津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

明治22年M6.3熊本大地震

2008-10-26 14:56:34 | 徒然
 ここしばらくM家の墓所の調査をしている。その所在は、昭和17年頃荒木精之氏の貴い調査によって、本妙寺常題目(聴音禅寺)にあることが明らかにされていた。その事は唯一「平成肥後国誌」に貴重な写真が掲載されており、私は間違いない事実として理解してきた。私は数度現地を訪れて同寺墓域を探し回ったものの発見する事が出来なかった。実は同墓域と背中合わせにG寺の広大な墓域がある。ある奇特な方が歩き回って探し出していただきご連絡をいただいた。それはG寺の墓域にあった。荒木氏の文章と上記写真のイメージに執着するあまり、隣接するG寺に有ろうとは夢にも思わない結果だった。

 調査の結果思いがけないいろいろな情報をここから得ることになる。
無残に破断した墓石があり、なんとも痛ましい姿をさらしている。別のお墓には、大きな石が背後から覆い被さっている。県道熊本河内線の左側は島崎方面へ30メートルほど落ち込み、大きな傾斜地を形成している。その傾斜面にその墓域はある。その下方に近代的な建物の小山田団地がある。

 明治22年M家は一家を挙げて北海道に移住された。この年は日本帝国憲法ができた年であり、熊本市が誕生した年でもある。出発された直後であろうと推察されるが、7月28日熊本はマグニチュード6.3の大地震に見舞われている。多くの被害があったと伝えられている。本妙寺周辺でも野宿をする住民が多くあったという事に突然思い出した。そうかあの巨大な石は、本妙寺山から島崎方面へ転がり落ちた石だと思い至った。全ての疑問をこの一点で解き明かす事が出来る。

 いわゆる活断層「立(竜)田山断層」による大地震である。
        www.yotsuba-eng.com/katudansou.html
立田山~花岡山~独鈷山~城山等を通るこの断層の上に、細川家・加藤家の墓所がある。M家もまさにそうである。当時の被害状況がどうしたものであったのか、又勉強しなければならないことが一つ増えた。

 熊本を離れられたM家では、北海道に新に墓所を設けられ、熊本の墓所のことは時の経過と共に忘れさられた。というよりも伝承がなされていなかった様で、あることがきっかけでその所在をお知りに成り、小生も調査のお手伝いをしたわけである。
実に120年ばかりの時を刻んでいる。ご一族こぞってこの発見を喜ばれ、先祖供養の新たな動きが出てきた。喜ばしい限りである。あと数回現場を訪ねなければ成らない仕事がある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする