津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■三齋の茶

2015-08-05 06:53:42 | 歴史

 先日棚の上の資料を整理していたら、茶道に関するものがひとくくりあった。
「三齋流茶道」やら「鷺繪源三郎久重覚書」の古文書資料その他もろもろの資料である。お茶の稽古をしていた時代を思い出しながら、これらの資料を眺めていたらすっかりはまりこんでしまった。先日ご紹介した「利休切腹」なども読んでみたいと思ったのはその延長上の事である。
そして昨日「細川三齋 茶の湯の世界」をヤフオクで落札した。一度は処分した本だがヤフオクに出品されていることを知り応札して再度の所蔵となる。 

                                                                n2/細川三斎 茶の湯の世界 矢部誠一郎 利休正統

細川忠興(三齋)は利休七哲と称され、利休と深い親交があった。利休が秀吉に死を給わり下向する折り、忠興は淀の川塘に利休を見送っている。
そして家臣を堺に送り利休の最後に際しなにやかやの手配に手を盡している。忠興(三齋)の茶道は、まさに利休流茶道の継承でありその形を変えることなく現今まで「肥後古流」茶道として熊本の地に残されている。 現在古田家、武田家(古市流)の二家の家元の許に、心ある人が集い研さんを重ねて居られるが、その将来は必ずしも楽観できる状態にはない。

忠興公の年表をひもときながら、茶道を極めた時や背景を追ってみようとかび臭い史料を眺めている。
あらたなご報告が出来れば幸いである。 

 

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