津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■立政公御参勤 道中日記をたどる 1 (大渡川渡船)

2014-12-24 12:13:32 | 歴史

立政公(後・宗家齊護公)は正六ツ半(午前七時)に宇土陣屋を発駕して川尻へ向かう。

一、大渡川無御滞御渡船被遊候 少し間御川待被遊候

ここで大渡川(現・緑川)を渡船しているがしばしの時間を費やしている。宇土からの旧道は現在の緑川橋のあたりで国道三号線に出てくるが、渡船の場所は多分このあたりであろう。この橋を渡りやや行くと、又川尻旧市街に入る旧道がある。現在の川尻6丁目がかっての大渡町(+表示)で、その西側が富合町御船手、船頭衆700人ほどの町があった。対岸が川尻の港で御座船を始め150艘ほどの船が並び、25万俵を納める米蔵や奉行所・御茶屋などがあった。現在でも往時の風情をとどめている。

川尻の町中から川尻神宮の脇を走る旧道は、世安(ヨヤス)のあたりで現在の3号線に出て長六橋へ至っている。
長六橋の手前左側一帯が迎町、当時城下町で屋敷町が手狭になり設けられた町だが、ここで一行は一休みしている。(次回迎町界隈で) 

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■立政公御参勤 道中日記をたどる 「宇土支藩・城下町」

2014-12-23 16:04:26 | 地図散歩

         熊本史談会では一月から宇土支藩細川立政公の参勤に随伴した上羽氏の道中記を取り上げる。
         まずは出発地点の宇土藩陣屋周辺から勉強しようというわけである。

         (文政六年)九月十五日・晴
         今暁七ツ時御供揃ニ而益御機嫌能正六ツ半時御発駕被遊候 御家中之面々御目見例之場所罷出候也 

         上記地図は南北が上下さかさまになっているが、左手が熊本方面である
         参勤の行列は本道りへ出て右折、現在の宇土駅前方面へ旧道を通り川尻の渡しへ向けて進んだ。
         御蔵屋敷前に洗馬橋が見えるが、今なお当時の風情を残している。

                                「宇土市」の画像検索結果

         宇土藩陣屋跡 http://www.city.uto.kumamoto.jp/museum/pro/kinsei/hosokawajinnyaato.html

     
 

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■「日本史の森をゆく」・・・目次

2014-12-22 19:37:52 | 書籍・読書
日本史の森をゆく - 史料が語るとっておきの42話 (中公新書 2299)
 
                中央公論新社

この本は先に ■御恵贈御礼「日本史の森をゆく」 でご紹介したが、42名の著者のその内容をご紹介しようと思い目次を書いてみた。 

目次

 ■文書を読む、ということ
      ・正倉院文書は宝の山                    山口英男
      ・俊寛自筆書状をめぐって                  尾上陽介
      ・「婆沙羅」から考える                    遠藤基郎
      ・史料は正しく伝えられるか                 西田友広
      ・不完全な文書の魅力                    久留島典子
      ・明智光秀の接待                       金子 拓
      ・秀吉は「唐入り」を言明したか               鴨川達夫
      ・手紙が返される話                      松澤克行
      ・歴史資料と言説                       小宮木代良
      ・自分の花押を作ってみよう                林 譲

 ■海を越えて
      ・鳥羽宝蔵の「斯波国剣」                  田島 公
      ・杭州へのあこがれ、虚構の詩作             須田牧子
      ・中世の航海図を読む                    黒嶋 敏
      ・一休と遣明船                        岡本 真
      ・大航海時代、海を渡った日本人             岡 美穂子
      ・オランダ人は名誉革命を幕府にどう伝えたか     松方冬子
      ・出島と異国人女性                      松井洋子
      ・ロシアに持ち去られたフランキ砲の謎         保谷 徹

 ■雲の上にも諸事ありき
      ・聖武天皇の葬列と純金観音像              稲田奈津子
      ・『大内裏考証』---京都御所を造った故実研究    吉田早苗
      ・未婚の皇后がいた時代                  伴瀬明美
      ・中世一貴族の慨嘆                     菊池大樹
      ・貴族の日記と朝廷儀礼                  本郷恵子
      ・求む、お姫様                        末柄 豊
      ・財政から考える江戸幕府と天皇            佐藤雄介

