熊本藩最後の藩主護久は先代藩主韶邦の隠居を受けて明治三年五月家督相続した。熊本藩知事に任ぜらるるや六月中旬藩士を城中に集めて、十一条に及ぶ藩政改革の要旨を説明している。そして七月に至ると知事細川護久の名を以て雑税免除の減税令ともいうべき、この「村々小前共へ」の直書が布告された。
農民の歓びは一方ならぬものがあり後に「知事塔」があちこちに建立されることに成る。現在確認されているものは九か所に及ぶとされる。
然しながら皮肉なことにこの肥後藩の大英断は周辺の藩の農民の知る所に成ると、同様の要求を藩に求め一揆の導火線となった。
そのことに対する藩知事・護久の悩みは深く、辞職を願うようになる。そして廃藩置県へと進み、のち実学党政権は瓦解するのである。
この文章は徳富蘇峰・蘆花の父・徳富一敬らが起案したものとされるが、まさかこのような結果を招くとは想像もしていなかったろう。
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