Sightsong

自縄自縛日記

ハンプトン・ホーズ『Live at the Jazz Showcase in Chicago Vol. 1』

2014-11-20 07:52:45 | アヴァンギャルド・ジャズ

ハンプトン・ホーズ『Live at the Jazz Showcase in Chicago Vol. 1』(Enja、1973年)

Hampton Hawes (p)
Cecil McBee (b)
Roy Haynes (ds)

1950年代のハンプトン・ホーズしか知らなかった。というより、興味が向いていなかった。レコード店の棚でこれを目にしたとき、少なからず驚いた。後年のプレイで「St. Thomas」などを弾いていることもあるが、なによりサイドメンである。

とくに、ホーズより結構年下のセシル・マクビー。このとき、まだインディア・ナビゲーションや同じエンヤからリーダー作を出す前だった筈だ。この名ベーシストが存在感を高めてゆく時期なのかな。

聴いてみると、ホーズのピアノは50年代とはずいぶん変わっているようだ。ホーズがこの数年後(1977年)に亡くなったあとに書かれた山下洋輔のエッセイに、「しばらく前にはビル・エバンスに学んだ形跡があった。そしていま、再び何事かをつかもうとしていた時期だったのかもしれない」とある。ただ、確かに抒情的な色もあるものの、分厚い和音、硬質な音、ブルースは50年代と同じとも思える。

マクビーのベースは期待以上に奮起。アタックが硬く、ぐいんぐいんと弦を唸らせながら音楽を駆動する。この人のベースを聴くと、なぜか、気泡がたくさん入っている金属の塊などを想像する。


ジェラルド・グローマーさん+萱森直子さん@岩波Book Cafe

2014-11-19 23:32:43 | 東北・中部

岩波書店の「岩波Book Cafe」という場で、『瞽女うた』を書いたジェラルド・グローマーさんと、越後瞽女うたの伝承者である萱森直子さんのトークがあるというので、足を運んだ。(実は、7月に開催予定だったのだが、大雨で延期になっていたのだ。)

グローマーさんによると、今回の著作で強調したかったことは3つ。今では新潟だけに歌が残されているものの、瞽女(ごぜ)と呼ばれる人は新潟だけではなく、甲府、静岡、長野、岐阜、名古屋、千葉、九州、北海道などあちこちにいたこと(ただ、関西には資料がなく、また、東北ではむしろイタコなどの宗教者になってしまうという)。歴史を検証したかったこと。社会学的・文学的な研究対象としてではなく、音楽そのものの魅力を見出していること。

瞽女は、「御前」から由来しているように、差別用語ではない。しかし、社会の底辺にあって、年中旅をする障害者として、しばしば差別の対象になってきた。それに抗するための手段が組織化であり、スケジューリング、相互扶助、歌の伝承といった機能があった。彼女たちは、毎年同じ時期に同じ町にあらわれ、芸を披露した。

歌にも不思議な面があって、主に旋律は同じだが歌詞が次々に変わるといった特徴もあった。たとえば、お祝いの席においてや稲の苗に向かって歌った口説(くどき)のひとつ「正月祝口説」は、悲惨なる「心中口説」と同じメロディーであったという。

こういった特徴や、節回しの長さが不定形であることを含めて、萱森さんは、「形のないもので完成形がないが、間違いはある」と表現した。実際に、何曲か萱森さんが歌ってくれたが(「瞽女松坂」、「雨降り歌」、「正月祝口説」、「祭文松坂」の「石堂丸」)、確かに旋律がなんとも表現しがたいものだ。聴いていると、吸い込まれてしまいそうである。

●参照
ジェラルド・グローマー『瞽女うた』
篠田正浩『はなれ瞽女おりん』
橋本照嵩『瞽女』


田原洋『関東大震災と中国人』

2014-11-19 07:12:16 | 関東

田原洋『関東大震災と中国人 王希天事件を追跡する』(岩波現代文庫、原著1982年)を読む。

関東大震災(1923年)の直後、さまざまなデマに煽られて、一般市民や軍人や官憲が、一般市民を多数虐殺した。対象は朝鮮人と中国人であり、東京の言葉を流暢に話せない者も否応なく巻き込まれた(沖縄人もその中に含まれていた)。デマは官憲主導でもあった。また、それに乗じて、官憲や軍が常々目を付けていた活動家や運動家たちも殺害された(大杉栄殺害事件亀戸事件)。

