今日の熊本日日新聞に、寛永10年の地震における忠利公に関する記事が掲載されている。(スキャンにあたり写真の位置を動かしている)
この内容についてはかつてこのブログでご紹介しているのでご覧いただきたい。
当時の私の関心事は「地震の間」についてであった。
そして忠利公の書状のあて先である狩野是齋は私の祖母の実家の遠祖であり、いささかの因縁を感じている。
引っ越した先には生鮮食品を扱う大きな店が在り、買い物には便利だと安心していたら、建物が大被害を受けておりこれは解体されるのではないかと思われる。
奥方ははたと困り、以前の買い物先まで電動アシストのママチャリで2~3キロ先まで買い物に出かけている。
昨日も沢山の買い物袋を抱えて帰ってきたが、帰る早々花を活けている。白い「くちなしの花」である。
どうやら途中の道すがら手折ってきたものである。「日赤病院の前で折って来たんだろう?」と聞くと案の定である。
日赤病院前の歩道には車道との間に高さ5~60センチほどの花壇が設けられており、今は「くちなしの花」が沢山の花をつけて甘い匂いを放っている。
その下枝を手折ってきたらしい。
花瓶も大方割れてしまい、残っている花瓶は大きすぎ、やむなくジャムでも入っていたのだろうガラス瓶に活けた。
「くちなしの花」ははかない、今朝ほどは花がぐんなりとしている。活け方が悪いのか水揚げをしていないようだ。
花を落として挿し木にしてみた。ちょうど梅雨の時期に入ったので根づいてくれると思うのだが・・・・
もう増やすまいと思っていたベランダの観葉植物が一つ増えるかもしれない。