ようやく、新宿ニコンサロンで、安世鴻の写真展『重重 中国に残された朝鮮人元日本軍「慰安婦」の女性たち』を観ることができた。
もともと、この写真展は開催直前に、ニコン内部の一方的な決定により中止になっていた。しかし、東京地裁・高裁が「ニコンサロンを安世鴻氏の写真展のために仮に使用させなければならない」との仮処分を発令し、ニコンは写真展を開くこととなった。ニコンサロンのサイトには、「これに従って、安世鴻氏に対し新宿ニコンサロンを仮にご使用いただくことといたしました。」とある。
「仮に使用」とは何だろう。使用するとは事実であり、仮も何もないのではないか。
今回のニコンの行動や態度は、企業としてのアイデンティティを自ら貶め、企業価値をドラスティックに下げるものだった。多くの人は、ベトナム戦争をはじめ多くの人間の抵抗を撮る道具を提供し続けたニコンがなぜ、という反応をみせたのだと思う。『世界』2012年8月号でも、赤川次郎が「ニコンFの誇り」という小文を寄せている。
「ニコンFは、数え切れない戦場で「真実」を写し取って来ただろう。ニコンはその誇りを忘れてしまったのか。」
もっとも、ニコンは、大日本帝国の戦争協力を行ってきた出自をもつ。小倉磐夫『国産カメラ開発物語』(朝日新聞社)によれば、巨大戦艦「大和」「武蔵」に搭載された15メートル測距儀の精度は大したものであったという。大戦末期、米国はすでに射撃用レーダーを完成していたが、日本軍はそれに伍する光学機器を持っていたのである。
ニコンの方に、なぜ本社を大井町にしないのかと訊いたことがある。それに対する返事は、皇居の視える場所でないとダメだと考える人が多いからだ、とのことだった。そうなれば、深いところにあるアイデンティティは「真実」ではなくそれか、と言ってみたくもなる。
それはともかく、写真群は素晴らしいものだった。
朝鮮から慰安婦として中国に連行された少女たちは、いまはみな老女になっており、故郷に帰ることができず中国にとどまっている。何かを訴えかける表情、当時を思い出す姿、日常生活において放心しているような様。モノクロで焼きつけられたそれらは、人間のものとして美しいと言ってもよい。多くの皺も美しい。それは誰でもがそうであるように。
もちろん、これらの写真群は、慰安婦問題の存在を訴えかけている。それとは別に、写真はアートとして屹立している。
皺皺の印画紙がまた効果的であり、永田浩三さんによれば、「韓紙」を使っているのだという(>> リンク)。
●参照
○『科学の眼 ニコン』
○陸川『南京!南京!』
○金元栄『或る韓国人の沖縄生存手記』
○朴寿南『アリランのうた』『ぬちがふう』
○沖縄戦に関するドキュメンタリー3本 『兵士たちの戦争』、『未決・沖縄戦』、『証言 集団自決』
○オキナワ戦の女たち 朝鮮人従軍慰安婦
○『けーし風』2008.9 歴史を語る磁場
○新崎盛暉氏の講演
○新崎盛暉『沖縄からの問い』