津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■芥川賞を読む

2015-08-19 15:32:33 | 書籍・読書

                           

 かっては定期購読していた文芸春秋、ぱったりやめて以降購入したこともないし図書館でページをめくった事もなかった。
それがいつの事かおぼえもないが、多分歴史の勉強に没頭し始めたころではないのか?と云うことは10年以上前と云うことに成る。
芥川賞を受賞して騒がれている又吉直樹の「火花」を読んでみようと思っていたのだが、わざわざ出かけた本屋さんは入荷待ちの状態であった。
急ぐわけではないからと思っていたのだが、昨日コピー用紙を購入しようと出かけたコンビニにこの本が売られていた。
1,000円札一枚をポケットに入れて出かけたのだが、コピー用紙二冊を買うとこの本は買えない。扨てどちらを買おうかと逡巡したがまずはコピー用紙を購入して帰る。暑い中又出直すには73爺としては勇気がいる。

今日高校野球をTV観戦してからにしようと思っていたら、両試合とも思いがけない一方的な仕合、途中で出かけて購入してきた。
「火花」ばかりでは片手落ちだと思っていたから、両作品が載っているこの号は有り難い。

今日はこちらに没頭しようと思っている。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■書の奥深さ

2015-08-18 10:50:19 | 徒然

 過日史談会の会員M氏のお取計いで、書家・K様をお訪ねした。実は史談会に御招きをしてお話を伺いたいと考えたからである。
毎回なにを取り上げようかと四苦八苦している私にM氏が助け船を出していただいたという訳だ。

いろいろお話をお聞きするうちに、そのお話がまことに面白く感激してしまった。「歴史の勉強をされている皆さんにどんな話をしたらいいのか」といささか戸惑われていたようだが、お聞きした御話をそのままで結構ですからと申上げたことであった。

我々が何時も親しんでいる古文書の文字とは、「書」の世界は全く異質なものである。私も時折であるが「三体千字文」などを手本に筆をすすめることがあるが、先生がお書きに成る流麗な「書」はまさに芸術であり日本文化の華ともいえる。

私は話を進めるきっかけとして、綱利公の書をご覧いただいた。「豪放な気質の殿様と聞くが書は繊細ですね」と御聞きすると、「繊細な中に豪快な気質が見て取れますよ」と仰る。七言絶句の所々の文字がそれを顕していると・・・・・
そしてその人の書を見ると性格などが良くわかると言われる。

話が及んで「達筆」と云う言葉に及んだ。よく「達筆ですね」という使い方は相手をほめる言葉なのかどうかに疑問をもっておられる方は多い。
先生のおっしゃったことを100%お伝えすることが出来ないが、達筆とは「我流を極めた」もの(それに類するもの)ということらしい。
「我流」という言葉が冠されていて、これにはお互い笑い声をあげたものだが、さてそうすると今から「達筆ですね」と云う言葉を使うのに難儀しそうである。

私はさきに「公私文格」という古文書をヤフオクで手に入れた。 

                          

 これは「くずし字用例辞典」ではない。「様」の文字が十七文字記されており、書状の宛先等により使い分けられていたことが判る。
正式文書においては我流の「達筆」ではまずいようで、この様な書き方が定められていた。
「くずし字用例辞典」をみると、63文字が紹介されているが50文字近くは我流と云うことに成る。しかし夫々「達筆」であることは間違いない。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■村々小前共江

2015-08-17 10:58:00 | 史料

 先日の「8月史談会史料「村々小前共へ」の読み下し分をご紹介しておく。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

