ポール・オースターの2007年の作品、『Travels in the Scriptorium』。中国への旅の本だと決めて持っていったが、機内では、普通、映画を観たりビールを飲んだり寝たりして、あまり読み進まないのだった。結局、帰国後数日経って、さっき読み終えた。
タイトルの「Scriptorium」という言葉はきいたことがなかった。調べると「写字室」、中世ヨーロッパの文字通り「書く部屋」という意味である。書斎などの言葉を使わなかったのは、オースターが「書くこと」自体を異化したかったのだろう。
主人公のブランクは、なぜか部屋に幽閉されている。老いていて、記憶がほとんどなく、身体が動くかどうかも自分ではっきりしない。部屋にある物にはすべてその名前が書かれたラベルが付されている。机には、よくわからない原稿と、ポートレート写真の束がある。
部屋には謎な人物が訪れる。そのたびにブランクは記憶をまさぐり、「私は何かあなたに悪いことをした」と、罪の意識に苛まれる。それらの人物たちは、他人の夢を思い出せと命じたり、原稿を読んでその続きを考えて報告せよと命じたり、赤子のようにブラウンを着替えさせたりする。
途中まで読み進んでようやく気がついた。ブラウンはオースターの分身であり、登場する人物たちは過去のオースターの作品において奇妙で不幸な運命に置かれた者たちなのだ、と。どうりで記憶の片隅にある名前が出てくるわけだ。『シティ・オブ・グラス』の探偵依頼人と探偵される者であるスティルマン親子。『鍵のかかった部屋』において「Neverland」という小説を書いて失踪したファンショーとその妻ソフィー。『最後の物たちの国で』のアンナ。小説の最後に至っては、『シティ・オブ・グラス』の探偵クィン、『ムーン・パレス』の(ビルドゥングスロマンらしく)成長する主人公マーコ・フォッグ、『リヴァイアサン』において自由の女神像を破壊するテロリストとなってしまった哀れなサックスらが次々と登場し、もはやオースター同窓会となってしまう。
あまりにも奇妙なメタフィクションだが、この小説は誰に向けて書かれたものなのだろうか。オースター・ファンに向けた同人誌的な小説、では少なくともないようにおもわれる。複数の世界と時間が交錯する世界を描いたものとして非常に面白く、運命的で、迷宮に迷い込んだようで、そしてオースター作品らしく後味が悪かった。もっとも、独立した小説として破綻しているくらい奇妙で内向きであることは確かだ。オースター作品は、シリーズとして読んで、オースター・ワールドとして捉えなければならないのか。
本棚にあるオースター関連本を集めてみたが、『スモーク』とか『最後の物たちの国で』とか『シティ・オブ・グラス』とか見当たらない。最近、柴田元幸が『シティ・オブ・グラス』の新訳(『ガラスの街』)を発表した雑誌『Coyote』(2007年10月)によると、この『Travels in the Scriptorium』はオースターが「枯れた男の五部作」と呼んでいる作品の最終作にあたるそうである。『ティンブクトゥ』と『幻影の書』(最近柴田訳が出たが、まだ読んでいない)は翻訳された。残るは、『Oracle Night』、『The Brooklyn Follies』、それから本書だ。このペースだと、いつ邦訳を読めるかわからないけれど。
「It is unclear to him exactly where he is. In the room, yes, but in what building is the room located? In a house? In a hospital? In a prison? He can't remember how long he has been here or the nature of the circumstances that precipitated his removal to this place. Perhaps he has always been here; perhaps this is where he has lived since he was born. What he knows is that his heart is filled with an implacable sense of guilt.」
●参照 ポール・オースターの『ガラスの街』新訳