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自縄自縛日記

友田義行『戦後前衛映画と文学 安部公房×勅使河原宏』

2012-07-08 10:09:20 | アート・映画

友田義行『戦後前衛映画と文学 安部公房×勅使河原宏』(人文書院、2012年)を読む。

タイトルの通り、安部公房=原作、勅使河原宏=映画監督、という連携により創り出された作品群について論じた書である。劇映画としては、『おとし穴』(1962年)、『砂の女』(1964年)、『他人の顔』(1966年)、『燃えつきた地図』(1968年)の4本に及ぶ。勅使河原は、その後、安部公房『緑色のストッキング』の映画化を構想していたが叶わなかったらしい。

どの作品も好きな映画ばかりだ。特に『砂の女』と『他人の顔』は、大学1年生のとき、青山の花の館ビルで行われた上映に足を運び、こんな映画もあるのかと衝撃を受けた(高校生のとき、テレビで放送された『砂の女』を兄とこたつで観ていて、エロ場面になって寝たフリをしたら、本当に寝てしまった)。その後何度観たことか。

それだけに、本書からはいろいろな発見があった。

○安部にとって「前衛」「アヴァンギャルド」の核は、現実発見のための精神であった。言語にせよ、映像にせよ、奇怪なイメージの数々は、世界をあらためて発見するための仕掛けなのだった。(そういえば、筒井康隆が、『方舟さくら丸』を絶賛しつつ、その意味を説いた安部に対しては、作品解釈を押し込めるべきではないと批判していたことを思い出す。)
○勅使河原らが結成した<シネマ57>は数年間で活動を終えるが、実はそれは、ATGの母体となる発展的解散であった。
○映画史のなかに勅使河原の映画を位置づける際、ネオリアリズモジャン・コクトーフランソワ・トリュフォーの影響を忘れるわけにはいかない。
○両者の連携は、既存のモンタージュ論を大きく逸脱するものであった。そこには、流れる砂や皮膚のクローズアップなど、映像の肌触りそのものから形成される世界があった。表面は内面とも、人とも、等価なものであった。
○『おとし穴』の状況設定には、上野英信『追われゆく坑夫たち』が大きく影響している。両方とも、北九州の小さな炭鉱群を描いたものだった。
○すべてに通底するのは、地域社会や伝統的な家族といった共同体の破壊を描いていることである。(これは面白い指摘だ。ならば、別の映画史が立てられることになる。わたしも、ウソを共有し微笑む姿を破壊する安部公房に魅かれていたのだ。)

「連帯感を喪失した人々が国家や天皇制、家庭や宗教といった共同体へ回帰しようとする潮流に、安部は繰り返し批判を加えていった。安部の見解では、日本人の共同体意識には封建的な側面が根強く残っており、その延長上に愛国心や民族意識が位置づけられている。こうした共同体は構成員に忠誠心を強要することで結束し、他人・他者を暴力的に排除する性質を含んでいる。前近代的な秩序に支えられた疑似共同体へ回帰するのではなく、「他人」を積極的に発見し、直接的に関係性を結ぶ方法、すなわち「隣人」を介さない「他人」との新しい通路を安部は模索する。」

○『他人の顔』は、安部の原作・シナリオから大きく逸脱し、被爆者の女性というエピソードが挿入されている。広島のキノコ雲を近くで目撃した勅使河原の意向であった。被爆者の性を描くという点でほとんど他の映画に見られない試みだったが、それは成功しているとは言えない。何よりも、エピソードが、「顔」という特質を描くための手段として使われてしまっている。
○また、やはりすべてに、「立ちどまる」というアクションを見ることができる。『おとし穴』での停留、『砂の女』での移動と定着、『他人の顔』での行く先々での立ちどまり、そして『燃えつきた地図』での逡巡。

また4本の映画を観れば、さらなる発見があるに違いない。

●参照
勅使河原宏『おとし穴』
勅使河原宏『燃えつきた地図』
勅使河原宏『十二人の写真家』
勅使河原宏『東京1958』、『白い朝』
勅使河原宏『ホゼー・トレス』、『ホゼー・トレス Part II』
安部公房『方舟さくら丸』再読
安部公房『密会』
安部公房の写真集
安部ヨリミ『スフィンクスは笑う』
上野英信『追われゆく坑夫たち』