Sightsong

自縄自縛日記

万年筆のインクを使うローラーボール

2014-11-09 15:39:40 | もろもろ

ペンをよく使う。

筆圧が強くないわたしにとって、素早くたくさん書くためには万年筆がベストだということに気付いたのは、割に最近のことだ。

一方、万年筆はそれなりに使い方に気をつかうため、ボールペンやローラーボールも持ち歩く。昔ながらの油性ボールペンは書き味が悪く手が疲れる(もっとも、最近では三菱鉛筆のジェットストリームなど素晴らしいものがある)。ローラーボールはすらすら書けて好みだが、日本では主流ではなく品数が多くない。

ローラーボールには、できれば万年筆のインクを使いたい。フランスのエルバンが廉価なものを出しており、試したこともあるが、書き味が硬く、インクフローが渋い。しかも、残念なことに、カートリッジ専用である。ヴィスコンティやオマスといったイタリアの万年筆メーカーが、このようなものを出していることは知っているが、あまり出回っておらず、値も張る。

ローラーボールを巡る悩みは以上のようなものだが、最近、蔵前にある「カキモリ」という手作りノートの店が、万年筆のインクを用いる廉価なローラーボールを出したと聞き、早速訪ねて2本手に入れた。コンバーターが付いて1700円ちょっと、良心的。なお、この界隈には、わたしが遠出用に愛用する鞄を作っている「エミピウ」もある。

せっかくの透明軸なので、普段よりも鮮やかな色を使おうと思って、パイロットの「色彩雫」シリーズの「月夜」を詰めた。なお、万年筆とは違い、ペン先からではなく、コンバーター単体でインクを吸入する。インクがペン先まで浸みるのを待って使ってみると、確かにインクフローが良くて快適。文字には万年筆のように濃淡がある。これは嬉しい。

明日からの実戦投入が楽しみである。


月夜とローラーボール2本


ペン先とキャップ


パイロットの透明軸万年筆「カスタムヘリテイジ92」と並べても違和感がない

●参照
万年筆のペンクリニック
万年筆のペンクリニック(2)
万年筆のペンクリニック(3)
万年筆のペンクリニック(4)
万年筆のペンクリニック(5)
万年筆のペンクリニック(6)
本八幡のぷんぷく堂と昭和の万年筆
沖縄の渡口万年筆店
鉄ペン
行定勲『クローズド・ノート』
モンゴルのペンケース


ロイ・ローランド『Mickey Spillane / The Girl Hunters』

2014-11-09 09:28:09 | 北米

ロイ・ローランド『Mickey Spillane / The Girl Hunters』(1963年)を観る。

何しろ、パルプ・フィクションの原作者ミッキー・スピレイン自身が、探偵マイク・ハマーを演じているというのだから、好奇心を抑えないほうが難しい。そんなわけで、ついDVDを入手してしまった。

題材として冷戦を取り入れてはいるものの(スピレイン本人も共産主義の脅威を喧伝する人だった)、映画の99%は、妄想的なフッテージが寄せ集められている。

夜の街。酒場のチンピラ。残酷な殺し方。簡潔でぶっきらぼうな話し方(最後に「Why not?」が大好き)。男性至上主義。お色気シーン(いまいち、スピレインに「lovely girl」と言わせる割には魅力的でもないが、趣味の違いか)。ああ、アホらしい。

それにしてもスピレインはガッチリした体格をしているな。本人もパルプを地で行くような生活をしていたのだろうか・・・そんなわけはないね。

あれ?ジョン・ゾーンがスピレインに捧げた連作のジャケットは、この映画のスチル写真?

