すべて沖縄をテーマとした写真展である。
●平敷兼七『山羊の肺』(新宿ニコンサロン)
「伊那信男賞」の受賞理由として、写真というものが持たざるを得ない「過去」や「記憶」への視線が、この写真家については、積み重ねの集大成などによってではなく、あくまで過去も現在も厚く提示するいまのあり方においてこそ感じられるのだ、といったことが述べられていた。
この過去の厚みが凄い。売春婦たちの生活を捉えた作品群は、本人に断った上でなければ撮らないという前提を含めて見ると、そのナマの力に圧倒される。
日常生活のスナップは、国立近代美術館で開かれている『沖縄・プリズム 1872-2008』でも何点か同じものが展示されている。味があって良い作品ばかりだとおもう。しかし大きな違いは、本展ではその状況を言葉で説明したタイトルがつけられているのに対し、『沖縄・プリズム』では地名と年のみを記しているに過ぎない点だ。たとえば南大東島の木造家屋内で手に何かを持って横切る少女の写真がある。本展で、はじめて商売の手伝いのため客に灰皿を持っていく姿だとわかる。また、今帰仁で商店の前に座る老婆の素晴らしいポートレートがある。これもタイトルにより、集落の人々がみな脚を美しいと誉めている老婆なのだとわかり、さらにポートレートの魅力が増すようだ。首里の御嶽に手を合わせる女性の写真に、家族の幸せを願い祈っているのだとの言葉を付す、また、国頭村の奥集落で水遊びをしている子供たちの写真に、夕方になると集まって楽しんでいるのだという言葉を付す。こういったことでもイメージが増幅される。
このような場合、芸術価値の判断は写真だけによるべきだという批判もありそうだ。しかし、だとすると、それは極めて浅い考えにすぎないだろう。写真という報道性・歴史性をも持つ特性を置いておいても、言葉はあらゆるものに浸透する。
ちょっと感動的で、狭いギャラリーを何周もしてしまう。
●東松照明+比嘉康雄『琉球・沖縄 2人展』(キヤノンギャラリーS)
久高島のイザイホーをはじめ祭祀を撮ってきた比嘉康雄の作品には、被写体の持つアウラの中に自らも入っているような一体感がある。ここでも多くの祭祀が記録されている。それらは決してジャーナリスティックではないことが特筆されるべきなのかとおもう。
知念村(現・南城市)の斎場御嶽の写真ははじめて観たが印象的だ。森の中の空間にあって、風呂敷包みを持って立ちすくむ女性の姿が木洩れ日のなかに溶けている。おそらく露出不足のぎりぎりのところで成立したぎりぎりの写真である。
東松照明の写真と明らかにスタンスが異なることが、並べて見ると実感できる。東松写真は、自我が発達した<こちら>側が、それでも、斜から喰いこんで行く感覚だ。
しかし、この写真展の大きな特徴は、両氏の作品すべてがプリンターによる出力であるということだ。これは実はあまりにも大きい障壁だった。比嘉写真はすべて銀塩ネガがオリジナル、東松写真は最近はデジタルも多い(キヤノンのキスデジなど)。一部には、銀塩の印画紙と見分けがつかないものも確かにある。仔細に観ても、白黒フィルムの粒子までスキャンしてあるし、ミクロには問題ないのかもしれない(東松氏も、ネガの持つ情報量をすべて活かすためにデジタルにしたと語っている)。しかし、決定的に「何か」がないのだ(それは「厚み」や「深み」かもしれない)。会場をぐるぐると廻っているうち、無感動になっている自分に気がつく。比嘉康雄の有名な作品、久高島の風になびくクバの神木の写真や、海辺で2人の神女が草束を振る写真を観て、がっかりする。比嘉写真、東松写真ともに、同じネガによる銀塩プリントが『沖縄・プリズム』展に展示してあるので、観るならそちらだと正直におもう。
むしろ、東松写真でいえば、デジタルで撮られたもののほうが潔い。『アサヒカメラ』2006年11月号に発表された『なんくるないさぁ in 沖縄』の作品もいくつかあった。沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落による壁面の焼け焦げなど、痕跡に拘る写真家とマッチする方法かとも感じる。
東松照明『なんくるないさぁ in 沖縄』(『アサヒカメラ』2006/11)
●大友真志『Northern Lights 3 大東島』(photograhers' gallery)
人はひとりも登場しない。岩や草や水、それから使われているのかどうかわからない建物。上の商売そのもののギャラリーに比べると、銀塩プリントの力によって観続けてしまうのだった。