 ■武芸ばかりが道にはあらず
      ・「東国の岩窟王」源頼朝                 高橋慎一朗
      ・土地裁判から見た鎌倉時代               近藤成一
      ・武士の文書作成---鎌倉時代の場合         小瀬玄士
      ・南禅寺・西禅寺・北禅寺                 山家浩樹
      ・室町幕府徳政令のかたち                前川祐一郎
      ・天正十年の改暦問題                   遠藤珠紀
      ・原城攻めに参陣した牢人たち              山口和夫
      ・旗本野一色家の御家騒動                荒木裕行
      ・江戸五品廻送令を再考する               横山伊徳

 ■村の声、町の声を聞く
      ・村祭りの光景                        榎原雅治
      ・百姓は主張する                      高橋敏子
      ・中世の赤米栽培と杜甫の漢詩             川本慎自
      ・中世の薬師寺と地域社会                及川 亘
      ・江戸城と江戸                        杉本史子
      ・「篠を引く」「篠引」の意味の変容            佐藤孝之
      ・数珠がつないだ商人たち                 杉森玲子
      ・戊辰戦争のはやり唄(トコトンヤレ節)         箱石 大

 ■編集後記
 ■参考文献
 ■執筆者一覧         

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■冬至

2014-12-22 17:33:49 | 徒然

        到来のユズを浮かべて ながゆ湯かな

 奥方が友人からユズを沢山頂戴した。おすそ分けであちこちにさし上げたが、まだまだたくさん残っている。
鍋物をしたときに使ったり、砂糖漬けやマーマレードにしたりしているが、それでもまだまだ残っている。

ならばとお風呂に浮かべて楽しもうというわけである。
朝の散歩の癖がついてから、帰るとシャワーを使うので晩にお風呂を使うことはめったになくなってしまった。
今朝はシャワー後、薄着のまんまでうろうろしていたらそのせいか鼻風邪をひいてしまい、クシャミの連発とともにティッシュの山を築いている。
今晩はそのユズを沢山浮かべてしっかり温まって「風邪退散」と参ろう・・・・・

                                    


 

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■狂った計画

2014-12-22 09:30:38 | 徒然

 熊本県立図書館の長期にわたる改修工事で、わが「新・肥後細川藩侍帳」の見直し作業が頓挫している。
先祖附を再確認するとともに、記載事項の出典を明らかにしようと考えているのだが一歩も前に進まない。
最近はPC作業により、右肩から右手上腕部、二の腕、手に恒常的に痛みがあって、これも私を悩ませている。
ノートPCはウイルスにやられていささかの資料を失くした。周辺機器にも不具合がでて買い替えの時期に来て、昨日も近所の電気屋さんに下見に出かけた。
5か月ほど続けている散歩も夏から秋の間は随分効果があって血圧も落ちたのだが、冬に入ってからは乱高下状態である。
左ひざも道を歩くには支障はないが、階段の上り下りに苦労するし、正座が全くできなくなった。

体力を維持して資料発掘のために歩き回りたいと願っている。
2020年の目標は替えることなく目標達成をめざし頑張ろうと、年末に至って改めて再確認している。

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■細川家・永青文庫叢書

2014-12-21 09:51:35 | オークション

                          1◎●細川家 永青文庫叢刊/汲古書院 不揃い1~14巻別冊の13冊

                            

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■御恵贈御礼「日本史の森をゆく」

2014-12-20 14:19:14 | 書籍・読書

 東大史料編纂所の42名の先生方がそれぞれの専門分野から、とっておきの逸話を集められた集大成である。
山口和夫先生の御名でお送りいただいた。まことに以て恐れ多いことだが心から御礼を申し上げる。

               http://www.chuko.co.jp/shinsho/2014/12/102299.html 

国内最高峰の研究機関の先生方が、古代から幕末までの興味深い出来事を判りやすく解説されている。一歩も二歩も一般の読者に近ずこう意識されているように思えてまことに好感が持てる著である。ご一読をお勧めする。

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■熊本藩の支配機構 「職制一覧」

2014-12-19 11:03:59 | 史料

 「熊本藩の支配機構」を17回にわたりご紹介してきたが、一覧があれば示してほしい旨のご要望があった。
「肥後細川家分限帳」(1991年9月11日発行・青潮社歴史選書5)から引用してご紹介する。

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■松寿庵先生 第124講

2014-12-19 07:08:27 | 史料

 

 

 

                                     

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■小笠原少齋のお墓

2014-12-18 08:25:07 | 熊本

 ある方からご連絡をいただき、熊本に旅行するにつき「小笠原少齋のお墓」を訪ねたいとのことであった。
今風にいう「歴女」でいらっしゃるようだが、「お止めになったが賢明ですよ」と申し上げたのだが・・・・・・それでもということで以下のようにご紹介した。  

                           

