Sightsong

自縄自縛日記

ジェレミー・ペルト『Make Noise!』

2017-02-19 10:27:30 | アヴァンギャルド・ジャズ

ジェレミー・ペルト『Make Noise!』(High Note、2016年)を聴く。

Jeremy Pelt (tp)
Victor Gould (p)
Vincente Archer (b)
Jonathan Barber (ds)
Jacquelene Acevedo (perc) 

このところ、ジェレミー・ペルトは普通のジャズ・フォーマットに回帰し集中しているように見える。本盤もクインテットというべきか、カルテット+パーカッションというべきか。

ただ、『Tales, Musings and other Reveries』(2014年)やそれに先立つSMOKEでのライヴ(2014年)でもみられたように、きっと、打楽器をふたりとして強烈で複雑なビートを創りだし、その上で堂々としたトランペットを吹く路線の継続でもある。このビートが聴く者をボディブローのように攻める。聴けば聴くほど快感を覚える。

それもペルトの力強い剛球があってのことである。どこかで、ペルトはまろやかな音色で聴かせるトランぺッター云々と書いてあったが、とんでもない。ライヴを観れば、球の重さに驚くことだろう。

●ジェレミー・ペルト
ジェレミー・ペルト『#Jiveculture』(2015年)
ブラック・アート・ジャズ・コレクティヴ『Presented by the Side Door Jazz Club』(2014年)
ジェレミー・ペルト『Tales, Musings and other Reveries』(2014年)
ジェレミー・ペルト@SMOKE(2014年)
ジャズ・インコーポレイテッド『Live at Smalls』(2010年)
ジェレミー・ペルト『Men of Honor』(2009年)
ルイ・ヘイズ『Dreamin' of Cannonball』(2001年)


寺下誠『Great Harvest』

2017-02-17 23:12:42 | アヴァンギャルド・ジャズ

寺下誠『Great Harvest』(テイチク、1978年)を聴く。

Makoto Terashita 寺下誠 (p)
Bob Berg (ts)
Errol Walters (b)
Jo Jones Jr. (ds)
Yoshiaki Masuo 増尾好秋 (g) 

時代なのか、影響なのか、寺下さんのピアノはマッコイ・タイナーを思わせる。新宿ピットインにおいてエルヴィン・ジョーンズ・ジャズ・マシーンの一員として寺下さんが弾いたのを観たときも、そう思った。独特の和音を次々に重ねながら、熱く前に進むピアノである。

しかし、本盤を聴くと、それに加え、<日本>的なテイストを感じざるを得ない。余裕や懐の深さもあって、ついニッコリ。

わたしが過去に通っていた学校では、よく待合室で愉快な話をされていた(公園でサックスを練習している若者がいて、つい良いねえと声をかけちゃったよ、とか)。また、年に1回の発表会セッションでは、わたしが吹く後ろでピアノを弾いてくださった(自分が吹くのに精一杯でよく覚えていないが)。

ああ、ライヴに行きたくなった。


『宮沢賢治コレクション2 注文の多い料理店』

2017-02-17 21:43:16 | 東北・中部

『宮沢賢治コレクション2 注文の多い料理店』(筑摩書房)を読む。

どこかで筒井康隆が書いていたと記憶しているのだが、「注文の多い料理店」における、「二人は泣いて泣いて泣いて泣いて泣きました。」という表現の際立った肉感性。ルイス・ブニュエルを思い出すまでもなく、食べることはエロチックであり、食べられるとなればなおさらである。しかも、大の男ふたりが、である。「一ぺん紙くずのようになった二人の顔だけは、東京に帰っても、お湯にはいっても、もうもとのとおりになおりませんでした。」というラストシーンも、滑稽であり、かつ怖ろしくもあり、宮沢賢治の凄さを感じざるを得ない。

