津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■史談会史料「世減の法」達

2015-08-22 08:16:27 | 熊本史談会

                         

                                士中知行代々相續之事 大躰當
                                國之高に應し 古代之定有之候處
                                中古より我等に及ふ迄 新知加録等も 
                                総而世禄に申付来候付 當國不相(應)
                                之高に至り 将来勤労之者有之候とも
                                賞すへき禄乏く 数世背前代之
                                本意候 依之慶安二年以前之知行は
                                舊故之家ニ付無相違相續せしめ 右
                                以後之新知加録は代々相續之高を
                                斟酌し可申付候 尤子孫抜群之勤
                                労によつてハ 旧故之家に准し或は
                                子孫之材能によつてハ 強に世減す
                                へからす 新知加録之儀ニ付而は近年
                                申渡候趣も有之候条 何も存候ため申
                                聞置もの也
                                   宝暦六年閏十二月   御印


     

これにより慶安三年時新知の家については次のように改められた。

 

                             慶安三年以降新知の家(旧知の家は対象外)
                             5,500石~4,500石  500石減
                             4,400石~3,400石  400石減
                             3,300石~2,200石  300石減
                             2,200石~1,200石  200石減
                             1,100石~ 600石  100石減
                               500石~ 150石   50石減
                               100石新知       御擬作 という風に各家の家禄が減らされた。

 

慶安三年というボーダーラインは、「慶安年間を以て治乱の境界」とし、旧知の家は「元亀天正以来矢石を冒し、干戈を踏み、死生の間を馳突して君主を擁護し、或いは武勲抜群の誉ありしものゝ子孫」であるとして一線を引いている。
「宝暦四年此ヨリ減候知行・60,094石程、同28,770石程、右同蔵米擬作取・30,610石程」とある。減知約12万石、重賢の宝暦の改革の第一歩である。 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする