この言葉は、熊本出身の詩人である伊藤比呂美さんがその著書「切腹考」の中で使われている。
項立ての言葉だが、ご自分がすまわれた家周辺のことを紹介されている。
その家はどこにあったのか、ヒントは二つあるがこれだけでは判然としない。
「愛染院の前を通り、旧三号線を突っ切って、裁判所の脇の急な坂を下って細道に入る。それから道はどんどん低くなり、くねくねとたどり下って、下り着いたあたりに、わたしの家がある。」
「この家の真ん前を坪井川が流れる。」
ここに出てくる坂道が「観音坂」か「中坂」なのかも良くわからない。
しかしながら、「どの坂もお城に向かう」というのは、さすがに詩人の表現だと感心してしまう。
現在もタモリさんが副会長かどうかは知見を持たないが日本坂道学会というものがある。(もっとも会員は二人だけという話も聞く)
これとは別に坂学会(旧・坂学会)というものがあるが、随分以前その事務局から当方にメールが入り、熊本城周辺の坂道に精しい F氏を紹介してほしいとの依頼であった。
F氏はかって熊本史談会の会員であられたが、様々な資料を読破し、現地を踏査して『熊本城下の坂』 (私家版・2013年9月発行)を物にされた。
F氏にご連絡して了解を得た上ご紹介した。そのサイト「熊本県の坂リスト」には、まさに氏の調査の結果の殆どで網羅されている。
「どの坂もお城に向かう」の出てくるその坂を調べるために、久しぶりにこのサイトを開いてみた。
ただ残念ながら、地図へのリンクや説明などがないため、単なるリストに終わっている。
ところで伊藤さんは、この本の題名にあるように「切腹」について一冊の本に仕立てられた。
その第一項はまさしく「切腹考」で、実際切腹する人を見たと仰る。それも熊本人だそうで、わざわざ死に装束で現れて腹に刀を突きたてたという。さすがに引き回すことはなかったが・・自らがお医者さんでご自分で手当てを去れとそうだ。
顔色は一瞬に青ざめ、血が噴き出し死臭を感じたそうだが、読んでいるうちに背筋に悪寒が走るような話だった。
「どの坂もお城に向かう」でも、切腹にまつわる話につながっていて、氏の尋常ならざる「切腹愛」に付き合わなければならない。
「切腹はエロス」であり、「侍の死生観」をたどって行って、たどり着いたところが森鴎外だとされる。
私は今、その森鴎外の全集を読んでいるのだ。鴎外を呼んでいるうちに氏の「切腹考」を思い出し、もう読むことは無かろうと思ったこの本を引っ張り出した。
実は以前伊藤さんからメールをいただいたことがある。その時はいたずらだと思った。
そして最後に「切腹考」を書いているから、読んでほしいというような言葉で締められていたように思う。
しばらくして、たしかにこの本が発刊され、あのメールはやはり伊藤さんからのメールだったのだと思った。
■伊藤比呂美著「切腹考」
残念ながらそのメールが残っていないが、この本の一刷が2017年2月だから2016年あたりのことか、5年ほど前の話である。