                                      村々小前共江
                  今度我等知藩事の重任を蒙候ニ付而
                  朝廷之御趣意を奉し

                  正四位様厚き思召を継て、管内の四民うへこゝえの
                  うれへなく、各其處を得せしめむ事を希
                  ふ、中にも百姓ハ暑寒風雨もいとはす、骨折
                  て貢を納め、夫役をつとめ、老人子供病者
                  にさへ、暖ふ着せこゝろよく養ふことを得さるは、
                  全く年貢夫役のからき故なりしと我ふかく恥おそ
                  る、いかにもして此苦しミをとかむとおもへとも、今直に
                  本免をくつろくることを得す、先左之通
                  一上米 一口米三稜 一会所村出来銭
                  右稜々を差ゆるしぬ、はた又壱歩半米ハ凶年
                  損耗償の為に備をきしことにさむらへとも、向
                  後をさむるに及はす、是迄の請免を仮の定め
                  とこゝろへ、いよ/\農業に精をいれ、老若
                  を養育し、あまりあるものハ親類組合等
                  の難渋をすくひ、相互に人たるの道を
                  つくすへきもの也
                         七月        知事 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■放送90年ドラマ「救世済民の男」放送

2015-08-17 07:09:40 | 先祖附

  NHKではラジオ放送が始まって90周年を迎えるのを記念し、日本を代表する三人の経済人の生涯を描いたドラマ「経世済民の男」三部作をNHK 総合テレビで放送予定である。第一部では、大蔵大臣を歴任し日本のケインズと言われた「高橋是清」、第二部は現・阪急阪神東宝グループの創業者「小林一三」、第三部では電力事業の分割民営化を成し遂げ 電力の鬼 と呼ばれた「松永安左エ門」 を取り上げる。

さてその一部に登場する高橋是清は次のような人物である。

明治から昭和期にかけての銀行家,財政家,政治家。安政1年閏7月17日川村家の庶子として江戸に生まれ,仙台藩足軽高橋家の養子となる。横浜において英語を学び,慶応3(1867)年仙台藩の留学生として渡米,奴隷に売られるなどの辛酸をなめ,翌明治1(1868)年末帰国,森有礼の学僕となる。大学南校(東京大学)に入学,次いで教官3等手伝いとなったが放蕩のため辞職。以後多くの職業を経験したのち,同14年文部省に入り,すぐ農商務省に転じて商標登録,発明の専売特許の制度の立案実施に当たり,専売特許局長となる。22年,辞職してペルーの銀山の経営に当たったが失敗して,財産を失い逼塞。25年,総裁川田小十郎の世話で日本銀行の建築所事務主任に就職,26年正社員となり西部支店長(下関)として成績をあげ,28年横浜正金銀行本店支配人,30年副頭取として経営を刷新,32年日本銀行の内紛に際し日本銀行副総裁となる。37年,日露戦争に際して外債募集のため2度にわたって英米両国に出張し,戦費および内国債償還のため,5回にわたり1億500万ポンド(約9億円)の募債に成功。38年貴族院議員,40年男爵,44年日銀総裁。このころより原敬と積極的な財政政策について意見が一致し,大正2(1913)年山本権兵衛内閣に蔵相として入閣,政友会入党。同7年原内閣の蔵相として,鉄道,電話,教育などの支出を拡張して積極政策をとり,10年原暗殺ののち首相総裁を引き継いだ。13年の第2次護憲運動の際には隠居して衆議院に当選,加藤高明内閣に農商務相として入閣。14年総裁を辞して政界を引退したが,その後も蔵相として田中内閣,犬養,斎藤,岡田の各内閣に入閣,昭和恐慌後の景気回復を実現させ,「高橋財政」時代を築いたが,昭和11年,2・26事件の際暗殺された。(朝日日本歴史人物事典から引用) 

是清のペルーにおける銀山の経営について、今般五味篤氏著「銀嶺のアンデス 高橋是清のペルー銀山投資の足跡」が発刊された。
NHKドラマにおいてもこの著書から引用されているらしい。このペルー銀山開発にあたり、投資者の一部に旧肥後藩士が連なっており、特にA氏について略歴等についてお問い合わせをいただいたという経緯がありささやかな御縁となった。ドラマを通じて高橋是清に親しみたいと思っている。

                      放送:前編 8月22日(土)21時~   後編 8月29日(土)21時~ 

                                       イメージ 1

                        『銀嶺のアンデス 高橋是清のペルー銀山投資の足跡-』
                         著者:五味 篤      発行:アンドレス・デル・カスティージョ協会

