津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

「谷権右衛門」谷家先祖附から

2008-10-20 13:02:59 | 歴史
二代:谷権右衛門
祖父谷権右衛門儀実者荒木攝津守曾孫ニ而御座候 攝津守儀代々於京都将軍家江奉仕阿州播州と領地仕居候 其後信長公江従不申様子ニ而御攻被成子孫零落仕候 攝津守孫荒木権右衛門妙解院様御代被召出御御奉公仕候処先主板倉伊賀守様より御■御座候而其後御暇被下候 此者妻浄勝院様御養女ニ而御座候 右之通之様子ニ而荒木権右衛門世忰権右衛門儀刻浪人ニ而御国江居申幼少より姉婿細田栖隠方江育置細田氏と名乗を子分ニ仕居候 妙應院様御代曽我丹波守様御願ニ而権右衛門儀明應二年御児小姓被召出相勤居申候内右内蔵之允無御座候付而寛文之春内蔵之允江養子聟ニ被仰付候 同年閏五月十一日内蔵之允跡同無相違(二代)権右衛門ニ被為拝領長岡監物殿組ニ被召加候事 以下略

 ■の文字の読みは間違いないと思う。(つぶす)
 ■の文字がどうしても読めない、撥(はねる、はじく)の様にも思えるが、ハッキリしない。前のブログの四文字も読めないでいるが、要するに荒木権右衛門の細川家召出について、板倉伊賀守(勝重)が異議を唱えた為、離藩せざるを得ない状況があったように伺える。
       ja.wikipedia.org/wiki/板倉勝重
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「細田氏系図」から分かった事、分からない事

2008-10-20 09:57:31 | 歴史
先のブログに書いた、「細田氏系図」にある荒木克之に関する書き込みについてである。重複するがその部分を再掲する。。
「権右衛門号室ハ吉田三位左兵衛佐兼治卿ノ娘實長束三郎助信卿娘也 助信卿後改田中半左衛門ト号、(助・脱カ)信卿室ハ吉田兼治ノ女、兼治ノ室ハ幽齋公第六ノ姫御名伊也 始メ一色左兵衛義有ニ嫁セラレ後為吉田兼治室、克之幼少板倉重勝侯ニ仕、又有馬玄蕃頭ニ仕立退 其後忠利公ニ奉仕 重勝侯三嫉三推之以故御家ヲ退キ隠遁」

■分かった事
 田中半左衛門(長束正家子)が長束三郎助信と名乗っていたこと
■分からない事
 どう眺めても「三嫉三推」の文字である。これが果たして正解なのか、大変疑わしいまま掲載した。「嫉」という字は「にくむ、ねたむ」という語彙がある。坂倉重勝→有馬玄蕃頭→細川忠利」と主を替えたことに対し、重勝の思いをさっして細川家を去ったと解したのだが如何。ただし「之嫉之推」かもしれないし、違う熟語(?)かもしれない。
お分かりの方があれば、ご示教いただきたい。
コメント (1)
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「浄勝院様御養女」谷家先祖附から

2008-10-20 08:07:01 | 歴史
 又々「荒木氏系細田氏」の話である。
話を理解していただく為に細田氏系図を再掲しておく。

 谷家の先祖附を読んでいたら、谷権右衛門の項に「此者妻浄勝院御養女」と書かれている事に気付いた。浄勝院とは吉田兼治の妻・伊也(幽齋女)のことである。下記系図を作成するに当たり、いささか見切り発車的に憶測で書いた事が裏付けられて、ほっとしている。谷権右衛門は荒木克之の子、伯父栖隠(細田左馬介)に養育され養子となった。藩公の強い要請により義弟(室の弟)谷内蔵允の継嗣子となったものである。

 実は細田氏系図なるものは、A4判ほどの紙に系図が書かれ、細い小さな文字でぎっしり書き込みが有り、判然としない部分があった。荒木克之室については次のように書き込まれている。「克之:権右衛門号室ハ吉田三位左兵衛佐兼治卿ノ娘實長束三郎助信卿娘也 助信卿後改田中平左衛門ト号、(助・脱カ)信卿室ハ吉田兼治ノ女、兼治ノ室ハ幽齋公第六ノ姫御名伊也 始メ一色左兵衛義有ニ嫁セラレ後為吉田兼治室、克之幼少板倉重勝侯ニ仕、又有馬玄蕃頭ニ仕立退 其後忠利公ニ奉仕 重勝侯三嫉三推之以故御家ヲ退キ隠遁」
この文章は非常に理解しづらい。何度も読んでいると伊也の娘(田中半左衛門室)の子を荒木克之が妻とした事が伺える。つまりは浄勝院(伊也)養女である。
その旨を下記系図で表記したいのだが、線が結べなくて困り果てた結果、書き込みでお茶をにごすことにして一件落着とする。
 


                     十次郎・左馬介(細田姓)
  荒木村重---+--十次郎------村完(梄隠)---+==三郎権右衛門(谷内蔵之允為養子)
          |            ∥       |            初代       
         谷出羽守衛友---+--●姉      +===============梶之介・・・→(細田家)        
          |         |  初代            二代
          |         +--内蔵之允   +======権右衛門・・・・・・・・・→(谷家) 
          |             ∥--------|        ∥
  +--------------長岡好重-----●幾久     +----------●
 |        | 三渕伊賀守・幽齋末弟
 |        | 
 |        +--村勝----------克之----+--女子(栖隠妻)
 |                      ∥     |
 |                      ∥    +--村長-----梶之介(栖隠歿後養子・名跡相続)
 |吉田兼見---兼治           ∥    |
 |         ∥----徳雲院    ∥    +--弥平
 +---幽齋---伊也      ∥    ∥    |
                   ∥-----●   +--三郎(栖隠養育・為養子)
               初代  ∥  吉田兼治・伊也の養女
      長束正家----田中半左衛門・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→(田中家)



 
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