我が家の二代目太左衛門は、天和元年(1681)の幕府巡見使の「御国巡見」に際し下役で働いている。
先祖附にも次のように記している。
一、天和元年酉八月朔日御巡見之御衆奥田八郎左衛門様、戸川杢之助様、柴田七左衛門様御国内
御巡見被成候、就而御用被仰付、川尻より薩摩境まで相勤、同十六日罷帰申候
一、同年八月廿三日於御花畑大木舎人殿被仰渡候者、右巡見之御供衆日向より御帰之節所々御
宿等見繕諸事存寄之通ニ而、御役人等被差添南郷より南関迄罷越誤用相勤、同廿九日罷帰
申候上ニ而御褒美御銀二枚被為拝領候
一、同年九月七日より右巡見之御衆様日向より又御国内江御越被成候付而御用被仰付、南郷高森
より南関まで相勤申候、於南関奥田八郎左衛門様より被為召候而、御側方其外之御方江も
右之趣相伺候処、罷越様ニと被仰聞候故、早速八郎左衛門様御宿へ参上仕候処、御居間之
次へ被召寄、彼方様御家来米山太郎兵衛御目附後楢原又市郎を以段々御尋之儀共御座候を、
御首尾申聞仕候処、委細被聞召届候由ニ而、段々御懇之御意共ニ御吸物御酒迄被下候、罷
帰右御尋之趣一々申披候趣をも御側方ニ申上、右之御用始終申勤申候趣、委細覚書ニも仕
置申候
先にご紹介した人間文化研究機構・国文学研究資料館が発刊した、史料叢書10「藩の文書管理」に於いてはその著の過半を費やして、細川家文書が如何に分類保管管理されていたかを紹介している。
私は太左衛門が藩庁に提出したという、「委細覚書」の所在を調べていたのだが、皆目見当がつかずにいた。処がこの「藩の文書管理」において、ヒントになる記述を見つけていささかの光明を見た気がしている。
「年欠御蔵入目録 酉五印」の「五拾七番」~「六拾弐番」に125点ほどの文書が収められていることが分かる。このどこかに在るのだろうが、気が遠くなる数だ。文書の表題を睨みつけながら、該当文書を探している。
私のプロフィールに書いている「私の好きな作家」の一人、直木賞作家・森田誠吾さんが亡くなった。受賞作と成った「魚河岸物語」は大変印象深く残っている。NHKでドラマ化され、小林薫と歌手の今井美樹が主人公を好演した。1987年の作品だというから吃驚だが、今一度見てみたい気がする。「銀座八丁亭」も大好きな作品だ。何度読んだ事か。もう森田さんの新たな作品に出会う事が出来ない事が残念で成らない。
きょうの熊本は夏に帰ったのかと思わせる暑い一日、絶好の外出日和だ。ちょっと気になる案件があって本妙寺にいたる、熊本--河内線の坂道を駆け上がり、某寺の墓苑でお墓の調査、鳥肌が立つような思いがけない事に遭遇して、測量やらスケッチを1時間ほどして早々に帰宅。実はあと一件見ておきたい物があったのだが、これはまたの機会とさせていただいた。それぞれ関係者がおありだから詳細は省略するが、「歴史馬鹿人」としては誠に不思議な経験をした。積み重ねられていたお墓の幾つかの石を持ち上げていたら、腰にがくんときて思わずへたり込んでしまったが、・・・ご愛嬌である。66爺歳を考えて何事もやらにゃーいかんという事だ。