加藤千洋『胡同の記憶 北京夢華録』(岩波書店、2012年)を読む。
著者は「報道ステーション」でもお馴染みのコメンテイターだったが、もとは朝日新聞の特派員として長く北京に滞在した人である。その間、絶えず自転車で胡同を散策していたという。それだけに、胡同の姿が、実感と生活感を伴って描き出されている。
何でも、3ヶ月中国を離れたら、中国の最新状況など論じられないそうである。著者でさえ、「中国はね」とか「中国人というものは」と語る自信がまったくないと書いている。これとは正反対の人が多く、しばしばウンザリさせられるだけに、著者の謙虚さが好ましいものに感じられる。
そんなわけで、興味深いエピソードがたくさんあった。
○王府井ちかくの胡同には、胡耀邦や趙紫陽の屋敷があった。胡耀邦は1989年4月に急死し、その追悼集会が天安門事件に発展。趙紫陽は対応を批判され、鄧小平によって失脚させられた。(>> リンク) その後、胡耀邦は胡同に軟禁され、秘かに自伝をカセットテープに録音し続けた。発見されるのを恐れ、テープは孫の玩具箱に隠されていたという。(読もうと思ってそのままだ。)
○北京には牛街というイスラム街があり、中心に礼拝寺すなわちモスクがある(>> リンク)。文化大革命のときには、イマムさえも下放の対象となったが、牛街の人々が必死に礼拝寺を守った。
○胡同の写真集を出した徐勇は北京人ではなく上海人。商才たくましい人であるようだ(北井一夫さんもそのように呟いていた)。最近ではその徐勇は、ヌード+テキストによる作品群や、極端なピンボケによる作品群を出している(>> リンク)。それも、これを読んでいると、驚くほどのことではないのかもしれない。
○上海の名門ホテル錦江飯店の創業者は、董竹君という女性。「中国のおしん」とさえ称された苦労人で、波乱万丈の人生を語った自伝はベストセラーにもなった(邦訳あり)。ニクソンや田中角栄も泊まった。実はわたしも、一度仕事をもちかけるために泊まったことがある。うまくいっていれば話のネタになったのに。
○北京の三昧書店は、国営書店のみしかなかった時代にあって画期的な書店だった。何と内山書店(>> リンク)をモデルにしたのだという。次に北京に行く機会があれば、ぜひこの本屋を覗いてみたい。
○著者は、愛新覚羅溥儀の弟・溥傑に会って話をしている。穏やかな人柄で、存在感を感じさせる人であったという。なお、溥傑と日本人・嵯峨浩との結婚については、田中絹代が『流転の王妃』という映画を撮っている(>> リンク)。
○戦時中に化石が消えた北京原人についても、著者は関係者に会って興味深い話を聴いている。しかし、いまだ行方は杳として不明のままである。(>> リンク)
わたしも、気がついたら1年半も中国に行っていない。本書を読むと、時期は違えど、「春雨胡同」など、歩いたことのある胡同のことも書かれており、また、住宅地図を片手に胡同を散歩したくなってくる。しかし、変化の激しい北京のことゆえ、数年前に買った詳細な地図でさえ、もはや古いものになっているかもしれない。
●参照
○北京の散歩(1)
○北京の散歩(2)
○北京の散歩(3) 春雨胡同から外交部街へ
○北京の散歩(4) 大菊胡同から石雀胡同へ
○北京の散歩(5) 王府井
○北京の散歩(6) 天安門広場
○胡同の映像(1) 『胡同のひまわり』
○胡同の映像(2) 『胡同の理髪師』
○胡同の映像(3) 『胡同の一日』、『北京胡同・四合院』
○北京の冬、エスピオミニ
○牛街の散歩
○盧溝橋
○北京の今日美術館、インスタレーション
○2005年、紫禁城