本書は、当時の中国人コミュニティを取りまとめていた王希天という人物(吉林省出身)が、陸軍によって殺害された事件を検証している。

本書によれば、震災による死者・行方不明者14万余人のうち約8千人は、戒厳令と群衆心理によって引き起こされた「不当殺人」の犠牲者であり、大部分(6千数百人)は朝鮮人、400人以上が中国人、そして数百人単位の日本人が含まれていた。一方、より新しい研究書である加藤直樹『九月、東京の路上で』によれば、朝鮮人だけで1,000人以上、加えて中国人も200数十人~750人が殺されたと推定されるという。計算の前提や方法が異なるのだろうが、いずれにしても、これだけの人数が幅付きの概数でしか数えられないことがおそろしいことだ。

陸軍は、ひとりの軍人の思い付きによってではなく、組織的な命令のもと、王希天を背後から斬り殺した。そこにあったのは、おそるべき差別意識と、そうしても仲間内で許されると考える狭いタコツボ意識であった。事が国際的に発覚しそうになると、陸軍、警察、政府で入念な口裏合わせを行って、徹底的な隠蔽工作を図った。

こうなると、どうしても現在の状況との類似性を考えずにはいられないのだが、もうひとつ、メディア統制という類似性がある。王希天殺害事件について、小村という読売新聞の記者が大々的に記事にしようとしたところ、ごく少数が刷られたあとに、原版の活字がそっくり削られてしまったという(なお、後日、印刷されたものが発見されている)。警視庁の正力松太郎が読売新聞の経営権を買収し社長に就任するのは、翌年の1924年であった。(その後の正力の活動については、有馬哲夫『原発・正力・CIA』に詳しい。)

●参照
加藤直樹『九月、東京の路上で』
伊藤ルイ『海の歌う日』(大杉栄殺害事件)
藤田富士男・大和田茂『評伝 平澤計七』(亀戸事件)
山之口貘のドキュメンタリー(沖縄人の被害)
平井玄『彗星的思考』(南貴一)
道岸勝一『ある日』(朝鮮人虐殺の慰霊の写真)
『弁護士 布施辰治』(関東大震災朝鮮人虐殺に弁護士として抵抗)
野村進『コリアン世界の旅』(阪神大震災のときに関東大震災朝鮮人虐殺の恐怖が蘇った)


ミシェル・ドネダ+アラン・ジュール+齋藤徹『M'UOAZ』

2014-11-18 07:54:34 | アヴァンギャルド・ジャズ

ミシェル・ドネダ+アラン・ジュール+齋藤徹『M'UOAZ』(Scissors、1995年)。昔から興味があって、ようやく聴くことができた。

齋藤徹 (b)
Alain Joule (perc)
Michel Doneda (ss, sopranino)
Antonella Talamonti (vo; #2)

まるでブリューゲルの絵のように、かれらは、音楽を媒介に、さまざまな存在になりかわる。話に興じる人びとであったり、鳥獣であったり、街の鐘であったり、川であったり(実際に、水の音が聞こえる)、風でざわめく葉叢であったり。 期待を超えて素晴らしい音世界を体感させてくれる。この音楽は、より大きなものとの結節点のように感じる。

またライヴに行きたいものだと思っている。(齋藤さんからは企画のご案内をいただいたりもするのだが、なかなかタイミングが合わない・・・。)