ところで、面白いことに、他の短編でも賢治は同じような表現を使っていることに気が付いた。大傑作「寓話 猫の事務所」でも、みんなに厭われている「かま猫」(寒くてかまの中で寝るからである)も、足を腫らしてしまい「泣いて泣いて泣きました」。「朝に就ての寓話的構図」では、蟻の子供たちが「笑って笑って笑います」。否応なく喜怒哀楽の心を持ち上げてくれる、たいへんな力である。それでも泣く5連発の「注文の多い料理店」の破壊力がいちばんである。

人びとと森とが当然のように呼応する「狼森と笊森、盗森」。夜中の透明感ある夢のような「鹿踊りのはじまり」。電信柱などに人格を持たせおおせた「シグナルとシグナレス」。静かにウットリと語るだけになおさら怖ろしい「オツベルと象」。音が聴こえるようで、齋藤徹さんがバッハを弾いていたときにその風景とシンクロした「ざしき童子のはなし」。つげ義春が描く辺境のような「泉ある家」。

少年時代に読んだもの、最近思い出したように読んだもの、はじめて触れるものなどがある。そのどれもが味わい深く、ときにギョッとさせられ、またときにほうとため息を吐かされる。

●宮沢賢治
『宮沢賢治コレクション1 銀河鉄道の夜』
横田庄一郎『チェロと宮沢賢治』
ジョバンニは、「もう咽喉いっぱい泣き出しました」
6輌編成で彼岸と此岸とを行き来する銀河鉄道 畑山博『「銀河鉄道の夜」探検ブック』
小森陽一『ことばの力 平和の力』
吉本隆明のざっくり感


ラファル・マズール+キア・ニューリンガー『Diachronic Paths』

2017-02-17 21:02:36 | アヴァンギャルド・ジャズ

ラファル・マズール+キア・ニューリンガー『Diachronic Paths』(Relative Pitch Records、2013年)を聴く。

Keir Neuringer (as)
Rafal Mazur (bass g)

ニューリンガーのサックスとマズールのベースギターとのデュオ。単なるストイックな即興のぶつかり合いではなく、また、どや顔での技術のショーケースでもない。各々がソロ・パフォーマンスを展開しながら、相手のことも常に気にかけているような、不思議な感覚である。

とくにニューリンガーについて、曲によってみせる貌の違いが面白い。「Second Path」では割れた音によるマルチフォニック・サウンド。「Third Path」では循環呼吸。「Fifth Path」ではエチュードにも聴こえる執拗な繰り返し。「Sixth Path」ではささくれた底辺での蠢き、ときに顔を出す傾奇者。

そして、マズールのベースギターがこれ見よがしでない闊達さであり、常に追求というものを思わせる。

半年以上前に「JazzTokyo」誌のコラムを翻訳しておきながら、そのレビューに耳と脳とが引っ張られるのではないかと思い、いままで聴かずにいた。あらためて、ジョン・モリソン(フィラデルフィアのDJ・プロデューサー)による文章を読みかえしてみると、確かに納得できる。

●参照
「JazzTokyo」のNY特集(2016/7/1)


本田竹広『I Love You』

2017-02-16 23:39:17 | アヴァンギャルド・ジャズ

本田竹広『I Love You』(TRIO、1971年)を聴く。

Takehiro Honda 本田竹広 (p)
Yoshio Suzuki 鈴木良雄 (b)
Hiroshi Murakami 村上寛 (ds)

 『The Trio』と『This Is Honda』に挟まれた作品。またこの数年後には『本田竹曠の魅力』も出されている。それらすべてと同様に本盤も傑作。

「Willow Weep For Me」の気怠く揺蕩うブルース。長い「Here's That Rainy Day」では頻繁にギアチェンジを行い、ピアノトリオでありながらフルコースを供する。また「I Love You」では華麗にスイングしたりもする。

村上寛のドラムスはスマートな戦闘機のようで目が覚める。

●参照
本田竹広『BOOGIE-BOGA-BOO』(1995年)
本田竹広『EASE / Earthian All Star Ensemble』(1992年)
本田竹広『This Is Honda』(1972年)
本田竹広『The Trio』(1970年)