                         販売価格:3,400円(税込・送料別)
                       ★郵送可能。1冊でしたら送料360円のレターパック、それ以上ご希望の場合は宅急便にてお送りし、
                         書籍代と送料を振込(郵便局/銀行)
いただくこととなります。
                        
                         注文は日本ペルー協会 事務局まで
                                          TEL:03-3595-6196
                                          FAX:03-3595-5598
                                          andes@krc.biglobe.ne.jp
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■8月史談会史料「村々小前共へ」

2015-08-16 11:34:38 | 熊本史談会

 熊本藩最後の藩主護久は先代藩主韶邦の隠居を受けて明治三年五月家督相続した。熊本藩知事に任ぜらるるや六月中旬藩士を城中に集めて、十一条に及ぶ藩政改革の要旨を説明している。そして七月に至ると知事細川護久の名を以て雑税免除の減税令ともいうべき、この「村々小前共へ」の直書が布告された。
農民の歓びは一方ならぬものがあり後に「知事塔」があちこちに建立されることに成る。現在確認されているものは九か所に及ぶとされる。
然しながら皮肉なことにこの肥後藩の大英断は周辺の藩の農民の知る所に成ると、同様の要求を藩に求め一揆の導火線となった。
そのことに対する藩知事・護久の悩みは深く、辞職を願うようになる。そして廃藩置県へと進み、のち実学党政権は瓦解するのである。
この文章は徳富蘇峰・蘆花の父・徳富一敬らが起案したものとされるが、まさかこのような結果を招くとは想像もしていなかったろう。 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■日本のいちばん長い日

2015-08-15 09:05:28 | 書籍・読書
決定版 日本のいちばん長い日 (文春文庫)
 
         文藝春秋

 

映画「日本のいちばん長い日」が評判のようだ。今回は阿南陸相を名優・役所広司、又昭和天皇を本木雅広が演じている。

この時期に成ると必ず手にするのが、原作となった「日本のいちばん長い日」である。私が持っているのは大宅壮一編の昭和55年の第16版である。
初版は48年5月だが私はかなり早い段階で購入して精読した。なぜだかこの本を持ち歩いていて飲み屋で紛失した。
まさにひんしゅくものである。そこで又16版を購入している。
現在この本は、平成7年からは半藤一利氏の著として発行されているが、それ以前の大宅壮一編というのは著名な彼の名前を拝借したというのが本当の事らしい。

8月14日の正午から15日の正午までの24時間を時系列で詳細に書かれているが、時間を刻んでの記述が緊張感をいやがうえにも感じさせる。
映画と共に若い人たちにぜひとも読んでいただきたいと思う。そして戦争の愚かさを自らの想いとして確固たるものにし、子や孫の時代まで末永く平和な日本が続くことを願いたいものである。大変危うさを感じさせる昨今の政治情勢にも大いに注目しなければならない。

                                                              

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■松寿庵先生・第155講

2015-08-14 07:20:09 | 史料
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

◆0.01 【肥後先哲評伝 日本談義 創刊3周年記念号】 昭和16年

2015-08-13 10:06:05 | オークション

◆0.01 【肥後先哲評伝 日本談義 創刊3周年記念号】 昭和16年

◆0.01 【肥後先哲評伝 日本談義 創刊3周年記念号】 昭和16年

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

★古地図/資料/大正五年/最新熊本市街地図/第六師団位置★

2015-08-13 09:59:07 | オークション

★古地図/資料/大正五年/最新熊本市街地図/第六師団位置★

★古地図/資料/大正五年/最新熊本市街地図/第六師団位置★

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■神風連関係

2015-08-12 14:24:50 | オークション

木版絵入◆明治太平記・神風連の乱◆明治8◆肥後国熊本和本古書  木版絵入◆明治太平記・神風連の乱◆明治8◆肥後国熊本和本古書

 