●参照
ユーラシアンエコーズ第2章
バール・フィリップス+Bass Ensemble GEN311『Live at Space Who』
ミッシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹@ポレポレ坐
齋藤徹による「bass ensemble "弦" gamma/ut」
齋藤徹+今井和雄『ORBIT ZERO』
齋藤徹、2009年5月、東中野
往来トリオの2作品、『往来』と『雲は行く』
ユーラシアン・エコーズ、金石出
久高島で記録された嘉手苅林昌『沖縄の魂の行方』、池澤夏樹『眠る女』、齋藤徹『パナリ』
ミッシェル・ドネダと齋藤徹、ペンタックス43mm
ミシェル・ドネダ『OGOOUE-OGOWAY』


斎藤修『環境の経済史 森林・市場・国家』

2014-11-17 00:05:16 | 環境・自然

斎藤修『環境の経済史 森林・市場・国家』(岩波現代全書、2014年)を読む。

「日本は、古来から自然を尊重し、大事に育ててきた」とは、よく言われることである。しかし、それはイメージのみに基づく常套句であり、正確ではない。日本の「潜在自然植生」は、現在の姿とはずいぶん異なる(たとえば、関東にもともとあった植生は、シイ、カシ、タブなどの常緑広葉樹であった)。保全を目的とはしない人間の手が入った結果である。

本書によれば、江戸初期(17世紀)において、森林は激しく伐採され劣化したという。それを押しとどめたのは、海外で広く信じられているように「徳川幕府の中央集権的な伐採規制」などではなかった。官ではなく民の側こそが、森林の保全に長期的な利益を見出し、木材や薪炭材の市場と森林保全とをうまく組み合わせるような形を作り上げたのだという。

他にも、このような「神話」が挙げられている。産業革命が直接森林伐採に結びついたというストーリーも、地域の経済発展が森林減少を必ず引き起こすという因果関係も、正確ではない。ヨーロッパでは近代に森林が回復に転じており、単に「環境クズネッツ曲線」の事例として分析するほど単純ではないようだ。

一方で、中国の森林減少は統計的にも激しいもののようで、著者は、この要因を民族のメンタリティなどに求めるのではなく、統治の失敗にあったとしている。このあたりは仮説の域を出ないように思われるがどうだろう。近年、中国政府が非常に熱心に植林を進めていることはよく知られているが、そのあたりへの言及はなかった。効果と現在の問題点についても知りたいところ。 

●参照
上田信『森と緑の中国史』
只木良也『新版・森と人間の文化史』
そこにいるべき樹木
園池公毅『光合成とはなにか』
館野正樹『日本の樹木』
荒俣宏・安井仁『木精狩り』
東京の樹木
佐々木高明『照葉樹林文化とは何か』
湯本貴和『熱帯雨林』
宮崎の照葉樹林
オオタニワタリ
科学映像館の熱帯林の映像
森林=炭素の蓄積、伐採=?


『赤瀬川原平の芸術原論展』@千葉市美術館

2014-11-16 21:48:57 | アート・映画

実に久しぶりに千葉市美術館に足を運び、『赤瀬川原平の芸術原論展』を観る。赤瀬川さんは、この個展開催の直前に亡くなってしまった。

ずっと赤瀬川ファンのつもりでもあったので、その多彩な活動は概ね知っている。しかし、こうして実際にまとめて観ると本当に愉快だ。先鋭なアヴァンギャルドの部分と、笑いとともに共感してしまう部分とが微妙に重なっているところが、この人ならではである。

中古カメラのイラストの原画を観ることができたのも嬉しかった。精彩でいて少し震えるような線で描かれたものも良いし、『科学と抒情』の表紙にもなったペンタックスLXのイラストのようにざっくり描かれたものも良い。そして、カメラコレクションが数台展示してあるのも見ものである。特に、当時塗りの名人として名をはせた高橋兄弟による「黒塗りゾルキー」の現物なんて、もう(高橋兄弟の塗りは触っても絶品だそうだが、さすがにここでは体験できない)。