●参照
ミッキー・スピレイン、ジョン・ゾーン


ミルト・ジャクソンの初期作品8枚

2014-11-08 10:13:23 | アヴァンギャルド・ジャズ

この数日間、ミルト・ジャクソンの初期作品8枚がCD4枚に収録された『Eight Classic Albums』(Real Gone Jazz)を聴いている。

■ 『Mlit Jackson Quartet』(1955年)

ホレス・シルヴァーと組んだカルテットであり、昔から好きな盤。「I Should Care」なんて何度聴いても沁みる。

■ 『Plenty, Plenty Soul』(1957年)

ジョー・ニューマン、キャノンボール・アダレイ、サヒブ・シバブなど大勢の管楽器とともに繰り広げた賑やかなセッション。キャノンボールが高音に駆け上がったときのノイズ音が好み。

■ 『Jackson'sville』(1956年)

ちょっと地味なのか、あまり注目されてこなかったのかな。勢いよくシンバルのシャバシャバ音を鳴らすケニー・クラークは悪くない。

■ 『Soul Brothers』(1958年)

レイ・チャールズとの双頭盤。レイのアルトサックスは熱がこもってブルージー。

■ 『Bean Bag's』(1959年)

コールマン・ホーキンスとの双頭盤。いや~、塩っ辛い音のテナーサックスは良いなあ。これにトミー・フラナガン、ケニー・バレルも参加していて、悶える。

■ 『Bag's Opus』(1959年)

アート・ファーマーとベニー・ゴルソンがフロントで参加した盤。ファーマーの淡麗辛口のラッパは良いのだけど、ヘンにきちんとしたアンサンブルでの「I Remember Clifford」にはどうにも違和感が・・・。

■ 『Bags & Trane』(1960年)

ジョン・コルトレーンとの双頭盤。実はトレーンはあまり得意でないのだ。ノーコメント。

■ 『Soul Meeting』(1961年)

『Soul Brothers』に続くレイ・チャールズとの双頭盤。レイはここではピアノ。

こうしてずっとミルトのヴァイブを聴いていると、ブルージーで、品があって、本当に素晴らしいことがわかる。分厚くふかふかの絨毯の上で見事な踊りを見せるような名人芸であり、割れるような金属音や突き抜ける興奮も見せることはなく、すなわちいくら激しく踊っても、足の裏の摩擦で絨毯を傷つけるようなことはない。

いちどブルーノート東京で、ディー・ディー・ブリッジウォーターらと共演するミルトの姿を観たときも、そんな印象で、スタイリッシュさに感激してしまった記憶がある。ミルトは、辛子色のジャケットを着ていた。


『A Tribute to Miles Davis』

2014-11-06 07:26:43 | アヴァンギャルド・ジャズ

DVD『A Tribute to Miles Davis』(1992年)を観る。

それというのも、同じメンバーにより、亡くなったばかりのマイルス・デイヴィスに捧げたアルバム『A Tribute to Miles』(1992, 94年)を、公表された頃にずいぶん聴いていたからだ(もう手元にない)。この映像は、CD作品の収録より少し前の1992年7月2日に行われたスイスでのライヴである。

Tony Williams (ds)
Wallace Roney (tp)
Ron Carter (b)
Wayne Shorter (ts, ss)
Herbie Hancock (p)

当時、CDについて「新鮮味がない」との批判があったと記憶しているが、まあ、フォーマットやスタイルについては、実際にその通りである。いつまで良き時代の勢いを引っ張り続けられるつもりかと思うのも無理はない。しかも、マイルスの代役は、単なるフォロワーにみえるウォレス・ルーニー。

しかし、こうしてあらためて観てみると、かれらの腕前と存在感は途轍もない。まだ40代だったトニー・ウィリアムスのドラムスは、冗談のような重さと速度とを惜しみなく見せつけており(この数年後に亡くなるなんて誰が想像しただろう)、また、ウェイン・ショーターの魔界サックスも、ハービー・ハンコックの名人ぶりも、実に見事。普段はロン・カーターのベースを「ゆるゆる」だと嫌っているのだが、ここでのプレイは全体の方向を柔軟に操作しているようで悪くない。ルーニーだって煽られたせいか渋く堂々と吹く。

