Sightsong

自縄自縛日記

山田光&ライブラリアンズ『the have-not's 2nd savannah band』

2017-02-08 23:17:25 | アヴァンギャルド・ジャズ

山田光&ライブラリアンズ『the have-not's 2nd savannah band』(2016年)を聴く。

hikaru yamada and the librarians:
Hikaru Yamada 山田光 (sax, sampling, etc.)
Kaede Anasako 穴迫楓 (vo)
Guest:
ermhoi (vo) (track 8)

面白そうだという気分だけで聴いてみたのだが、再生した直後に、その曖昧な気分が曖昧なままに明後日の方向に連れていかれた。

テーマは「カリプソ」だということである。暑くて思考がそのあたりの表面をとにかくなぞるようでもあり、とにかく痙攣するようでもあり。妖しくも爽やかであり、呆けていてかつ理知的でもあり。自然なのか人工物なのか判然としない場に呆然と佇んでいるようであり。水場のマイナスイオンで毒素が抜けていくようでもあり、実は毒が蓄積していくようでもあり。

これはわたしを再生してくれるのか、それとも黄泉の世界に呼び込もうとしているのか。なんだかよくわからないが、とても気持ちいい。生きているのも悪くない感じ。

ジャケットのアートワークも再生と反復と痙攣。

●参照
『《《》》』(metsu)(2014年)


テヘランのゴレスターン宮殿

2017-02-08 07:55:10 | 中東・アフリカ

テヘランの中心部にはガージャール朝時代の王宮であるゴレスターン宮殿があって、世界遺産として登録されている。

入口でチケットを買う。基本入場料と、8つくらいの展示別に料金が設定されているのだが、何がどのようなものかぜんぜんわからない。受付の人も英語を解さない。かと言って、全部観るほどの余裕はきっとない。困っていると英語を話している観光客がいて、何を観ればいいのかと訊いたところ、いや自分たちもわからないのだがコレに決めたという3箇所を示してくれた。当然、真似をすることにした。

メインホールには応接間など豪華絢爛な大部屋があって、中には、緑の宮殿メッラト宮殿で観たような鏡の間もある。というか、それらのパフラヴィー朝時代の贅沢となにが違うのか、まったくわからない。とりあえず圧倒される。

ちょっとした博物館になっているスペースもいくつかあって、これがなかなか愉しい。リアルな昔のペルシャ人。金属製のペンケース(欲しい)。楽器類もあって、いまの伝統音楽の演奏で視ることができるようなものだった(イラン大使館でアフランド・ミュージカル・グループを聴いた若林忠宏『民族楽器大博物館』にイランの楽器があった)。


昔のカスピ海沿岸の人びと


朗読者


ペンケース(小箱は何のためだろう)


楽器


楽器

Nikon P7800

●参照
2017年1月、テヘラン
2016年2月、テヘラン
2015年12月、テヘラン
イランの空
スーパーマーケットのダレイオス1世
テヘランの軍事博物館と緑の宮殿
テヘランのメッラト宮殿
テヘランのバーザール
カメラじろじろ(3)テヘラン篇
旨いテヘラン
旨いテヘラン その2
旨いテヘラン その3
旨いテヘラン その4
旨いテヘラン その5 
鵜塚健『イランの野望』
桜井啓子編『イスラーム圏で働く』、岩崎葉子『「個人主義」大国イラン』


『死者への巫儀/珍島シッキムクッ』

2017-02-07 23:12:18 | 韓国・朝鮮

『死者への巫儀/珍島シッキムクッ』(JVC、1991年)を聴く。

金大禮(巫歌)
朴乗千 (杖鼓)
姜俊燮 (大鼓)
朴乗元 (杖鼓)
金** (大*)
李宗大(篥*)
洪玉美(奚琴)
李太白 (牙箏)
鄭叔子(巫歌)

目当ては金大禮の声を浴びることである。

ここでは、死者の魂から怨を解き放ち、極楽往生できるようにするための「クッ」、つまりシャーマン儀式を繰り広げている。この、ばっくりと開いた黒い穴に呑まれてしまいそうな音の展開がすさまじい。太鼓や笛が寄せては返す波のように、魂ごと持っていかれるサウンドを形成する中で、金大禮が頭蓋全体を響かせる唸りが、耳の周りでこだまする。