国道57号線から熊本大学脇の道を立田山の方へ登る。小峰墓地の前からリデルライト記念館の方へ右折、大きく迂回して東へ進む。
地図にジュネス黒髪とあるところを左折、袋小路の坂道なのだが突き当りのやや手前右側に墓地があるがこれは小笠原分家のお墓。
左手に人一人がやっと通れるような坂道があり、これを数十メートル進む。突き当りに石の階段がありここが小笠原家の墓地である。
特に表示もされていないので戒名「隆心院巧岩道忠」で墓石を確認する必要がある。
せいぜいジーンズにスニーカーといった出で立ちでお出かけになるように申し上げた。
ここをお尋ねになった人は熊本人でもあまりいらっしゃらないと思うし、ちょっと自慢にはなる。
ちなみに車は駐車するところがないので、「小峰墓地」か「泰勝寺」前の広場あたりにおかれて徒歩(10分ほど)ということになる。

さて皆様もチャレンジしてはいかがですか・・・・・・・・・・・・・・
 

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■熊本藩の支配機構--17・了 「再春館」「犬追物」「屋敷方」

2014-12-17 09:04:56 | 先祖附

 再春館

一、宝暦六年九月医学寮被仰付 其節ハ古町村之内町家明屋敷ニ作事有之 翌正月十九日開講有之候
一、村井見朴江師役被仰付候 岩本原理と申者も一同師役被仰付候 両人共佐弐役触二て御座候
一、合志杏庵ハ助講被仰付候事
一、再春館御目附も被仰付候事
一、町野玄寿江医業吟味役被仰付候事
一、医学寮被仰付候事ニ付 宝暦六年十二月一統被及御達候事
一、再春館紀律は村井見朴旨を受 忰村井椿寿認候事
一、正月十九日開講之節は 内膳殿并御奉行御目附出席有之候 其後は御家老ゟ罷出申候
一、安永六年五月ゟ試業相始候事
一、闘草会は五月六日ニ有之 宝暦九年ゟ始り申候
一、安永二年三月栗崎道節ニ指南被仰付 歩御使番・歩御小姓江金瘡一偏之療治稽古被仰付候事
一、明和五年十二月当時之所ニ再春館所替ニ相成候事
一、御薬園御建立ハ宝暦四年福間玄齊被仰付 其後再春館御目附受込 左候て同六年藤井源兵衛御薬園方御役人被仰付 今以源兵衛子孫相続仕 於竹部御薬草仕立申候事
一、右御薬園ハ蕃滋園と申候 村井見朴文字差上候を野呂玄丈老被相認候を 宝暦八年御次ゟ相渡り額ニ相成候事

 犬追物

一、騎射稽古於大慈寺河原致度由天明三年十一月伺有之 翌年閏正月其通被仰付候事
一、同五年二月ゟ椎田村ニて稽古有之候事
一、同七年二月齊藤権之助騎射師役被仰付 御物頭列ニ相成候 同日江良又十郎右師役被仰付 権之助江差添指南仕候様被仰付候事
一、寛政四年二月ゟ竹丸下ニて稽古有之候事
一、同十年十二月ゟ当時之場所ニ相成候事
一、諸事学校御目附請ニて無之 政府請ニて御座候事

 ■屋敷方

一、屋敷方之儀以前ハ屋敷奉行と申候 附属之根取物書等有之 別ニ明家奉行と申候役人有之 一局ニて北御門上之御櫓ニ相詰 屋敷奉行ハ御番方ゟ被仰付候処 宝暦六年御奉行ゟ
  上聞被仰付 屋敷方根取ゟ取計 屋敷奉行并明家奉行等被差止候 尤屋敷方江詰居候根取ハ段格持懸ニて役名屋敷方役人と改 明家奉行共ニ御奉行所ニ同年十月迄相詰居候処
  十月九日屋敷方役人明家奉行以下相改り当時之通相成候事

     文化九年
        八月

                                        (了) 

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■参勤交代豊前街道を行く

2014-12-17 08:30:48 | 歴史

 熊本史談会では一月から、宇土支藩立政公(のちの本藩齊護公)の参勤の模様を記録した上羽氏の道中記を取り上げようと思っている。
文政八年の道中記を取り上げるが、このときは豊前街道を北上している。熊本県内は少々は勉強したが、柳川領・秋月領・小倉領などについては勉強不足で、以下のWEBサイトのお世話になって付け焼刃の勉強中である。感謝

 