文字通りのスーパー・グループだったのだな。またV.S.O.Pなんか聴きなおそうかな、などと思ってしまう。

●参照
マイルス・デイヴィスの1964年日本ライヴと魔人
トニー・ウィリアムスのメモ
トニー・ウィリアムス・ライフタイムの映像『Montreux Jazz Festival 1971』
キャノンボール・アダレイ『Somethin' Else』


ジョン・ミッチェル『追跡・沖縄の枯れ葉剤』

2014-11-05 07:49:07 | 沖縄

ジョン・ミッチェル『追跡・沖縄の枯れ葉剤』(高文研、2014年)を読む。

ベトナム戦争において米軍が多量散布した枯葉剤は、それを浴びた人々を死に至らしめただけではなく、多くの出生異常を二次的、三次的に引き起こす結果となった。ここまでは、従来の常識である。

この数年で新たな常識になったことは、太平洋戦争では日本に対して、朝鮮戦争では朝鮮に対して、米軍が枯葉剤を含む化学兵器を使用したがっていたということ(すなわち、ベトナム戦争は活用の機会)。ベトナムへの出撃拠点たる沖縄において、枯葉剤を密かに貯蔵するのみならず、試しに使っていたということ。その危険性を、米兵にも、もちろん沖縄の住民にも、まったく知らせなかったこと。少なくない量の枯葉剤を、杜撰に埋め立て処分したこと。知花弾薬庫からの毒ガス漏出事件(1969年)とジョンストン島への移送(1971年)の際に(森口豁『毒ガスは去ったが』)、毒ガスだけでなく枯葉剤も処分の対象となっていたこと。

著者は、元米兵や、沖縄の元基地労働者に対して取材を行い、裏付けを行っている。元米兵たちは、証言によって、被害を認定する退役軍人省に報復されるのを恐れ、なかなか口を開かなかったという。丹念かつ執拗な取材があってこそ明るみに出た史実なのだろう。

枯葉剤を浴びた人たちを通じて、また不適切に廃棄されたことが認識されていない場所を通じて、この恐るべき戦争犯罪の被害はまだ終結していない。

●参照
『米軍は沖縄で枯れ葉剤を使用した!?』
沖縄タイムス中部支社編集部『基地で働く』
枯葉剤の現在 『花はどこへ行った』
石川文洋写真展『戦争と平和・ベトナムの50年』
石川文洋講演会「私の見た、沖縄・米軍基地そしてベトナム」
石川文洋『ベトナム 戦争と平和』
大宮浩一『石川文洋を旅する』
森口豁『毒ガスは去ったが』
伊藤千尋『新版・観光コースでないベトナム』
ノーム・チョムスキー+ラリー・ポーク『複雑化する世界、単純化する欲望 核戦争と破滅に向かう環境世界』
ノーム・チョムスキー+ラレイ・ポーク『Nuclear War and Environmental Catastrophe』


アダム・レーン『Full Throttle Orchestra』

2014-11-04 06:52:12 | アヴァンギャルド・ジャズ

アダム・レーン『Full Throttle Orchestra』(clean feed、2012年)を聴く。

Nate Wooley (tp) 
Susana Santos Silva (tp)
Reut Regev (tb)
David Bindman (ts, ss)
Avram Fefer (as)
Matt Bauder (bs)
Adam Lane (b)
Igal Foni (ds)

なにしろ、ケン・ヴァンダーマークやポール・ニルセン-ラヴらと組んだグループ「4 Corners」や、自身のグループでの『Absolute Horizon』におけるプレイが好きになってしまったのだ。奇妙なアウラを発散しまくるベーシストのオーケストラとなれば、リーダーがチャーリー・ヘイデンでなくても、聴かないわけにはいかない。

そんなわけで、ハッタリをかました変化球を想像して聴いてみたのだが、これがまったく違って、真ん中高めに気持ち良く決まる直球だった。管楽器のソロはそれぞれなかなかの役者ぶりであり、それを含めてグループの演奏全体が愉しさに満ち溢れている。