夢中になること間違いなし。遠方の方々もぜひ。


神尾健三『ミノルタかく戦えり』

2014-11-16 09:27:33 | 写真

神尾健三『ミノルタかく戦えり』(朝日ソノラマ、2006年)を読む。

カメラもレンズも、戦争と切っても切り離せない。朝鮮戦争の取材時に、D・D・ダンカンがニッコールレンズの優秀さを発見・宣伝し、特需も相まって日本のカメラ産業が伸びた歴史がある。レンズのコーティングは交戦時の測距のために重要視されたものだが、そのために必要な真空技術は、原爆開発のために研究されたサイクロトロンの技術によるところが大きいという。もとより、ニコンは国策会社であり、海軍の測距儀を得意とした。

大阪商人・田嶋一雄が創始したミノルタ(千代田工学精工)も戦争と無縁ではなく、海軍から、光学ガラスの溶融工場を作れ、コーティングの技術を開発せよといった命令を受けて苦労したのだという。

ただ、本書によれば、大阪にあるミノルタは他のメーカーとは性格を異にしていたようだ。商売のしかたはもとより、地理的な制約が大きかった。カメラ軍艦部(そういえば、この呼び方も戦争)の製造技術においては、プレス技術と表面処理技術が重要だったといい、その品質は、明らかに、舶来もの>坂東もの(東京)>阪もの(大阪)という差があった。もちろん、その後は、職人が1台ずつ調整しなければならない方法から、素人でも組み立てられる精度の部品を作る方法へとシフトしたわけである。

そのくだりを読んでいて思い出した。もう十年以上前に、「ミノルタA2」(1955年のレンズシャッター機)を中古屋で7,000円ほどで買った。愉しく何度か使ううちに調子が悪くなり、分解して調整し組み上げたのだが、まったく動かなくなった。慌てて「ナオイカメラサービス」の直井浩明さん(赤瀬川原平の本にもときどき登場する)に見せたところ、ネジの締め方がアンバランスだから歪んだのだとの言。普通に組んだだけなのに。結局、A2は手放してしまった。

本書には、戦後、さまざまなカメラやレンズを出していったミノルタの歴史が書かれている。神話のように語られる変人も、天才的な技術者もいたらしい。レンズでいえば、レンジファインダー時代の名レンズ・キヤノン50mmF1.8を設計した伊藤宏と並び称される存在として、ロッコール50mmF1.8を開発した松居吉哉という人がいた。わたしは後者のレンズを使ったことがないのだが、そう言われてみると試してみたくなってくる。

読んだあとに、研究者のTさんと、新宿ゴールデン街の「十月」にまた足を運んだ。写真展を開いている海原修平さんやほかのお客さんたちとカメラやレンズの話をしていると、なんだかまた気になるものが増えてくるのだった。


Tさんが保管していた、1997年の「海原修平写真展」。


ダラー・ブランド+ドン・チェリー+カルロス・ワード『The Third World - Underground』

2014-11-15 09:51:22 | アヴァンギャルド・ジャズ

ダラー・ブランド+ドン・チェリー+カルロス・ワード『The Third World - Underground』(TRIO Records、1972年)を聴く。

 

Dollar Brand (p)
Don Cherry (tp, perc)
Carlos Ward (as, perc)

JOEさんが書いているように、カルロス・ワードのサックスはパッとせず存在感が稀薄。

しかし、ダラー・ブランド(のちのアブドゥーラ・イブラヒム)も、ドン・チェリーも、かれらならではのリラックスしたプレイを披露している。

タイトルはまさに、オリエンタリズム的な視線のなかに封じ込めようとする意図を感じるのだが、幸いにも、かれらの存在感はそのような枠を何事もなかったようにはみ出している。

●参照
マックス・ローチ+アブドゥーラ・イブラヒム『Streams of Consciousness』
ウィルバー・ウェア『Super Bass』(ドン・チェリー参加)
エド・ブラックウェルとトランペッターとのデュオ(ドン・チェリー参加)
ドン・チェリーの『Live at the Cafe Monmartre 1966』とESPサンプラー
富樫雅彦『セッション・イン・パリ VOL. 1 / 2』(ドン・チェリー参加)
『Interpretations of Monk』(ドン・チェリー参加)
『Jazz in Denmark』 1960年代のバド・パウエル、NYC5、ダラー・ブランド(ドン・チェリー参加)
ザ・ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ(ドン・チェリー参加)
シャーリー・クラーク『Ornette: Made in America』 オーネット・コールマンの貴重な映像(ドン・チェリー登場) 