神風連烈士遺文集/荒木精之/熊本敬神党/祝詞・遺書/昭和19年

神風連烈士遺文集/荒木精之/熊本敬神党/祝詞・遺書/昭和19年

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■22日ぶりの雨

2015-08-12 08:46:19 | 熊本

 今朝7:30頃から雨が降り始めました。22日振りです。現在は雷も鳴り響いていますが、大雨と云った感じはありません。
しかし農家の皆さんにとってはまさに慈雨でありましょう。二三日続きそうですから暑さも一息ついてくれるでしょう。
私と云えばここ数日はひたすら外出を控え、高校野球をTV観戦しています。今日は第二試合で地元の九州学院が登場しますから、応援することに致しましょう 。又、熊本の某お寺の由緒に関する古文書が届き、読み下しの依頼がありましたのでぼつぼつ取り掛かろうと思いますが、判読に困るような文字が見受けられ難儀しそうな気配です。そろそろヤフオクで落した古文書も届きそうですし、こちらも楽しみで熱い間はしばらく古文書に取り組み、熱中症予防のため外出は控えることに致しましょう。
窓の外に聞こえる雨音がなんとも心地よく感じられます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■享和元年の政変

2015-08-11 09:46:33 | 歴史

2013-12-12の「改革の影に・・・」で、 享和元年十一月十八日御家老・遠坂関内大目附・津川平左衛門御奉行・入江十郎太夫の三人が閉門、のち蟄居(二年三月十八日)を仰せ付けられたことを書いた。
堀平太左衛門の宝暦の改革後、大奉行は志水才助を経て遠坂関内が務めた。宝暦の改革で一時は財政も好転したが、平太左衛門致仕後の寛政期には江戸入用、京都造営、島原大変、大水等により財政は再び悪化した。そんな寛政四年遠坂関内が大奉行に就任した。寛政五年には後ろ盾であった堀・志水が続いて死去している。そんな中で打開策として発行された「御銀所預(藩札)」が銀との兌換を拒否したため混乱を招き、藩当局内で意見の対立が起こり、遠坂・津川らが罷免されたものである。のちに奉行入江十郎大夫にも及んだ。この政変後大幅な人事が行われて緊縮財政派が消え、貨殖政策へと転換していく。 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■■豊後臼杵城江戸彩色写本『西遊雑記』和本古文書浮世絵大分■

2015-08-10 19:23:19 | オークション

 

                  ■豊後臼杵城江戸彩色写本『西遊雑記』和本古文書浮世絵大分■

                                                               ■豊後臼杵城江戸彩色写本『西遊雑記』和本古文書浮世絵大分■

 熊本史談会では「西遊雑記・肥後編」を勉強してきましたが、こちらは豊後・日向編、絵はその中の臼杵城の部分のようです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■落札「熊本藩公私文格」

2015-08-09 22:29:18 | オークション

                             a564和本  熊本藩 公私文格 古書古文書

久しぶりの古文書の落札。 添付されていた写真によると、中身に期待が持てる。何が書いてあるのか今からわくわくしているが、届くまでが待ち遠しい。
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2015-08-09 20:11:02 | 先祖附

 全国津々浦々暑い日が続いていますが、熊本は四日続けての36度越えとなりました。
例年に比べすごく暑いと感じるのは、7月22日以降雨が降らないからでしょう。
きょうは15時頃から雷がなりひびき、夕立ちが来ればと期待したのですが残念ながらポツリとすることなく終わりました。
火曜日ころには天気が崩れそうだと云いますから、これを待つしかありません。明日・明後日と36度越えを覚悟しなければならないようです。
図書館に本を返しに行かなければならないのですが、火曜日以降ということにしましょう。

自転車で出かけると、右の足がすぐつるというくせ(?)があるのですが、これは熱中症の症状なんだそうですね。
今日も甲子園の熱戦の中で、ピッチャーが手をつらせて交代したようですが、これも熱中症だと解説していました。

皆様も熱中症には油断されませんようお気を付け下さい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする