津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■享和元年の政変

2015-08-11 09:46:33 | 歴史

2013-12-12の「改革の影に・・・」で、 享和元年十一月十八日御家老・遠坂関内大目附・津川平左衛門御奉行・入江十郎太夫の三人が閉門、のち蟄居(二年三月十八日)を仰せ付けられたことを書いた。
堀平太左衛門の宝暦の改革後、大奉行は志水才助を経て遠坂関内が務めた。宝暦の改革で一時は財政も好転したが、平太左衛門致仕後の寛政期には江戸入用、京都造営、島原大変、大水等により財政は再び悪化した。そんな寛政四年遠坂関内が大奉行に就任した。寛政五年には後ろ盾であった堀・志水が続いて死去している。そんな中で打開策として発行された「御銀所預(藩札)」が銀との兌換を拒否したため混乱を招き、藩当局内で意見の対立が起こり、遠坂・津川らが罷免されたものである。のちに奉行入江十郎大夫にも及んだ。この政変後大幅な人事が行われて緊縮財政派が消え、貨殖政策へと転換していく。 

 

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