津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

岩千代様

2010-03-20 14:49:50 | 歴史
 細川忠興の六男とされる松井寄之(岩千代)の生年が、「綿考輯録」では元和三年四月三日、「松井家先祖由来附」では元和二年四月三日とあって、どっちが正しいのか首をひねってしまう。後者だと元和三年正月十三日生まれ(綿考輯録)の興孝と入れ替わってしまうのだが。
いろいろな史料を見てきたが、殆んどが五男・細川刑部(天千代・興孝)、六男・松井寄之(岩千代)としている。これは「綿考輯録」に記述に準じていると思われる。現在「細川家譜」をご紹介しているが、その冒頭は細川家の系図である。驚いた事にここでは、岩千代(松井寄之)、天千代(細川刑部興孝)の順で紹介されていた。すなわち岩千代の生年は「松井家先祖由来附」が正しい事になる。この様な史料があるのに、どうして間違った状態で今日に至っているのか・・・天千代は一門として残った者、岩千代は養子として外へ出た者という故だろうか。重箱の隅をつつくような話だが、どうも合点がいかぬ。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 古地図と名所図会で味わう江... | トップ | 色-いろいろ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