ヨリ小鯛五、女房衆(麝香)書状ニテ上來、即書状之返事遣了 

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