以前このブログで■公式記録・百石取りの家計をご紹介したことがある。
うろ覚えだが、この出典資料には200石取りとか500石取りなども併記してあったように思う。
私の悪い癖で出典を記していないから、それらをここでご紹介できないのが残念の極みだが、この資料に依ると100石取りでも3石8升の赤字だとしていが、たしか200石取りで何とかトントンとあったように記憶する。
しかしこれは、臨時的な支出を伴っていない。例年思いがけない出費があって、たとえば幕府からの普請の要請だとか、江戸屋敷の火事・熊本府内の火事その他自然災害などにおける、急なる出費などを要する事が発生すると、強制的に徴収されることになる。払いが出来ないと年四割の利子が加算され、蔵米から強制的に徴収される。
そうであれば、1,000~2,000石も頂戴する高級家臣はさぞ優雅であろうと思われるが、それがそうもいかぬから不思議なことである。
これもさきにご紹介した2,000石取りのS家の貴重な三年分の「借金返済計画」が存在する。
・赤字が発生した年は、1,257石余の収入がある。しかしながら支出の累計が1,972石余に及び715石余の赤字である。
その内訳は(1)年4割利息の借米が840石、(2)拠出金が223石余、(3)江戸借金288石、(4)元和7年暮の御袖判による借金562石余(5)米の大阪までの運賃59石余である。
・そして翌年(寛永三年)には黒字にするというのである。
収入は前年同様の1,257石である。前年借金の大幅な返済が完了しているため、支出は前年の残米を大阪で処分しての返済
(運賃とも)+拠出金80石で差し引き356石余の黒字である。
・翌々年になると知行収入に加え前年の余剰米を貸し付け(年利4割=499石)が+され計1,756石。支出は拠出金160石+借銀・借米659石余=819石余 差し引き937石の黒字とするとしている。
果たしてこの計画通りに事が運んだかどうかは定かではないが、この通りだとすればこの脅威的改善は、年4割という貸し付けからくる利益に依っている。
この高利の金を借らざるを得ない家禄の低い武士や扶持米取りが多く存在していたのである。
我が家の先祖は200石だから、500石だから関係なかろうと思っておられるかもしれないが、このような金を借りて拠出金を拂い、汲々の生活をされていたかもしれない。