ジェン・シュー『独儀:七つの息』@KAAT神奈川芸術劇場

2017-02-15 23:07:13 | アヴァンギャルド・ジャズ

KAAT神奈川芸術劇場において、『独儀:七つの息』と題されたジェン・シューのソロ・パフォーマンスを観る(2017/2/14)。

Jen Shyu (vo, dance, instruments)

ジャズ・リスナーにも見えないオーディエンスはどのような人たちなのだろう、日本人はむしろ少なかった。その多民族・多国籍な様子が、シューのパフォーマンスに相応しいようにも思えた。

ステージ上には、台湾の丸いリュート、韓国の琴、ピアノ、ジャワの赤い布などが置いてある。シューはそれらを使い、アジアの湿気が感じられるような物語を、弱弱しくも力強くもある声により、多言語で展開した。英語はわかっても他のことばは皆目わからない。韓国のパンソリは、盲目の男が娘と再会する物語のようであった(シュー自身が、パフォーマンスの途中で休憩を挟み、何を隠すこともないように説明した)。彼女のルーツは東ティモールと台湾である。おそらくパンソリは伝統という観点での「本物」ではない。そうなれば他の言語と文化によるパフォーマンスも「本物」かどうかわからない。

しかし彼女のパフォーマンスを魅力的なものにしているのは、そのような伝統の相伝ではなく、広いアジアを自身の裡に取り込み、表現として吐き出すという、越境性と個人性なのだった。

●参照
ジェン・シュー『Sounds and Cries of the World』(2014年)


清水ケンG『Bull's Eye』

2017-02-14 08:00:45 | アヴァンギャルド・ジャズ

清水ケンG『Bull's Eye』(Noke Jazz、1996年)を聴く。

Kenji Shimizu 清水ケンG (ts)
Shunji Murakami 村上俊二 (p)
Satoshi Kawasaki 川崎聡 (b)
Shoichi Takayama 高山昌一 (ds) 

わたしはこの前作の『The Reason』を当時聴いたのみだから、随分と久しぶりだ。

ちょっと香りのある音で前へ前へと吹き進むテナーは、スタイリッシュでもあり、ビリー・ハーパーを思わせる。ぜひナマで観たいものだ。気が付いたら清水ケンGさんはケンG、そして清水賢二さんに改名されている。山口や福岡で活動しつつ、ときどきは関東にも来ているようであり、次の機会をねらうことにしよう。

サウンドには、Sun Shipとも共通する愁いと熱さとがあって、実際に、Sun Shipの村上俊二と川崎聡がここでも参加している。村上さんのピアノは、散弾銃か撒き菱のようにばばばばばと音を散らして奔流を創りだす感覚で、とてもいい。

●参照
Sun Ship@大塚Welcome back(2016年)


伊藤智永『忘却された支配』

2017-02-13 23:18:04 | 韓国・朝鮮

伊藤智永『忘却された支配 日本のなかの植民地朝鮮』(岩波書店、2016年)を読む。

日本による朝鮮の植民地支配時代、多くの朝鮮人が実態的に強制労働させられた。実態的に、というのは、最初(1939年-)は企業の「募集」という建前だったが、その実は、朝鮮総督府のもとで警察組織が強制的に多くの者を連れていったからである。この制度はやがて建前が内実に合わせて「官斡旋」に変えられている(1942年-)。(このあたりの実状は、外村大『朝鮮人強制連行』に詳しい。)

そのうち少なくない者が厳しい差別的な職場で働かされた。結果として多くの死者が出て、また、そのことは郷里にも知らされず、ろくな埋葬もされず、死んでからも差別された。

本書の表紙にある山口県宇部市西岐波の長生炭鉱はそのひとつである。ふたつの通気口の間にある坑道の事故により、183人が生き埋めになった。犠牲者の4分の3は朝鮮人労働者であったという。ここはわたしの故郷の近くだが、暮らしていたころには、事故のことも朝鮮人労働者のこともまったく知らなかった。長い時間が経ったからばかりではない。視えない構造ができあがっているのだ。

