アーマッド・ジャマルも積極的には聴いてこなかったピアニストだ。ただ、また改めて聴きなおしたい思いはあったので、ディスクユニオンで『Ahmad Jamal A L'Olympia』(Dreyfus、2001年)の中古盤を見つけて買った。好みのサックス奏者、ジョージ・コールマンも参加しているという理由もあった。
1曲目の「Night Has a Thousand Eyes」から、いきなりゆるいというか、違和感がある。定型の何かに乗っていない、要は独自性ということになるのだろうが、そこにまたジョージ・コールマンのテナーがゆるくからんでいく。ゆるさというのは、ここでは甘さではなく、アナーキーさのベクトルである。ジョージ・コールマンのはっきりコードに乗らない吹き始めというのは、聴くたびに刺激される。エルヴィン・ジョーンズの『Live at the Village Vanguard』(ENJA、1968年)(>> 記事)でもいちばんの個人的なツボなのだ。最後のオリジナル曲「Aftermath」に至っては、やりたい放題、文脈とは別次元世界を並行して走り、ピアノを鳴らしまくる。
これまで好きなジャマルのアルバムは、ピアノトリオ作『The Awakening』(Impulse、1970年)だった。ハービー・ハンコックの「Dolphin Dance」、オリヴァー・ネルソンの「Stolen Moments」、アントニオ・カルロス・ジョビンの「Wave」といった、メロディーが売りの曲を演奏しているのが嬉しい。
それよりも凄みを感じるのは「I Love Music」において、螺旋のように美しくよじれていく時間であり、この響きはほかに類を見ない。よくこのアルバムは、クラブジャズやヒップホップで二次利用されるのだという(といっても、ジャズに変わった付加価値を付けて宣伝するための常套句ではある)。『BRUTUS』(2008/8/15、特集「chill out 心を鎮める旅、本、音楽。」)でも、「チルアウト」なCDのひとつとして紹介されていて、「独特のシャープなタイム感とピアノの透明感がとにかく美しい」と表現している(橋本徹)。
おそらく多くのジャズ・ファンが最初に聴くジャマルのアルバムは、『Ahmad Jamal at the Pershing / But Not For Me』(MCA、1958年)だろう。私も、マイルス・デイヴィスが「アーマッド・ジャマルのピアノ」を参考にしていたという逸話を念頭に置いて聴いていたが、不幸な聴き方だったかもしれない。音数の少なさや「間」だけを感じようとすると、まあそんなものかねとおもうだけである(その時点でもう感じる心が不自由になっている)。改めて聴くと、過激で異常な演奏に聴こえてならない。この時間の伸び縮みによる違和感はかなり癖になる。