大野光明『沖縄闘争の時代 1960/70』

2014-11-15 07:41:43 | 沖縄

大野光明『沖縄闘争の時代 1960/70』(人文書院、2014年)を読む。

先日、沖縄問題に関わる友人から、沖縄とヤマトとの間の距離感や温度差のようなものについてどう考えるのかと訊かれ(おそらくそういうことだった)、当事者性ということがずっと気になっているのだと答えた。運動のなかでは、現場に身を置かないことには発言する権利はないとするスタンスがあるように見える。そのことが、一方では、ウチナーンチュになりきる者を生み、一方では、結局のところよそ者には本当のところはわからないとするシニカルな見方をも生みだす。しかし、しょせん他者は他者でしかあり得ない、それを前提として視野と感情のバウンダリを広げていくべきものではないのか、と。

沖縄の施政権返還(1972年)をはさんだ60年代・70年代のを追った本書を読むと、上のような問題意識は、当時すでに提起され、共有され、議論されていたのだということがわかる。それはつまり、<沖縄闘争>とは、「お前は何者か」という問いを他者にも自分自身にもたえず投げかけなければならないものでもあったのだろう。そのような時空間において、さまざまな運動が、思想という痕跡を残している。

1940年代後半の地上戦において多大な犠牲を被ったあと、沖縄は、一転して、冷戦(共産陣営への楔として)、熱戦(ベトナムへの出撃基地として)における積極的な機能を負わされてしまう。そのことへの視線と、沖縄・ヤマト・アメリカという垣根を越えた共鳴と連帯。

それだけではない。他者意識と当事者意識。ヤマトの下に置かれた植民地としての認識(「在日沖縄人」)と、他国での植民地主義への闘いへの共鳴。島唄や場末文化に自律性・自立性を見出す活動(竹中労)。

既にやり尽くされ終わった議論ではなく、たえず立ち戻らなければならない議論である。確かに再認識されるべき活動と思想とが、本書には集められている。 

●参照
鈴木邦男『竹中労』
小浜司『島唄レコード百花繚乱―嘉手苅林昌とその時代』
大木晴子+鈴木一誌『1969 新宿西口地下広場』 


プリマ・マテリア『Peace on Earth』、ルイ・ベロジナス『Tiresias』

2014-11-14 07:47:02 | アヴァンギャルド・ジャズ

ルイ・ベロジナスのサックス2枚。

■ プリマ・マテリア『Peace on Earth (music of John Coltrane)』(Knitting Factory、1994年)

Rashid Ali (ds)
Louie Belogenis (ts)
Allan Chase (ss, as)
Joe Gallant (b)
William Parker (b)
John Zorn (as: 1&3)

Prima Materiaはラシッド・アリを中心に結成されていたグループで、これは本人が活動を共にしたジョン・コルトレーンに捧げられた盤である。

アリのドラムスを聴くと、いつも、対象に絡みつき昇りゆく蛇をイメージさせられる。ここでも、小刻みでうねるようなパルスが音楽全体を覆っている。これがウィリアム・パーカーの音楽を駆動するベースと相まって快感の極みなのだ。

そして、サックス3人のなかでも目立つソロは、装飾音を並べ立てているようにしか聞こえないジョン・ゾーンよりもルイ・ベロジナスであって、かれは、雑念も何かの希求も無駄なものもすべて唾とともに吐き出してくる。

■ ルイ・ベロジナス『Tiresias』(Porter Records、2008年)

Louie Belogenis (ts)
Michael Bisio (b)
Sunny Murray (ds)

ラシッド・アリは2009年に鬼籍に入った。この盤は、それに先立つ2008年に吹き込まれているものの、同じ年に亡くなったベロジナスの父親とアリとに捧げられている。

ここでの聴きどころはサニー・マレイのドラムスである。アリと同様に水平軸のパルスを繰り出すマレイだが、アリとはまるで違った流儀でシンバルを多用し、全体を絶えず浮揚させ、天空の城を創り上げる。老いてもマレイは依然として素晴らしい。