地元の人びとや、研究者たちが、それぞれの場所において、地道な活動によって実態を追及してきた。そのような中で目立つ言説は、たとえば、「みんな同じ日本人であった、差別などなかった」とするものや、「かれらの貴い犠牲が発展の礎になった」とするものなどであった。しかし実態として犠牲のかたちには大きな差が出ている。また、亡くなった者には、「貴い死」などを選ぶ自由も、「礎」になることを選ぶ自由もなかった。これは一方的な物語なのである。

いくつか気になることや心にとめておくべきことがあった。

●福岡県桂川町の麻生(吉隈)炭鉱。この跡地には無縁墓地があり、500体あまりの遺骨の3分の1が朝鮮人労働者のものであった。つまり日本人との共同墓地であった。しかしこのことが明るみに出た1985年当時、ほとんどが朝鮮人労働者の遺骨だとのセンセーショナルな報道がなされた。慰安婦証言の「吉田証言」によって歴史の姿を極端(大袈裟)から極端(無かったことにする)へとねじまげた吉田清治氏が、ここにも絡んでいた。吉田氏に騙されたことについて、林えいだい氏はひどく悔やんでいるという。林氏の活動を取り上げた映画(西嶋真治『抗い 記録作家 林えいだい』)でも、約500体の遺体は主に朝鮮人労働者だと説明していたと記憶しているのだがどうだろう。

●三重県熊野市の紀州鉱山。ここには、タイとビルマの間を結ぶ泰緬鉄道の建設のために酷使されたあとの英国人捕虜が連れてこられていた。かれらは全員、刻銘された墓に弔われている。連合国側の心象を良くするためであったとも言われているようだ。その一方で、仲間であったといいながら朝鮮人労働者については通名しかわからず故郷も判明していなかったりもする。ここにも差別があった。(ところで、泰緬鉄道の建設現場においても、植民地出身者が戦犯として差別される姿が、内海愛子『朝鮮人BC級戦犯の記録』李鶴来『韓国人元BC級戦犯の訴え』に書かれている。)

●なお、同市において、関東大震災直後のデマによる朝鮮人虐殺事件(加藤直樹『九月、東京の路上で』など)があったわずか2年後に、ちょっとしたきっかけで「仕返しにダイナマイトでやられるぞ」とデマが飛び、同じ構造による朝鮮人虐殺事件が起きている。

●日清戦争(1894年-)のはじまりは、朝鮮の農民戦争(かつては「東学党の乱」と矮小化されていた)に対する近代兵器での虐殺であった。日本側の戦死者はわずかに1人。その1人でさえ、歴史の修正のために、清国との戦いで亡くなったという改竄がなされた(中塚明・井上勝生・朴孟洙『東学農民戦争と日本』井上勝生『明治日本の植民地支配』に詳しい)。しかし、その証拠は、高知市にある軍人の墓石に残されていた。

●参照
西嶋真治『抗い 記録作家 林えいだい』
奈賀悟『閉山 三井三池炭坑1889-1997』
熊谷博子『むかし原発いま炭鉱』
熊谷博子『三池 終わらない炭鉱の物語』
上野英信『追われゆく坑夫たち』
山本作兵衛の映像 工藤敏樹『ある人生/ぼた山よ・・・』、『新日曜美術館/よみがえる地底の記憶』
本橋成一『炭鉱』
勅使河原宏『おとし穴』(北九州の炭鉱)
友田義行『戦後前衛映画と文学 安部公房×勅使河原宏』
本多猪四郎『空の大怪獣ラドン』(九州の仮想的な炭鉱)
佐藤仁『「持たざる国」の資源論』
石井寛治『日本の産業革命』
内海愛子『朝鮮人BC級戦犯の記録』
李鶴来『韓国人元BC級戦犯の訴え』
植民地文化学会・フォーラム『「在日」とは何か』
泰緬鉄道
罪は誰が負うのか― 森口豁『最後の学徒兵』
大島渚『忘れられた皇軍』
スリランカの映像(10) デイヴィッド・リーン『戦場にかける橋』(泰緬鉄道)
服部龍二『外交ドキュメント 歴史認識』
波多野澄雄『国家と歴史』
高橋哲哉『記憶のエチカ』
高橋哲哉『戦後責任論』
外村大『朝鮮人強制連行』
井上勝生『明治日本の植民地支配』
中塚明・井上勝生・朴孟洙『東学農民戦争と日本』
小熊英二『単一民族神話の起源』
尹健次『民族幻想の蹉跌』
尹健次『思想体験の交錯』
『情況』の、尹健次『思想体験の交錯』特集
水野直樹・文京洙『在日朝鮮人 歴史と現在』
『世界』の「韓国併合100年」特集


