「肥後名家墳墓録」にある、我が先祖磯部庄左衛門の兄・長五郎女の龍源院についての記述である。
我が家の先祖附に長五郎に娘が在った事が記載されているが、なんとも思わせぶりな書き方であった。
ある調査の過程で「平川家文書」に遭遇、このなかで平川家と我が家が先祖を一にする関係であることが判明した。
■驚くべき偶然
■平川家略系
■驚愕の事実・・長五郎の娘・くま
次々と判明する新事実に大いに興奮する中、熊本史談会の若い友人N君が「肥後名家墳墓録」に詳しい記述があることを教えてくれた。
しかし熊本大地震でN君も膨大な図書や史料が本棚から落ち散乱しておおごとだと聞いた。そんな中このたび上記コピーをお送りいただいた。深謝。
残念ながらお墓があった宗厳寺は西南の役に際し焼失、その後廃寺となったらしい。
長五郎は八代で病死、男子がなあく絶家した。その長五郎のお墓も宗厳寺に在ったことは疑いない処だろうが、廃寺後どうなったのだろうか。
また大きな課題が残った。