ベロジナスは、サニー・マレイとは『Perles Noires Vol. I & II』において共演していた。アルバート・アイラーの影響を受けたと聞き、その際にはピンとこなかったのではあるが、なぜかいま聴くと納得させられる。ベロジナスの音は情念であり内臓でありど演歌である。


サニー・マレイ、メアリジェーン、1999年 PENTAX MZ-3、FA28mmF2.8、Provia400、DP

●参照
サニー・マレイ『Perles Noires Vol. I & II』(ベロジナス参加)
アシフ・ツアハー+ペーター・コヴァルト+サニー・マレイ『Live at the Fundacio Juan Miro』
サニー・マレイのレコード
エバ・ヤーン『Rising Tones Cross』
ラシッド・アリとテナーサックスとのデュオ
ジェフ・パルマー『Island Universe』(アリ参加)
アリス・コルトレーン『Universal Consciousness』、『Lord of Lords』(アリ参加)
アリス・コルトレーン『Huntington Ashram Monastery』、『World Galaxy』(アリ参加)
ロヴァ・サクソフォン・カルテットとジョン・コルトレーンの『Ascension』(アリ参加)


US FREE 『Fish Stories』

2014-11-12 23:16:21 | アヴァンギャルド・ジャズ

US FREE 『Fish Stories』(Fresh Sound、2006年)を聴く。

Bill McHenry (ts)
Henry Grimes (b, vn)
Andrew Cyrille (ds)

ヘンリー・グライムスアンドリュー・シリルに、ビル・マッケンリーががっちりと組んだ演奏。なぜこのような凄いトリオの録音が、今年まで眠っていたのか。キース・ジャレットの曲「Shades of Jazz」なんて3人が有機的に噛みあっていて嬉しい。

オーソドックスに攻めるマッケンリーは、まったく奇を衒ったところがないのだが、やはりこのようなガチンコ勝負のセッションを聴くといいなと思う。

しかし、相手はレジェンドふたりであり分が悪い。シリルのドラムスは泣けてしまうほどキレキレなのだ(今年、ヴィレッジ・ヴァンガードでマッケンリーと組んでの演奏を観たとき、その達人ぶりに心の底から惚れ惚れしてしまった)。そして、岩のような重さと妖しさとをあわせもつようなグライムスのベース。最後のエリントン曲「Come Sunday」はヴァイオリン・ソロであり、その揺れ動く音色にこちらも揺れる。


ヘンリー・グライムス(2007年) Leica M3、Elmarit 90mm(初代Mマウント)、TMAX400(+2)、フォルテ・ポリウォームトーンプラスRC、2号フィルタ使用

●参照
ビル・マッケンリー+アンドリュー・シリル@Village Vanguard
ビル・マッケンリー『Ghosts of the Sun』
アンドリュー・シリル『Duology』
アンドリュー・シリル+グレッグ・オズビー『Low Blue Flame』
ビリー・バング+サン・ラ『A Tribute to Stuff Smith』(シリル参加)
「KAIBUTSU LIVEs!」をエルマリート90mmで撮る(グライムス参加)


館野正樹『日本の樹木』

2014-11-11 23:12:34 | 環境・自然

館野正樹『日本の樹木』(ちくま新書、2014年)を読む。

ミニ樹木事典的なものかと思ったら、そうではなかった。それぞれの樹木は話のきっかけであり、なぜその樹木がそこにいるのかについての解釈やメカニズムが、ぎっしりと詰め込まれているのだ。針葉樹と広葉樹、常緑樹と落葉樹は、どのような得意分野を持っており、その結果、どう生き延びてきたのか。樹木と菌とはどのように共生しているのか。樹木の一生の長さはどのように決まってくるのか。・・・など、など。