もちろん、レーンのベースはエゴイスティックにどの断面でも目立っていて、重すぎず軽すぎず、聴く者の身体と共鳴する。『北斗の拳』でいえば「雲のジュウザ」か。(たいした根拠なし)

次作にも期待。

●参照
アダム・レーン『Absolute Horizon』
4 Corners『Alive in Lisbon』


2014年10月、ウランバートル郊外のチンギス像

2014-11-03 22:56:36 | 北アジア・中央アジア

ウランバートル市内から東へ1時間半くらい走ると、巨大なチンギス・ハーン像がある。

高さ40m。表面は金属ゆえか造形がポリゴンのようで、その存在感は冗談のように大きい。いや冗談のはずはないが、それでも作るときに少しくらいはニヤニヤしたに違いない。まあ、それくらいチンギスが偉大視されているということである。

台座の中に入ると、また冗談のように巨大な靴。これは手作りのものとして世界最大で、ギネスブックにも登録してあるとのこと。エレベーターと階段で、チンギスが乗る馬の頭の上に出ることができる。振り返ってみると大きなチンギスの顔。もうすべてが過剰。

周囲にはゲルのキャンプ場なんかも整備される予定だそうで、完成したらぜひ宿泊してみたいものだ。夢でもチンギスを見たりして。


鷹匠


冗談靴


口琴


チンギスの手

※すべてMinolta TC-1、Fuji 400Hで撮影

●参照
2014年8月、ゴビ砂漠
2014年8月、ゴビ砂漠(2)
2014年8月、ウランバートル
2013年11月、ウランバートル
モンゴルの口琴
旨いウランバートル


ナオミ・オレスケス+エリック・M・コンウェイ『The Collapse of Western Civilization』

2014-11-03 19:13:34 | 環境・自然

ナオミ・オレスケス+エリック・M・コンウェイ『The Collapse of Western Civilization』(Columbia University Press、2014年)を読む。

ナオミ・オレスケス(ハーヴァード大)とエリック・M・コンウェイ(カルテク)は、『世界を騙しつづける科学者たち』(原題『Merchants of Doubt』=『懐疑論の商売人』)を書いたコンビである。そこには、タバコの健康影響、酸性雨、オゾン層破壊、地球温暖化、化学物質の環境影響といった分野において、いかに米国政府と巨大産業とが「結婚」を行い、一部の御用学者と利用しあう形で、ほんらいの危機に懐疑論をぶつけることによって対策を阻害してきたかが書かれている。本質的に相手にするに値しないような懐疑論であっても、メディアはまるで「論争」があるかのように取り扱い、また、懐疑論をぶつけたい側は、両論があることを盾にしてきた。日本でも、科学の「ためにする」懐疑論や、歴史修正主義の懐疑論は、まさに同じように利用されている。

本書は、『世界を―』に続き、その小説版として書かれたものだ。曰く、SF小説は将来を想像し、歴史家は過去を辿る。それに対し、本書は、科学的な知見に基づき、将来のある時点から過去を辿ったものである。

21世紀末。既に気候変動に伴う海水面上昇によって、オランダ、バングラデシュ、ニューヨーク、フロリダなどの低地は水没し、大規模な移住や都市機能の移転がなされていた。対策は可能ではあったが、コスト上の判断により、その地を棄てることが選択された。すなわち、犠牲になるのは常に低所得者であった。そのために、アメリカとカナダは合併し、北欧も大きな国家となっていた。

確かに、ヨーロッパ中世のペスト大流行など、過去にも大災厄はあった。しかし、それらとの違いは、「わかっていた」にも関わらず、有効な対策が講じられなかったことなのだった。直接的な要因は、科学の縦割り、科学が「確実に実証できること」ばかりを対象としてきたこと、利益を追求する巨大産業やそれと結託した為政者たちの行動(なんと、科学者たちの行動を抑圧するための法制度さえ出来てしまうのだ)、市場経済市場主義の失敗といったところ。

