交通事故で急逝したテオ・アンゲロプロスの遺作となった作品、『The Dust of Time』(2008年)を観る。『第三の翼』(この言葉も劇中に登場する)というタイトルで日本公開される予定だったにも関わらずまったく動きがないため、DVDを入手した。
※2014年1月に『エレニの帰郷』という邦題で公開
米国人映画監督のA(ウィレム・デフォー)は、イタリアのチネチッタで、父と母の映画を構想する。
1953年、ソ連。ギリシャ共産党の一部のスターリニストたちは、タシケント(現・ウズベキスタン)などに逃れ身を寄せ合っていた。そこに合流したAの父は、ずっと探していた恋人エレニに邂逅する。ひとときの逢瀬、しかし、その日はスターリンが死んだ日でもあった。ソ連当局に捕えられたふたりは、ふたたび引き裂かれてしまう。エレニは生まれた子(A)を連れてシベリアに送られ、その後、オーストリアへと移る。そこで、もう一人の愛する男(ブルーノ・ガンツ)と出会う。時が経ち、Aの父を探し出すが、彼は別の女性と暮らしていた。
現在の米国、カナダ、ドイツ。既にエレニはA、Aの父(ミシェル・ピコリ)、もうひとりの男(ガンツ)と再会している。Aは離婚し、失踪した娘(やはりエレニ)を探している。廃墟のビルから飛び降りようとしていた娘エレニを救ったのは、母エレニだった。これによりエネルギーを使い果たし死に向かう母エレニ。もう一人の男は絶望して川に身を投げる。Aの妻は姿を消す。そしてAの父と娘エレニは、手を取り合って、外へと歩きはじめる。
現在と過去とが、事実と想像とが交錯し、解り難い作品だ。Aの父は、過去においては、常に帽子をかぶった後ろ姿でのみ表現され、その役回りを突然Aが演じていたりする。また、現在の登場人物たちは同時に俳優でもあり、メタフィクションであることが示される。できれば字幕かシナリオがあれば、もう少し理解もできるだろう。日本公開されれば観に行かなければなるまい。
それでも、これは全盛期のアンゲロプロスからは程遠い作品だ。まさに時のフラグメンツが集積し、擾乱し、そのようななかでも現在も過去も同居したままに生きていくことの重みは、よく伝わってくる。だが、長回しにより、眼を充血させても世界を見せようとする気概は既にない。仕掛けばかりが目立ち、言ってみればあざといのである。