照内央晴・松本ちはや『哀しみさえも星となりて』@船橋きららホール

2017-02-13 22:17:07 | アヴァンギャルド・ジャズ

照内央晴・松本ちはや『哀しみさえも星となりて』のレコ発ライヴがはじまった。その最初の演奏を観るために、船橋きららホールに足を運んだ(2017/2/12)。

Hisaharu Teruuchi 照内央晴 (p)
Chihaya Matsumoto 松本ちはや (perc)

このような即興演奏がホールで行われることはそんなにはないだろう。しかし結果として、遠すぎず近すぎず、いい間合いと響きのもと、ふたりの演奏家の身ぶりや息遣いのようなものを感受することができた。オーディエンスの中には、地元の学校の生徒さんたちがたくさんいた。そのうち何人かは、たいへんな刺激を受けたに違いない。

それにしても、松本ちはやの彩り豊かなパーカッションの数々。楽器から放たれる音響にもそれぞれ個性がある。兆しを提示する楽器。はじめから終わりを内包する楽器(たとえば銅鑼は響く前から減衰することがわかっている)。跳躍する楽器。安定をもとめる楽器。それらが松本ちはやというパフォーマーと共犯関係を築く。

相手に立ち向かってゆく楽器もある。演奏の途中、ある時点において何かが決壊し、照内央晴のピアノと松本ちはやのパーカッションとが激しく干渉し合い、次々に時空が折りたたまれてゆくイメージを幻視した。

●参照
照内央晴・松本ちはや『哀しみさえも星となりて』(JazzTokyo)(2016年)
照内央晴「九月に~即興演奏とダンスの夜 茶会記篇」@喫茶茶会記(JazzTokyo)(2016年)
田村夏樹+3人のピアニスト@なってるハウス(2016年)


永武幹子トリオ@本八幡cooljojo

2017-02-12 22:55:02 | アヴァンギャルド・ジャズ

本八幡のcooljojoに足を運び、永武幹子トリオ(2017/2/12)。

Mikiko Nagatake 永武幹子 (p, vo)
Kosuke Ochiai 落合康介 (b)
Masatsugu hattori 服部マサツグ (ds) 

凝っていて愉快なオリジナルが多かった。「God Has 12 Fingers」では12拍子。「I'm Just Awake」ではモンクも思わせるようなちょっととぼけた感じ。谷川俊太郎の詩に曲を付けたという「だって」は、言葉遊びが音遊びになっていって面白かった。スタンダードも面白い。「I Wish I Knew」や「Out of Nowhere」では展開がひねってあって、また、「Time After Time」では旋律を大事に弾いていてとてもよかった。

一聴アクロバチックなのに多幸感がある音楽。ベースの落合さんは柔軟、ドラムスの服部さんはシャープ。

いただいたスケジュールによれば、植松孝夫さんや増尾好秋さんといった大ヴェテランとも組んでいる。どこかでまた観ることにしよう。

Fuji X-E2、XF60mmF2.4


赤羽ではじめて降りた

2017-02-12 09:38:25 | 関東

『山田孝之の東京都北区赤羽』が滅法面白かったこともあり、また「散歩の達人」誌の北区特集で気分が盛り上がっていたこともあり、Nさんと赤羽で呑むことにした。わたしにとってははじめての街である。駅前には「赤羽馬鹿祭り」なる祭りの看板。

まずは「シルクロード」なる商店街を歩いてみると、冗談のようにどの店も賑わっている。最初に行こうとした立ち呑みの「丸健水産」など、まだ18時だというのに、たいへんな行列ができている。

