かって500石以上の禄を拝領している御家を 文化十三年御侍帳 から調べたことがある。これらの方々は、まさに当時のセレブだという事ができるが、それぞれの御宅の出自についてはよく承知していない。
三齋公は何方かを高禄で召し抱えるに就いては、「由緒」が必要だといっておられる。ならばその由緒を知りたいと思っているのだが、この500石以上の御宅と云うのは意外と出入りがある。侍帳から時代をおって眺めてみようと思っている
於豊前小倉御侍帳
30,000石 細川中務大輔立孝
25,000石 細川刑部興孝
御家老衆
30,000石 長岡(松井)佐渡守興長
3,200石 長岡(三渕)右馬之助重政
15,000石 有吉頼母英貴
6,500石 長岡(米田)監物是季
5,000石 長岡(沼田)勘解由延元
頭衆
5,000石 志水伯耆
1,000石 志水新之丞
5,000石 小笠原備前
3,000石 氏家志摩高光
3,000石 南条左衛門元信
1,000石 松野半斉
3,000石 澤村大学吉重
2,155石余 道家帯刀
2,500石 清田石見乗栄
1,250石 津川四郎右衛門
1,500石 谷 内蔵允
700石 細川七左衛門
500石 三渕藤十郎
500石 黒田蔵人
1,000石 牧 善太郎
500石 横山藤右衛門
500石 津川数馬
500石 後藤又市郎
500石 松野長蔵
御鉄炮(弓)頭衆
(鉄炮30挺頭)
1,500石 寺尾左助
500石 荒木助左衛門
600石 国友半右衛門
1,000石 井門亀右衛門
1,000石 伊藤金左衛門
800石 佐分利兵大夫
700石 芦田与兵衛
950石 田辺主水
1,000石 竹内吉兵衛
800石 佐分利作左衛門
500石 山路太郎兵衛
500石 牧 尉大夫
700石 友田次郎兵衛
550石 不破平大夫
500石 寺本八左衛門
500石 山川惣右衛門
1,000石 小坂半之丞
(鉄炮20挺頭)
500石 松山源之丞
800石 谷 忠兵衛
650石 西沢久左衛門
600石 坂崎半兵衛
(弓20挺頭)
1,000石 神西与三右衛
500石 黒部吉兵衛
物奉行
600石 長谷部文左衛門
500石 金森杢左衛門
500石 一尾伊織
500石 西川与助
500石 藤懸蔵人
馬廻組(一番組)
3,000石 三渕内匠昭正
700石 魚住嘉助
500石 黒田次左衛門
馬廻組(二番組)
1,000石 筑紫大膳
2,500石 谷 主膳
馬廻組(三番組)
1,000石 嶋 又左衛門
800石 西郡刑部
馬廻組(四番)
2,000石 藪 図書
700石 筑紫左近重門
500石 小笠原左京
馬廻組(五番組)
1,000石 松野左京
2,000石 藪 市正
500石 吉田縫殿
馬廻組(六番)
1,500石 遠坂越後
500石 志賀左門
供之者(一番)
1,300石 坂崎清左衛門
供之者(二番)
1,000石 加々山主馬可政
600石 村井内蔵
供之者(三番)
571石余 道家左近右衛門
供之者(四番)
2,050石 松井宇右衛門
供之者(五番)
1,000石 平野九郎右衛門
供之者(六番)
なし
側小姓
500石 朝山 斉
500石 明石源右衛門
700石 坂崎内膳
江戸江相詰衆
800石 松野織部
持筒頭
500石 加々山権左衛門
側鉄炮頭
500石 横田権之助
500石 湯浅角兵衛
医師并伽之者(17人)
600石 山田竺印
留守居組(62人)
1,000石 浅山修理
1,000石 田中兵庫
留守居組 従是巳下(163人)
600石 松山彦右衛門
500石 岡村十兵衛
三齋様御附中津ニ相詰候衆(137人)
10,000石 長岡(村上)河内景則
1,000石 中路宗悦
1,000石 蜂屋隠岐
1,000石 一色杢之助
1,000石 小川四郎右衛門
1,000石 槇島雲庵
1,700石余 魚住傳右衛門
700石 佐方与左衛門
600石 長船十左衛門
500石 福知平左衛門
500石 熊谷権大夫
500石 貴田権内
500石 志方半兵衛
500石 永良宗茂
500石 山本宗覚(三郎左衛門)
500石 高島兵助
500石 神戸喜右衛門
500石 清田五郎大夫
500石以上の士 104人 合計知行高 218,276石
その実態を明らかにしたいと思っております。
『下級武士の生活-細川家家臣の例としてー』の論述を考えています。データの参照のご許可を宜しくお願い致します。
又どちらかで発表されるものと思いますが、楽しみにしております。