(元和十年三月)十八日
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|一、十八日 道倫〇 助二郎 当番 清天
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薩摩へ船破損ノ報 |一、薩摩之舟波損ニ付、従民ア少、御長柄衆一人、薩摩へ飛脚一人遣候事
知 |
沼田延元樹下寿斎 |一、平井五郎兵衛所ゟ使、勘解由殿ゟ寿斎へ戻り申候女、中津へ遣候間、伝馬之儀、御申付可有哉と
ノ女ノ出入 | 申候、乍去、此女ハ、やかて又、勘解由方へ帰儀ニ候間、馬ハ勘解由ゟ可被申付儀との惣談候事
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大橋足代ノ蹴転木 |一、河田八右衛門登城、大橋足しろノけころ木かいニ、北前へ可被遣通申候へ共、御加子共、近日罷
ノ仕入方 | 付儀ニ候間、御国の山ニ而、きらせ可然哉と、道倫申候ニ付、荒瀬八右衛門・日田鹿之助、両人
| を見せ遣、其上之儀ニ可申付との惣談候事
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船蔵ノ修繕ニ船拵 |一、元田長兵衛・入江勘三郎登城、御舟蔵損シ候間、つくろひ仕度候、竹三十束歩と入可申候間、可
奉行等惣談 | 被仰付之由、則、河田八郎右衛門登城候而、被引合候事
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上野清兵衛加増地 |一、上野清兵衛男加増之地、彼者抱之内ニ而、可被遣 御印ニ而候、乍去、上中下不知儀ニ候条、今
ノ決メ方 | 更、御印を取返候事、いかゝニ候条、御郡奉行衆ニ割符可申付之事、
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河向藤左三百石分 |一、河向藤左衛門知行之内、三百石分役人可引哉、七月中ハ其まゝ御普請可仕儀か、談合不極候、御
ノ役引 | 借米ハ不借候事
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