そんなわけで、第二候補の立ち呑み屋「いこい」に足を運んでみたところ、やはり気持ちよさそうに飲んでいる人たちで溢れかえっている。しかし、ちょうど飲み終えた人が出てくるところでスペースができた。ここのシステムは「キャッシュ・オン・デリバリー」、つまりカウンターにおカネを置いておくと、注文するたびにお店の人がその分を持っていく方法。それにしても、ポテサラ110円、あじのなめろう180円などすごく安い。


興奮して指が写った

つぎに、『山田孝之の東京都北区赤羽』にも登場したワニダさんが経営する「ワニダ2」に行ってみたのだが、まだ19時前、開いていない。それまでどこかで飲んでいようと思い、「OK横丁」あたりを歩いていると、渋いスナック的な居酒屋があったので入ってみた。ところがここが怖ろしい店で、ママは不機嫌そのもののような表情。ふと顔を上げるとマジ顔で「早く飲んで!」と吐き捨てるように言われてしまった。もう早々に退散。

ふたたび「ワニダ2」に戻ってみたが、まだ開いていない。近くのお店の人なのか、常連さんなのか、ワニダさんと知り合いの人たちが親切にもワニダさんに電話をかけてくれたりした。あと10分、15分というわりにはいつまでも登場しない(なんでも朝8時まで飲んでいたからだそうである)。そのうちに見目麗しきふたり組が、わたしたちと同様にまだ開いていないのかと現れた。近くのお店で時間をつぶそうにも、どこも満員。仕方なく、一緒に寒い中をしばらく待っていたら、ようやくワニダさんが自転車でやってきた。

やっと店内。エアコンは壊れていて冷たい風を吹きだしている(膝が寒い)。そのうちに常連さんとも打ち解けてきて、いい雰囲気になった。ワニダさんは気さくという以上の迫力を発散していた。残念ながら、「シネバイイノニ」というフレーズは聞えなかった。料理は作らないよという割には、頼んだらあっさりと卵焼きとカレーを作ってくれた。

ああ愉しかった。赤羽は予想を大きく上回る盛り上がりぶりである。やはり漫画とドラマの効果なのか。浦安にもこの力を少し分けてほしい。


ヘンなものを押してみたが呼び鈴ではなく、なんだかべたべたしていた(興奮してピンボケ)


ワニダさんはピンク色のメニューも大声で連呼していた


飽きもせずに蒲田の三州屋と喜来楽(と、黒色戦線社)

2017-02-11 14:11:52 | 関東

編集者のMさん、OAM(沖縄オルタナティブメディア)のNさんと、久しぶりの蒲田で呑んだ。庵野秀明+樋口真嗣『シン・ゴジラ』において蒲田がゴジラに襲われ仰天してから、たぶん蒲田には足を運んでいなかった。なんど来てもいい街である。しかも今回はジモティーのおふたりがいて心強い。

まずは東口の三州屋。鳥豆腐で暖まり、さらに鯛かぶと煮、牡蠣フライ、葱ぬた、どじょうの丸煮など、どれもこれも旨い。

ところで、神田や飯田橋にも同じ名前の店があるのだが、どうやらここが本店であるらしい。それではやはり多く見かけるもつ焼きの加賀屋はどうなのだろう。

次に東急線の横を歩いてゆき、台湾料理の喜来楽。(「シライル」と読むらしいが覚えられない。)

たぶん3回目なのだが、相変わらず強烈である。お店のおばあさんは過剰にフレンドリーで、タッパーに入ったビーフシチューをわれわれ3人の鼻元に近づけて匂いを嗅がせたり、大蒜味の浅蜊の汁にご飯を入れるべきだと強く薦めるので、じゃあ、と頼むと、ご飯がなかったり、お孫さんの写真を何度も見せてくれたり。高邁なるテーマの話をしようとしていたが、まったくできなかった(笑)。

