五六年前、くらやみの石段を踏み外して転倒してしたたか左ひざを打ち、医者にもいかずにいたら膝痛は慢性化してしまった。
その後血圧や血糖の対策に散歩を始めたところ、痛みが薄れて今日に至っている。
処が二週間くらい前から、椅子に座っているのがつらいような臀部の痛みが生じ、また左足の脛の外側あたりのしびれるような痛みに悩ませられている。
最近では左足の股関節が痛くて、椅子に座っていることが苦痛になり、食事中に急に立ち上がったりするから、奥方がびっくりする有様である。
大いに難儀しているが、これは病院行きが必要かな~とさすがに思い始めた。
痛いからと言って運動を怠ると体重が増えてまずいらしい。散歩は欠かさず続けていこうとは思っているが・・なんとも腹立たしい限りではある。
昨日熊本市議会の交通委員会?において、凍結されていた健軍電停から新築オープンする市民病院までの路面電車延伸の調査費を認める決定がなされた。
これで延伸が現実味を帯びてきた。
熊本市役所の建て替え問題も有り、熊本市議会は膨大な事業費に懸念を示しており、大変健全なチェック機能を果たしている。
桜町再開発というビッグプロジェクトが、ひとまずは好感を持って迎えられ、市中心部の人の流れも変容を見せている。
一息もつかずまた多大な予算をつぎ込もうというのだから、「それいけどんどん」とはいかぬだろう。
どういう進展を見せるのか興味深い。
以前「北の関事件、藩主の裁定」を書いたが、事件の主導的立場にあった三渕家当主の山名十右衛門重澄が、決起にあたって相談した人たちがどういう縁戚関係であるのかを知りたいとのお話しが在った。
それ等の人物は「細川綱利家譜」に名前が記されているが、十右衛門との関係には触れていない。
藤田助之進の娘との縁談のもつれが原因で起こった事件だが、その主・前川勘左衛門は山名十右衛門とは従兄弟の関係である。
ご質問にご返事を差し上げたところだが、朱書きがそのことを示している。当ブログでもここにご紹介しておく。
「前川与三兵衛重民(従兄弟)、其外縁家の長岡佐渡直之(義父)・津川次郎左衛門長房(義弟・十左衛門妹婿)・藤崎作右衛門直治(義弟・十左衛門妹婿)并、細川修理直(尚)房(光尚弟、室松井寄之女、十左衛門相聟)・長岡左門興知(室松井寄之女、相聟)此各江申談候」
ちなみに細川藩三渕家は、初代好重(細川幽齋末弟)が母方の姓を名乗っている(山名氏)が長岡の姓を給わっている。
2代之直、3代之政、4代重澄までは長岡姓を名乗っているが(本姓・山名氏)、傍流は前川氏を名乗っていた。
5代は傍流からの養子だが山名氏をなのり、6代目の及び三渕家を本姓としている。6代目澄定は朽木昭重(本姓三渕氏)男であり、山名・朽木両家の本姓三渕氏に戻したものと察せられる。
(元和十年三月)二十日
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|一、二十日 米田甚左衛門〇 国遠道倫〇当番 朝曇・土用ノアキ 終日雨 夜ニ入 風少々はげし
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| (小笠原長元)
薮政三役儀 |一、小民ア殿ヨリ、藪三左衛門役之儀、中洲ゟ申来候様子申■上候、御奉行茂判形候而、可然由ニ
| 而、状ヲ被越候ニ付而、則、判形候而、被遣候事、但、上り衆ハ中村茂助・猿木源太夫、両人
| 也
| (沢村吉重)
谷主膳室ノ様子 |一、沢大学殿ヨリ、谷主膳殿御内儀様子申候而、状上せ候条、被遣可然由之事
| 石
石見牢人等堪忍ナ |一、若松口之御門番、村田半右衛門登城ニ而、平松ニ平松見ゟ之牢人来り候が、当初ニ堪忍難成候、
リガタク筑後へ行 | 〃〃
ヲ望ム | 筑後ニ親類御座候条、参度由申候、如何可仕候哉、苦間敷候間、民ア殿へ相尋候而可然由、内両
内二人ハ居留ヲ望 | ( 衍 )
ム | 人之牢人忠左衛門・小右衛門小右衛門ハ、当所ニ堪忍仕候由之事
| (浦河内)
金かけ出来 |一、鹿来久左衛門、京都郡うらがうちゟ、金かけ出来候、十人てまニ而、四分御座候、其儘置可申哉、
| 又、人ヲよせ可申哉と、窺候へバ、先其儘置候へと、被申付候事
刀屋竹屋喜兵衛他 |
国へ行クニ相司ヲ |一、竹屋喜兵衛登城候而、近日被仰付候他国へ参候相司、可然者ヲ 仰付可給由、申来候事
願ウ |
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