現在ヤフオクに江嶋家の宛行状が三点出品されている。
松本寿三郎氏編の「熊本藩御書出集成」によると、江嶋家の御書出(宛行状)はかなりの数が紹介されている。今般の三点も興味深いものである。
江嶋家は財津家等と共に、阿蘇に定住し阿蘇組と呼ばれ、御赦免開きが認められ、これによる開地は夫々の知行に加えられた。
江嶋家も多大な開地をもって180石取となり、開地を加えて100石以上になると御番方に加えられて府中に屋敷を構えるようになった。
8代傳左衛門に至っては川尻奉行迄栄進し、役料を含め500石を領することになった。
そんな江嶋家の加増の歴史がうかがえる宛行状三点である。
(1) 《細川綱利書状》領知宛行状
(2) 《細川宣紀書状》領知宛行状
(3) 《細川宗孝書状》領知宛行状
■ 江嶋 傳 (南東42-5)
1、六右衛門 御留守居衆 百石 (肥後御入国宿割帳)
御赦免開による「開結百三十石・正徳四年」
細川忠利公宛行状
2、傳之允 御留守居衆・田中左兵衛与 五拾石 (寛文四年六月・御侍帳)
細川綱利公宛行状
3、傳四郎 傳允跡目 組外阿蘇谷 五拾石 (御侍帳・元禄五年比カ)
細川綱利公宛行状 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ (1)
江嶋傳四郎知行目録・二件
江嶋傳四郎拝領開地所付目録
4、傳左衛門
5、傳左衛門
6、源太兵衛 細川治年公宛行状(天明六年)百八十石
7、貞松(傳四郎) 百八十石
細川斎樹公宛行状
8、傳左衛門 百八十石
天保三年九月~天保五年三月 玉名郡郡代(山鹿郡・山本郡助勤・兼)
山鹿郡郡代(玉名郡より助勤)
山本郡郡代( 同上 )
天保七年三月~天保七年八月 阿蘇南郷郡郡代
天保七年四月~天保十年九月 野津原・鶴崎郡郡代
天保十年六月~天保十年十二月 菊地郡郡代
天保十年六月~天保十一年二月 合志郡郡代
天保十一年二月~天保十五年四月 山本・山鹿郡郡代
天保十五年四月~天保十五年九月 下益城郡郡代
天保十五年九月~嘉永四年三月 玉名郡郡代
嘉永四年三月~安政元年三月 飽田詫摩郡郡代・後郡目付
安政二年十月(郡目付)~安政三年七月(病死)高橋町奉行・川尻町奉行
江嶋傳左衛門 名は永孚、傳左衛門と称す。細川藩に仕へて獄官となり、後郡代、作事所
目附其他の諸役を歴任し川尻町奉行を命ぜられ、禄五百石に至る。
安政三年七月二十三日歿す。享年六十一。墓は京町往生院。
細川斎護公宛行状
9、藤丞(傳) 百八十石
細川慶順公宛行状
以下宛行状等不明分
正徳六年 細川宣紀公宛行状 江嶋傳四郎宛 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ (2)
享保十九年 細川宗孝公宛行状 江嶋傳左衛門宛 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ (3)
寛延元年 細川重賢公御書出写 江嶋傳四郎宛
天明六年 細川治年公宛行状 江嶋源右衛門宛
不明 江嶋傳四郎開地田畑高積之覚 江嶋傳四郎宛