市場経済の失敗という点で、著者は、ハイエクやフリードマンといった経済学者について言及している。かれらさえも、新自由主義やリバタリアニズムの権化とばかりは言えず、政府の介入の必要性を認めていたのだという。ノーム・チョムスキーも同様の指摘をしていた(「資本主義的民主制の下で人類は生き残れるか」)。アダム・スミスは新自由主義のドクトリンのように扱われているが、実は、その本質は異なるものである。有名な「見えざる手」という表現もまれにしか出てこないのであり、しかもそれは、平等な配分を説くために使っているのである。スミスの言説は、新自由主義の都合のよいように変えられてしまっている、と。

ただ、『世界を―』と同様に、政府のあるべき介入を環境経済という形で解決しようとする考えについては、言及を避けているような印象がある。また、望ましい形の政府の介入として、中国政府が再生可能エネルギーに対して行っていることを称揚している点については、少なからず違和感を覚えた。それによって、中国以外の国の行動を歪め阻害する面があることも無視できないはずである。

いずれにしても、極めて真っ当で興味深い本である。そんなに長くもないので、ぜひご一読を。・・・といっても、アル・ゴア『不都合な真実』と同じように、シニカルな言説のなかに取り込まれてしまうかもしれないと思うと、ちょっとゲンナリしてしまうのではあるが。

●参照
ナオミ・オレスケス+エリック・M・コンウェイ『世界を騙しつづける科学者たち』
ノーム・チョムスキー+ラリー・ポーク『複雑化する世界、単純化する欲望 核戦争と破滅に向かう環境世界』
ノーム・チョムスキー+ラレイ・ポーク『Nuclear War and Environmental Catastrophe』
ノーム・チョムスキー講演「資本主義的民主制の下で人類は生き残れるか」
ノーム・チョムスキー『アメリカを占拠せよ!』
ジェームズ・ラブロック『A Rough Ride to the Future』
多田隆治『気候変動を理学する』
米本昌平『地球変動のポリティクス 温暖化という脅威』
小嶋稔+是永淳+チン-ズウ・イン『地球進化概論』
『グリーン資本主義』、『グリーン・ニューディール』
吉田文和『グリーン・エコノミー』
ダニエル・ヤーギン『探求』


海原修平写真展『新博物図鑑』

2014-11-02 11:39:32 | 中国・台湾

研究者のTさんと新宿ゴールデン街の「十月」に足を運び、海原修平さんの写真展『新博物図鑑』を観る。というより、海原さんや他のお客さんとダベりながら飲む。わたしたち2人は「謎の海原ファン」。

作品は、可愛いのか醜いのかよくわからない中国金魚のアップが中心で、その他に、ナナフシの脱皮など、珍妙なる存在ども。これらの金魚は、海原さんのブログにときどき登場していて気になっていた。確かに、見ようによっては呆けた日本人風であったり、おっさん風であったり、力士のようであったり。ふわりとした写りもあって、ヘンな世界に引き込まれる。

レンズは、キヤノンの古いFDレンズの50mmF1.4や50mmF1.8を使っているそうで魅力的。海原さんはフジのX-T1を持参しており、その引き締まった様子にもぐらぐらしてしまう。さらに、話に出てくるトプコール58mmF1.4、ライカのRレンズ。マウントを増やすことは魔の道だと思いつつ、またいろいろと使いたくなってくる。しばらく頭を冷やさなければ・・・。

 


ついでに隣の「凪」でラーメン

●参照
海原修平写真展『遠い記憶 上海』
三田の「みの」、ジム・ブラック
海原写真の秘密、ヨゼフ・スデク『Prazsky Chodec』
海原修平『消逝的老街』 パノラマの眼、90年代後半の上海
2010年5月、上海の社交ダンス