たとえば、樹木の水分。極度に寒いときには、樹木は、細胞の中に糖などをため込み、さらに、細胞外で凍結した氷が細胞内の水を吸い出し、その結果どろどろになった水分はなかなか凍らない。逆に、そうでないときには、根の細胞が内部の管に糖などを放出し、それにより管内の浸透圧が高まり、土から水を吸い上げていく。つまり、樹木が自分の内部に糖などを放出しても、状況によって、水は出たり入ったりとまったく逆の動きをする。

ああ、なるほどねと思わされてしまう話ばかりである。これは面白い。まるで語りの芸。

●参照
園池公毅『光合成とはなにか』
荒俣宏・安井仁『木精狩り』
只木良也『新版・森と人間の文化史』
東京の樹木
そこにいるべき樹木
湯本貴和『熱帯雨林』
宮崎の照葉樹林
オオタニワタリ
科学映像館の熱帯林の映像
森林=炭素の蓄積、伐採=?


ハンナ・アーレント『暴力について』

2014-11-10 23:06:51 | 思想・文学

ハンナ・アーレント『暴力について 共和国の危機』(みすず書房、原著1969年)を読む。

本書には、「政治における嘘」、「市民的不服従」、「暴力について」という3つの論考に加え、アーレントへのインタビューが収められている。書かれた時代には、1968年という全世界的な抵抗のピークがあり、市民は泥沼化したベトナム戦争によって国家に対する疑念を強め、ソ連軍によるプラハ侵攻・アフガン侵攻がイデオロギーの死を宣告していた。

そのような時代に、アーレントは、歪み肥大化した国家権力に対峙するものとして、単に個人の良心に基づく抵抗を位置づけることはしなかった。なぜなら、個人の良心は、人間の作り上げてきた社会の体系や規範に直接的に依存せず、場合によっては独善的で誤った価値判断になりうるからだ。アーレントが高く評価したのは、「アメリカ的」なる自発的・水平的な結社であり(「市民的不服従」)、これは、社会主義による硬直化した組織体系でも、資本主義によるピラミッドの体系でもない。「抵抗権」も、この文脈のなかに位置づけられるのだろう。

そうすると、いまの抵抗のかたちはどうとらえられるのだろう。もちろん有象無象に見えるのだが、少なくとも、インターネットの介在が、自発性・水平性の創出に貢献しているのだと見たいところだ(無邪気な考えだとしても)。

アーレントは、人間の知性による社会体系やルールを信じ、そのために、帝国自身のイメージごときに回帰しようとした非論理性(「政治における嘘」)にも、硬直化した政治参加のシステムにも、熾烈な批判を行った。「暴力」というものに関しては、権力を持たぬ者が行使すれば一瞬の成功やカタルシスはあってもやがて自滅を避けえないこと、また、権力を持つ者が行使するときはその権力を失いつつあるときであることを示した(「暴力について」)。

彼女の思考は丹念でいて、かつ、あちこちへと発散する。したがって、(「凡庸な悪」のようには)キーワード的な手がかりや現代の問題への処方箋は、簡単には得られない。だが、あちこちに手がかりがちりばめられていることも確かである。

まずは、次の至言をかみしめてみる。

「・・・権力のいかなる減退も暴力への公然の誘いであることは、われわれは知っているし、知っているべきである―――それがたとえ、政府であれ、被治者であれ、権力をもっていてその権力が自分の手から滑り落ちていくのを感じる者は、権力の代わりに暴力を使いたくなる誘惑に負けないのは困難であるのは昔からわかっているという理由だけからだとしても。」

●参照
マルガレーテ・フォン・トロッタ『ハンナ・アーレント』
仲正昌樹『今こそアーレントを読み直す』
高橋哲哉『記憶のエチカ』


ジェシ・スタッケン『Helleborus』

2014-11-10 06:37:41 | アヴァンギャルド・ジャズ

ジェシ・スタッケン『Helleborus』(Fresh Sound、2014年)を聴く。

Jesse Stacken (p)
Tony Malaby (ts, ss)
Sean Conly (b)
Tom Rainey (ds)