              熊本四街道 豊前街道  http://kumanago.jp/contents/yonkaido/map_buzen_index.html
              豊前街道を行く・熊本編 http://www.geocities.jp/bicdenki/buzenkaidou.htm
              薩摩街道を行く      http://www.geocities.jp/bicdenki/newpage86.htm
              坊津街道を行く      http://www.geocities.jp/bicdenki/satumakaidou-tikugo.htm
              秋月海道          http://www.asahi-net.or.jp/~jf7n-stu/index.htm

又、小倉からは海路船旅であるが、瀬戸内の地図がないかとググっているがまだ見出していない。
 

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■熊本藩の支配機構--16 「八代文武稽古所」その他

2014-12-16 12:43:36 | 先祖附

    八代文武稽古所
一、宝暦七年十一月八代ニて文武稽古所相始り候 学問所を伝習寮 武芸所を教衛場と称し申候 御城附之子弟且八代家来罷出候事
一、伝習堂講日究り有之候
一、明和元年より試業も有之候事

    佐敷文武稽古所
一、寛政二年十二月佐敷御番頭小笠原多宮依願出来被仰付候
一、講日ニハ御番頭・組脇・御目附罷出 武芸稽古にも御目附両人隔日罷出候事
  (付箋)「佐敷御目附之儀 文化十四年ゟ芦北御郡代之兼帯ニ被仰付候事」

    鶴崎文武稽古
一、享和元年六月ゟ脇儀一郎講釈仕 御番代以下出席仕候事
一、武芸も炮術を始従前々稽古仕候事

    江戸武芸稽古
一、寛政二年御建方ニ相成武芸稽古仕候 同十二年御馬場筋江引直し被仰付候処 文化三年御類焼 同八年再建ニ相成候 文学ハ御物見等ニて稽古仕候 訓導一人宛出府も被仰付候
  処 近年ハ相止居申候事

    川游稽古
一、明和六年池辺平八郎と申者 游方水練之門人多有之候付指南可仕段達ニ相成 白川ニて稽古仕候 以来師役連綿仕居申候 御家老試業も年々仕候事
一、八代御城附且帯刀家来ハ熊川ニて稽古仕候 右見■(扌に乄=締)として御城附在勤之内ゟ一人 無足之内ゟ両人罷出候 帯刀方見■之儀ハ彼方家来之内ゟ右同様罷出申候事
一、歩御小姓水練之儀は学校方ニは附属不仕候事
  但 此方游之伝来ハ寛永比江戸麻布之公儀之徒浪人河井半兵衛と申者居 古来之游泳法を覚居 其者を御國ニ呼出下ニ相成以来段々と取伝 白川八幡渕ニて稽古仕候事

    螺貝稽古
一、螺貝吹之事古代ハ有之候哉 百年来御貝吹と申儀不相伝 勿論貝を吹候者山伏之外一人も無之候付 正蔵院と申山伏元来貝之方巧者ニ付 謙信流之貝之吹様横田勘左衛門
  等ゟ相伝させ 正蔵院吹覚候上 歩御小姓之内ニ稽古仕せ候と 堀平太左衛門勝名私記ニは相見申候

一、貝師役之記録ニは宝暦十年十月正蔵院幽泉江歩御小姓之内入門被仰付 陣貝一式相伝仕候由 安永元年謙信流軍師横田勘左衛門江何れも懸合被仰付 御軍令御貝太鼓之
  法しらへ相調候と見へ申候 此已来ハ師役連綿仕居申候事 

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■ヤフオクを覗いてみました

2014-12-16 07:31:35 | オークション

                                        【夢たまご】肉筆!宮本武蔵「一行書」細川家旧蔵の印!

                                         【夢たまご】肉筆!宮本武蔵「一行書」細川家旧蔵の印!

                                        細川刑部家所蔵のものだったようですが・・・・・本物ならすごい


                                            重要文化財級!安土桃山時代写 細川幽齋 連句字書『和訓押韻』

                                     重要文化財級!安土桃山時代写 細川幽齋 連句字書『和訓押韻』 

                                     即決5,000,000円 スタートは3,000,000円から・・・・値段がすごい!!!

