石牟礼道子氏の「春の城」も何しろの大部なので読むのに苦労しているのに、またまた島原の乱関係の著作、島一春氏著の「はるかなる天の海」を購入した。
石牟礼氏は水俣の人、島氏はまさに天草の人だが共に人々に寄せる目線が温かい。
今しばらく「天草島原の乱」から離れられそうにない。タイピングより読書に比重が傾いている。
石牟礼道子氏の「春の城」も何しろの大部なので読むのに苦労しているのに、またまた島原の乱関係の著作、島一春氏著の「はるかなる天の海」を購入した。
石牟礼氏は水俣の人、島氏はまさに天草の人だが共に人々に寄せる目線が温かい。
今しばらく「天草島原の乱」から離れられそうにない。タイピングより読書に比重が傾いている。
細川藩の兵備についてお尋ねいただいたので概略をここでもご紹介しておく。
組織表は明和六年に整えられた「武備」をかってご紹介している。
幕末に至る迄、少々の変更は認められるものの、大方このような体制が続いている。
最前線で戦闘員として働く6組の「御備組」、殿様にそばにあってお守する「御側組」、そして留守の御城を守る「御留守居組」で構成されている。「御備組」は6組あって、以下のように構成されている。
家老等 十二人 廿二人 六百人・十二組
○備頭------+--番頭------組頭-----番方
| 五十人 千百八拾餘人
+--鉄炮頭----小頭------------------足軽
| 十四人
+--副頭
| 二人 四百三十人・十二組
+--長柄頭---------------------------足軽
| 六人 又小荷駄奉行トモ云フ
+--物奉行
番方600人が12組に分かれているから、1組は50人の小隊である。この長が組頭、先祖附で見受けられる「御番方〇〇組ニ被召出」とあるのはこの「組頭」の下に配備されたことを示す。ただし細川家の侍格は900~1000人とされるから、番方600人の内の1/4程が侍格の人であろう。鉄砲隊・長柄隊は頭などをのぞくと、ほとんどが足軽で占められている。
但し、この人数からすると、これらの人々が全て鉄炮や長鑓を所持していたとは考えにくい。
その職務は「雑兵物語」などに詳しい。
上記の表が示すように、一備は約2,317人程で構成されているから、六備で13,900人程になり、これが54万石の軍役という事になる。
尚、兵站要員や加子(水夫)は軍役数には含まれない。