リーダーのスタッケンのピアノは全方位外交的で、ときに抽象的な音を繰り返す感じがレニー・トリスターノのようで、悪くない。たくさんの鳥が周囲のそこかしこで羽ばたくようなイメージがあるトム・レイニーのドラムスも悪くない。

ただ、わたしの目当てはトニー・マラビーのサックスである。これまでと同様に、はじめに聴くときにはケレンが少なくて物足りないような気がするのだが、音色に実に味がある。強度の振幅も、周波数の振幅も、聴けば聴くほど素晴らしく感じてくるのである。ぜひ、ナマで観てみたい。

●参照
クリス・デイヴィス『Rye Eclipse』、『Capricorn Climber』(マラビー、レイニー参加)
イングリッド・ラブロック、メアリー・ハルヴァーソン、クリス・デイヴィス、マット・マネリ @The Stone(レイニー参加)
トニー・マラビー『Adobe』、『Somos Agua』
トニー・マラビー『Paloma Recio』
イングリッド・ラブロック『Zurich Concert』(レイニー参加)
イングリッド・ラブロック(Anti-House)『Strong Place』(レイニー参加)


張芸謀『帰来』

2014-11-09 23:09:04 | 中国・台湾

張芸謀の最新作『帰来』(2014年)を、インターネット配信で観る。

文化大革命末期。余(コン・リー)の夫の陸は、長いこと政治犯として獄中にある。娘の丹丹は、そのために、ダンスの主演を務めることができないでいた。ある日、陸が逃走し、余の待つ家へとやってくる。余には、物音も、静かに回るドアノブも、夫によるものだということがわかる。ドアには鍵がかかっていた。そして丹丹が帰宅する。文革思想に染まっていた丹丹は、父と母とがともに逃げようとすることを当局に密告する。

3年後。文革が終わり、陸も還ってくる。しかし、精神的なダメージを受けている余には、陸のことがわからない。父娘が何を試みても無駄。陸は、かつて自分が書き、届けられることがなかった大量の余への手紙を、他人として余に読み聞かせてやる。その中に、娘と仲直りせよと新しいメッセージを紛れ込ませたりしながら。

何年経っても、余は、夫の手紙に「5日に還る」とあったことを頼りに、毎月、夫が帰還してこぬかと駅に通い続ける。夫の陸とともに。

『サンザシの樹の下で』(2010年)に続く、張芸謀の文革物である。如何に中国人にとって、文革が精神的な傷となっているのかを思い知らされてしまうのだが、それも、かつて、語ること自体がなかなか許されなかったからでもあるだろう。謝晋『芙蓉鎮』(1987年)や陳凱歌『さらば、わが愛 覇王別姫』(1993年)といった例外はあっても、田壮壮『青い凧』(1993年)や張芸謀本人による『活きる』(1994年)は、共産党政策への批判だとみなされ、中国国内での上映が不可能であった。

本作では、人生の20年を台無しにされた陸や、それによって精神に変調をきたす余や、幼少時から差別を受ける丹丹は、その不満を政府に訴えることもなく、また、報いられることもない。張監督による当局への配慮というよりも、ありのままの文革を見せたかったのではないかと思えてならない。

逃走してきた夫のもとに行こうとする前の晩、余はゆっくりと粉をこね、饅頭を蒸す。翌日、駅では、当局に阻まれ、夫の手を握ることさえできず、せっかくの饅頭が陸橋の上に散乱する。また、その後、余はドアの横に「鍵は掛けないこと」と書いて、ずっと貼っている。

もう心が千切れそうである。映画巧者だということはわかっていても、心を動かされてしまう。

張芸謀
『紅いコーリャン』(1987年)
『菊豆』(1990年)
『紅夢』(1991年)
『活きる』(1994年)
『上海ルージュ』(1995年)
『初恋のきた道』(1999年)
『至福のとき』(2000年)
『HERO』(2002年)
『LOVERS』(2004年)
『単騎、千里を走る。』(2006年)
『サンザシの樹の下で』(2010年)