そんな過剰さが好きで、また結局薦められるままに食べることになる料理も旨いので、何度も来るわけなのだが。

そんなわけで、ペースを完全に奪われ、3軒目にと思っていたジャズ喫茶・直立猿人には行けず仕舞。

何でもMさんによれば、ここには昔、黒色戦線社というアナキズム関連の出版社があった。確かに見せていただいた『金子文子歌集』の奥付に書かれた住所を確認すると、いまの直立猿人がある場所。

●参照
飽きもせずに蒲田の東屋慶名
飽きもせずに蒲田の鳥万と喜来楽
蒲田の鳥万、直立猿人
蒲田の喜来楽、かぶら屋(、山城、上弦の月、沖縄)
蒲田のニーハオとエクステンション・チューブ
「東京の沖縄料理店」と蒲田の「和鉄」


川下直広『漂浪者の肖像』

2017-02-11 11:40:33 | アヴァンギャルド・ジャズ

川下直広『漂浪者の肖像』(off note、2005年)を聴く。

Naohiro Kawashita 川下直広 (ts)
Masaru Watanabe 渡辺勝 (vo, p, g) (track 6-9)
Hiroshi Funato 船戸博史 (b) (track 8-10)
Takero Sekijima 関島岳郎 (tp) (track10)
Kanji Nakao 中尾勘二 (ds) (track10)
Yuriko Mukoujima 向島ゆり子 (vln) (track10)
Takero Fukui 福井岳郎 (Charango) (track 10)

何しろ川下さんのテナーである。濁っていて、情そのもののようなヴィブラートがあって、聴く者は共振してしまうのである。

昨年末に(2016年12月23日)、新宿ゴールデン街のナベサンにおいて2メートルの距離でじっくりとこの音を体感することができた(川下直広@ナベサン)。企画そのものが、本盤を川下さんとオフノートの神谷さんが聴いて再発見したことによるものだったと記憶している。そのときも、本盤に収録されている「St. Thomas」、「La Vie En Rose」、「Que Sera Sera」なんかを吹いていた。

本盤も完全ソロだと思い込んで聴いていたところ、突然6曲目に渡辺勝さんの声が出てきてびっくりした。ダンディで味わい深く、川下さんのテナーと本当によくマッチする。「Truth」は、なってるハウスでのライヴ(渡辺勝+川下直広@なってるハウス)のときに聴いて印象に深く残った曲。

そして最後の10曲目は、船戸・関島・中尾・向島・福井という素晴らしい面々を迎えての「Comme A La Radio(ラジオのように)」。いや濁りと情とがますます増していて、聴き入ってしまう。川下さんは『RAdIO』カセットテープ版でも『RAdIO』CD版でもこの曲を吹いていた。個の賑々しさを出した表現は、ブリジット・フォンテーヌがアート・アンサンブル・オブ・シカゴを迎えて吹き込んだときから曲に似つかわしいものである。またシャンソンの声と向島ゆり子さんのヴァイオリンとが重なるようで、喜多直毅さんの演奏でもそのように感じられた(喜多直毅・西嶋徹デュオ@代々木・松本弦楽器)。

さて川下さんの新たな艶歌集の制作が、つげ忠男さんとのコラボレーションのもと進んでいるようで、とても楽しみなのだ。オフノートの神谷さんのツイッターによれば、つげ忠男さんは、「田端義夫の『かえり船』は欠かせませんね」と言っているそうである。

●川下直広
川下直広@ナベサン(2016年)
川下直広カルテット@なってるハウス(2016年)
渡辺勝+川下直広@なってるハウス(2015年)
『RAdIO』(1996, 99年)
『RAdIO』カセットテープ版(1994年)
のなか悟空&元祖・人間国宝オールスターズ『伝説の「アフリカ探検前夜」/ピットインライブ生録画』(1988年) 


原みどりとワンダー5『恋☆さざなみ慕情』

2017-02-10 11:13:32 | ポップス

原みどりとワンダー5『恋☆さざなみ慕情』(midorihaus、2006年)を聴く。

原みどり (vo)