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■元禄十五年十二月十五日の細川家

2014-12-15 14:20:31 | 歴史

 元禄十五年十二月十五日未明に吉良上野介屋敷に押し入り、見事主君の仇を取った赤穂浪士は泉岳寺に詣でたあと、それぞれの預け先に引き取られる。
家老・大石内蔵助等十七人を預かった細川家の丁寧な応対振りは、すぐさま江戸の町々に好感を以て流布された。
接待役を務めた堀内傳右衛門の 「覺書」から十五日の有様を追ってみよう。

(まえがき省略)
一、元禄十五年午の十二月十五日、月次 御登城被遊候處、於 御城浅野内匠頭様御家来之内、拾七人御預之旨被 仰渡、芝泉岳寺え御侍中請取に被遣候段、従 御城、藤崎作
   右衛門上屋敷御使者に被参候、我等折節當番にて、町屋敷え罷出居申候、定て御人数之内にて可有之と存、直に同名平八方にて認等いたし、た直に罷越、十五日未の刻(午後
   一時)前上屋敷に罷出候事

一、三宅藤兵衛・鎌田軍太夫・平野九郎右衛門・横山五郎太夫。堀内平八・匂坂平兵衛、右之衆中裏附上下、物頭・御小姓組迄は羽織袴着、芝御屋敷へ被参候、物頭皆共迄は羽織
   裁付に而候事、左の人数

      三宅藤兵衛 鎌田軍之助 平野九郎右衛門 横山五郎太夫 志方彌次右衛門 原田十次郎 牧七右衛門 須佐美九太夫 匂坂平兵衛
      富島伊兵衛 堀内傳右衛門 林兵介 池永善兵衛 寺川助之丞 本庄喜助 吉田孫四郎 氏家平吉 澤庄兵衛 堀内五郎兵衛 竹田平太夫
      石川源右衛門 田中隼之介 池部次郎助 横井儀右衛門 宇野彌右衛門 下村周伯 原田元潔 木村権右衛門 関彌右衛門 郡次太夫
      堀内平八 野田小十郎 村井源兵衛 松浦儀右衛門 塚本藤右衛門 魚住惣右衛門 服部番右衛門
一、足軽百人余、篭十七挺、外ニ用心篭三挺、人数合七百五十四人と承り申候
一、御知行取不残馬にて、御屋敷より罷越被申候、芝御屋敷表御門前にて、芝御屋敷詰に出合申合せ、泉岳寺え参申筈之處に様子替り、仙石伯耆守様御屋敷にて受取り申筈に
   成り、彼御屋敷愛宕下に参候、此方様御人数は愛宕下細川和泉守様御屋敷に参り、御門内には侍中斗入候て亥の刻(午後九時)過に伯耆守様御屋敷に何も参り候事、此方様
   え之御預衆を一番に御渡被成候、三宅・鎌田・堀内三人御預り之面々受取下さるべき旨被仰渡候、則伯耆守様御列座にて被仰渡候、其外は御門外に居申候事

一、十七人之輩伯耆守様被仰渡候者、夫々に書付を御よみきかせ、内蔵之介は御側近く被召寄、十七人は細川越中守え御預被成候間左様に心得候哉、乗物にて被遣候儀、い
   かゞ思召候とも、老人又は怪我人も有之、指向付添参申候ため旁乗物にて参り候へは、段々被為入御念御事忝とたひ/\何も被申候事

一、十七人之衆何も駕に乗り、請取被とは御門外に各夫々請取揃候て、御紋付の大挑灯二ツ宛、自分挑灯一ツ宛、駕一挺騎馬一人、歩御使番一人宛付、御使番不足分は歩御小
   姓相勤、尤手負怪我人も有之駕を静に、細川和泉守様御門前より松平隠岐守様御屋敷前、愛宕横町に出、三島町筋より通り丁に出、芝伊皿子坂より目黒御門に入、役者之間之
   御玄関より御廣間櫛形之次御間より二座敷に被居申候、其夜はいつれも、先一つに着座有之候、尤道筋静に参り御屋敷え落付は、丑の刻(午前二時)過に相成申候事

一、右之面々を御渡之刻、乗物之戸なと明申者も候はゞ、其通に仕候て不苦被思召候、怪我人も候間、道も静に参候様にとの事故、堀内傳右衛門と申者付添参候、何ぞ御用も候
   歟、乗物戸なぞ明け申たく思召候はゞ、被仰聞候へと歩行之者へ申させ候

一、太守様早速御出被遊候、受取人数も其儘居申様にとの儀にて、其所に罷在候、扨十七人え御意之趣には、扨各今日之仕方新名に存候、是に大勢之侍共差置候にも不及事
   何とやらんおこかましく候へ共、公義に對し差置候間、皆々左様に御心得何ぞ相應の用事承候得と、番之御家来共之方を御覧被遊、最早夜更候間、先早く料理を給被申候様
   にとの仰にて、御入被遊候、いつれも忝奉存られ候體に見え候、夜更まて御待被遊、早速御對面被成候事、いつれも後々まて 有かたかり被申候事

一、其夜其儘御對面被遊候は太守様迄と承り、残三人御衆は以後に此方様御聞合被成御逢被成候事   

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