中川右介『松田聖子と中森明菜 1980年代の革命』(朝日文庫、2014年)を読む。
山口百恵の引退が1980年。それと入れ替わるように、1980年代の怪物ふたりが前後して登場してきた。本書は、同じ著者の『山口百恵』の続編として書かれている。
著者によれば、松田聖子は、徹底的に「どう見えるか」だけを戦略的に選択し行動できる天才であり、中森明菜は、逆に内面を痛々しいほどに見せつける天才であった。ふたりとも、物凄い歌唱力を持っていた。対照的な自己プロデュースの能力と歌の実力こそが、80年代の歌謡曲に革命を起こした源泉なのだった。そして、その過剰性のために、かたや「幸福」や「自立」を、かたや「不幸」や「孤独」を、私生活にまで侵入させてしまった。
本書は、この天才ふたりの芸能人生を、やや距離を置きつつ、同時にエンタテインメントとして描く。『ザ・ベストテン』を楽しみに観ていたことがある者(おもに40代以降?)にとっては、自分史の一部を「歴史」として見せてくれるわけであり、これはたまらない。ああ、懐かしいな。
違う個性や立ち位置のゆえに軋轢はなかったように思いこんでしまうが、そうでもなかったようだ。作詞・作曲ともにニューミュージックの才能を如何に取り込むかが勝負であり、松田聖子はユーミンが、中森明菜は井上陽水が「認めた」から、その実力が認識された。その陽水が中森明菜に提供した「飾りじゃないのよ涙は」には、「ダイヤと違うの涙は」という歌詞がある。これは、松田聖子が歌った「瞳はダイアモンド」(松本隆・ユーミン)への一刺しであったという。知らなかった。
●参照
中川右介『山口百恵』