ワンダー5:
松本治 (tb)
西村浩二 (tp)
石川広行 (tp)
津上研太 (as)
松風鉱一 (fl, ts, bs)
相内昭徳 (tb)
佐藤潔 (tuba)

渋谷毅 (p)
外山明 (ds)
水谷浩章 (b)
大友良英 (g)

ホッピー神山 (p, bells, Gram-pot)
工藤美穂 (vln)
定村由紀子 (vln)
小原直子 (viola)
井上とも子 (cello)

昭和のジャズ歌謡や民謡を歌ったアルバムである。スパンクハッピーとかまるで縁がないので、こもったような声質の原みどりのヴォーカルはまだよくわからない。たまたま参加ミュージシャンを見てうわ凄い、と思って、入手してしまった。

「Just One of Those Things」での大友さんのギターも、「山中節」でのストリングスも、ときに聴こえる松風さんのフルートも冴えている。でもやはり、特に目立っているのは渋谷毅さんである。「Cry Me A River」なんていつもの沁みる歌伴であり、とてもいい。 


『News from the Shed 1989』

2017-02-10 10:15:39 | アヴァンギャルド・ジャズ

『News from the Shed 1989』(EMANEM、1989年)を聴く。

John Butcher (ts, ss)
Phil Durrant (vln, electronics)
Paul Lovens (selected ds, cymbals, saw)
Radu Malfatti (tb, zither, accessories)
John Russell (g) 

ジョン・ラッセル+フィル・デュラン+ジョン・ブッチャー『Conceits』(1987、92年)に記録されているように、最初はこのトリオだった。それに加え、パウル・ローフェンスとラドゥ・マルファッティが参加して、またミニマリズムとは違った様相を呈している。

誰もが中心に座っておのれだけでサウンドを創ろうとはしていない。むしろ、敢えて、周縁から空虚なる中心(バルト?)に向かって、あるいは明後日の方角へ、サウンドの最終形を一次的には想定することなく、無数のフラグメンツをまき散らしているようだ。それらの無力でありかつ強力でもあるフラグメンツは、互いに引き合い、反発し合い、その結果として茫洋とした宇宙を形成している。

確かにブッチャーもラッセルもローフェンスも、そのための独立性と自由を持っている。こうなれば模索過程も覗き込んでみたいところ。

●ジョン・ブッチャー
ジョン・ブッチャー+高橋悠治@ホール・エッグファーム(2015年)
ジョン・ブッチャー+ストーレ・リアヴィーク・ソルベルグ『So Beautiful, It Starts to Rain』(2015年)
ジョン・ブッチャー+トマス・レーン+マシュー・シップ『Tangle』(2014年)
ロードリ・デイヴィス+ジョン・ブッチャー『Routing Lynn』
(2014年)
ジョン・ブッチャー@横浜エアジン(2013年)
ジョン・ブッチャー+大友良英、2010年2月、マドリッド(2010年)
ジョン・ブッチャー+マシュー・シップ『At Oto』(2010年)
フレッド・フリス+ジョン・ブッチャー『The Natural Order』(2009年)
ジョン・ブッチャー『The Geometry of Sentiment』(2007年)
デレク・ベイリー+ジョン・ブッチャー+ジノ・ロベール『Scrutables』(2000年)
ジョン・ラッセル+フィル・デュラン+ジョン・ブッチャー『Conceits』(1987、92年)

●パウル・ローフェンス 
アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハ『ライヴ・イン・ベルリン』(2008年)
シュリッペンバッハ・トリオ『Gold is Where You Find It』(2008年)
パウル・ローフェンス+パウル・フブヴェーバー+ジョン・エドワーズ『PAPAJO』(2002年)
高瀬アキ『St. Louis Blues』(2001年)
シュリッペンバッハ・トリオ『Detto Fra Di Noi / Live in Pisa 1981』(1981年)
シュリッペンバッハ・トリオ『First Recordings』(1972年) 

●ジョン・ラッセル
ドネダ+ラッセル+ターナー『The Cigar That Talks』(2009年)
ジョン・ラッセル+フィル・デュラン+ジョン・ブッチャー『Conceits』(1987、92年)