「旧陪臣代数及原禄根帳目録」のタイピングを完了、UPもどうやら済ませることが出来た。148家と先にご紹介したが、編集の段階でニ三重複している個所が見受けられ、145家と云ったところか。そのご家来の数はまだ完全に掌握できていない。1700~1800位ではないのか、現況数える元気がない。将来的には、「無禄士族基本帳」のUPを目指したいと考えているが、これは簡単にはお約束できない。その前にまだかたがついていない幾つかの仕事がある。まずは完了のご報告。
いろいろお尋ねがあって、それが御先祖探しのヒントになることが多々ある。知り得るデータは差上げるが、深入りはしない事にしている。後はご本人に委ねるのが一番なのだ。その努力の積み重ねが、より御先祖様に近づくことに繋がっていく。
今日も一つメールをいただいた。思いがけない報告をいただき、驚き入るとともに、そのご努力にも吃驚させられる。そして史料というものが、まだまだ残されている事を実感するのである。我がサイトも満五年を経過して、実に色々なことを知った。あと五年くらいは現役でやれるだろうと考えているが、新しい情報に遭遇する喜びを味わえる五年とも言える。ささやかなお手伝いを、喜んでいただける事が最上の「快感」である。
今日も一つメールをいただいた。思いがけない報告をいただき、驚き入るとともに、そのご努力にも吃驚させられる。そして史料というものが、まだまだ残されている事を実感するのである。我がサイトも満五年を経過して、実に色々なことを知った。あと五年くらいは現役でやれるだろうと考えているが、新しい情報に遭遇する喜びを味わえる五年とも言える。ささやかなお手伝いを、喜んでいただける事が最上の「快感」である。
三渕(ミツフチ)家の藤孝兄弟(1)~(6)については、その母親は清原宣賢女(智慶院)とする記述が多く見受けられるが、これは可笑しな話だろう。
■長兄・(1)藤英の父晴員は婿養子であり、生母は三渕晴恒息女(養源院)である。
姉・(2)宮川殿(武田信高室)、(3)佐々木越中守室なども養源院が生母であろうか。
■(4)藤孝自身はと言えば、これは清原大外記宣賢の息女(智慶院)が生母である。後、父晴員の実兄・細川元常の養嗣子となり細川氏を名乗るのである。
弟・南禅寺の(5)梅印元冲、大徳寺の(6)玉甫紹は智慶院が生母か・・・
■末弟・(7)好重の生母は山名民部少輔一雲斎息女である。末妹(8)(土御門三位久脩簾中)も同様であろうか・・・
養源院は離別させられたとの記述も見受けられる。智慶院を継室とする記述の根拠であろうか。
将軍義晴公も罪なことをなさる。
■長兄・(1)藤英の父晴員は婿養子であり、生母は三渕晴恒息女(養源院)である。
姉・(2)宮川殿(武田信高室)、(3)佐々木越中守室なども養源院が生母であろうか。
■(4)藤孝自身はと言えば、これは清原大外記宣賢の息女(智慶院)が生母である。後、父晴員の実兄・細川元常の養嗣子となり細川氏を名乗るのである。
弟・南禅寺の(5)梅印元冲、大徳寺の(6)玉甫紹は智慶院が生母か・・・
■末弟・(7)好重の生母は山名民部少輔一雲斎息女である。末妹(8)(土御門三位久脩簾中)も同様であろうか・・・
養源院は離別させられたとの記述も見受けられる。智慶院を継室とする記述の根拠であろうか。
将軍義晴公も罪なことをなさる。