寛永拾五年二月廿七日
肥前國於有馬原城働之御帳(一)
付札以下同
九郎兵衛事
一、長岡八郎左衛門
一、二月廿七日有馬原之城二丸にて鑓を合高名仕候 夫ゟ本丸石垣下江参摠並ニ乗込右馬助手負ニ付右馬助与少々引廻
廿七日之夜本丸ニ相詰暁に引取頼母佐備へ參申候 明ル廿八日にも頼母佐与同前ニ本丸ニ相詰申候 証人合申候
亀右衛門事
一、松野縫殿助
一、二月廿七日有馬之城二丸にて敵突伏高名仕候
一、同日又二丸中程にて鑓にて突倒首取申候
一、本丸石垣ニ著塀越ニ鑓にてせり合一人突倒申候 其時右之手ニ少鑓手負申候 証人合申候
松野善右衛門与
一、吉弘四郎大夫 府内目付牧野伝蔵成純
一、二月廿七日有馬原之城二丸にて鑓合一人突倒申候 此段牧伝蔵様御覧ニ付嘉悦平馬を以無御失念候哉と御尋申上候ヘハ
不被成御失念由平馬書付有之
一、明石源左衛門
一、二月廿七日有馬本丸石垣ニ著塀越ニ貴利支丹とかゝち合申候而壱人突申候 塀へ乗縣申候所石にて打落され申候 源左衛門
著申候所石稠敷打申候ゆへいつれもなたれ申候へとも源左衛門残居申候本丸へ參候儀ハ御下知にて参り申候
一、明ル廿八日本丸松之木御座候所にてかせき敵一人鑓付申候 証人合申候
一、續 平右衛門
一、二月廿七日有馬本丸犬走ニ著鑓にてからち合申候 御下知にて引取申候 証人合申候
一、石かきへ乗鑓を入申事三度なり
御暇被遣候
一、松山兵左衛門
一、二月廿七日有馬本丸犬走ニ著敵と鑓をからち合申私鑓おれ申候 其後敵鑓を突出申候所を取申候ヘハ手之内きれ申候
一、同日本丸へ乗込鑓にてつきやをし首弐つ取申候 証人合申候
病死仕候
一、竹内八兵衛
一、二月廿七日有馬原之城二丸にて鑓を合高名仕候 其時鑓手負申候 二丸より引取申候 証人合申候
病死仕候
一、香山与助
一、二月廿七日有馬原之城二丸にて鑓を合突伏申候 其後鉄炮手負引取申候 証人合申候
一、服部武右衛門
一、二月廿七日有馬原之城二丸にて鑓を合一人打捕申候 証人合申候
病死仕候
一、山内三大夫
一、二月廿七日有馬原之城二丸にて鑓を合壱人突たをし申候 其時鑓手三ケ所鉄炮手壱ケ所負申候而引取申候 証人合申候
一、荒木彦大夫
一、二月廿七日有馬原之城二丸にて鑓を合高名仕候 夫より与頭ニ追付与頭一所に罷居申候 証人合申候
一、小崎次郎左衛門
一、二月廿七日有馬原之城二丸にて鑓を合高名仕候 夫より本丸石垣下ニ著申候 証人合申候
一、寺尾求馬
一、二月廿七日有馬原之城二丸にて鑓を合高名仕候 夫より与頭一所に本丸へ著鉄炮手負引取申候 証人合申候
相果申候
一、松山次郎大夫
一、二月廿七日有馬原之城二丸にて鑓を合突倒し申候 鑓手負申ニ付二丸より引取申候 証人合申候
相果申候
一、小崎与次兵衛
一、二月廿七日有馬本丸犬走へ上り貴利支丹と鑓ニ而突合申候所を内より鑓にて突落され又犬走江上候所をり 証人合申候
一、岡部庄之助
一、二月廿七日有馬本丸石垣ニ著鑓にてからち合私鑓を切おられ石にて打落され 其後又石垣際へ付申候 其所を石を打申候ニ付而なたれ候へとも残居申候
御下知にて引取申御本陳へ參申候 証人合申候
相果申候
一、猿木何右衛門
一、二月廿七日有馬本丸犬走へ上り塀ぐいに取付塀裏にて鑓にて突合申候 内より鑓にて突落され石にても打落され申候 御下知にて御本陳へ參申候
証人合申候
相果申候
一、矢野勘右衛門
一、二月廿七日有馬本丸石垣半分ほと上り内より鑓突出シ申所を私も鑓にて突申候ヘハ私鑓を切折申候 其後何も同前に乗込申候 証人合申候
相果申候
一、柳瀬茂左衛門
一、二月廿七日有馬本丸石垣犬走の上にて塀の破より敵鑓を突出シ申所を私も鑓にてからち合申候 手負申ニ付而引取申候 証人二三度かち合申所見届候