しょせんは部外者なのだが、このような儀式に立ち会ってみたいものだ。

●参照
金大禮『天命(Supreme)』(1995年)
映像『ユーラシアンエコーズII』(2013年)
ユーラシアンエコーズ第2章(2013年)
パンソリのぺ・イルドン(2012年)
金石出『East Wind』、『Final Say』(1993、97年)
ユーラシアン・エコーズ、金石出(1993、94年) 
イム・グォンテク『風の丘を越えて/西便制』(1993年)
『人はなぜ歌い、人はなぜ奏でるのか』 金石出に出会う旅 


2017年1月、テヘラン

2017-02-07 07:40:33 | 中東・アフリカ

4か月ぶりのテヘラン。その間に2か月間の入院もあった。

東京より寒く、朝晩は氷点下にもなった。雪も降ったが、そのあとは空気がずいぶん綺麗になって(テヘランの大気汚染はひどい)、山がくっきりと見えた。

Nikon P7800

●参照
2016年2月、テヘラン
2015年12月、テヘラン
イランの空
スーパーマーケットのダレイオス1世
テヘランの軍事博物館と緑の宮殿
テヘランのメッラト宮殿
テヘランのバーザール
カメラじろじろ(3)テヘラン篇
旨いテヘラン
旨いテヘラン その2
旨いテヘラン その3
旨いテヘラン その4
旨いテヘラン その5 
鵜塚健『イランの野望』
桜井啓子編『イスラーム圏で働く』、岩崎葉子『「個人主義」大国イラン』


松籟夜話(第八夜)「聖なる場所に集う声」

2017-02-06 23:37:47 | 沖縄

松籟夜話という集いに出るため、青山の月光茶房「Bibliotheca Mtatsminda」に足を運んだ(2017/2/5)。

福島恵一 音楽批評
津田貴司 サウンドアーティスト
歸山幸輔 オリジナルスピーカー 

契機は、久高島における最後のイザイホー(1978年)の音源(宮里千里『琉球弧の祭祀―久高島イザイホー』)。ここから、声とそれをとりまくもの、その声を発せしめたものという、間口が広すぎるとも思えるリンケージによって、アイヌ、宮古、奄美、台湾原住民(少数民族)、タイ山岳民族、意図的ないたずらとしてのブルガリア、ベトナム少数民族、イヌイットなど、まるで違うはずの土地や人びとが重ね合わされてゆく。ここで津田さんによって提起されたものは、環境と声とのかかわりのようなものだった。

つぎに、福島さんにより、神秘性、場に根付くもの、内界と外界との往還といった鍵をもって、やはり、それぞれ異なる時空間と文脈に属するはずのイメージや音楽の間をつなぎあわせようとする試みがなされた。オリエンタリズム。東松照明の沖縄から南方への視線。比嘉康雄。岡本太郎。アントナン・アルトー。セルゲイ・エイゼンシュテイン。琉球石灰岩。

最後に紹介された音楽家は、灰野敬二(フランスの洞窟で発したヴォイスということ、洞窟という場が象徴的だ)、沢井一恵、ミシェル・ドネダ(やはり琴の沢井一恵、ヴォイスのベニャ・アチアリとのトリオ)といった、越境する者たち。越境といえば、締めくくりに紹介された映像『島の色 静かな声』を撮った茂木綾子のパートナーがヴェルナー・ペンツェルであり、かれがフレッド・フリスを撮った映像作品が『Step Across The Border』であるというオチ。

ところで、このペンツェルこそ、アート・アンサンブル・オブ・シカゴユセフ・ラティーフを撮った人でもあり、また、相棒のニコラス・フンベルトは歴史修正主義への強烈な一撃たる『Wolfsgrub』を撮った人である。このあたりからも次の風呂敷がありそうな予感をあらためて覚えた。

それはそれとして、イザイホーは琉球王国の正史と聞得大君を頂点とする権力体系の中に位置づけられるものであり、それは吉本隆明『南島論』におけるように、われわれが日本神話を外から眺めるのと同じスタンスで相対化されるものだ。また、琉球石灰岩の洞窟は、既に昔から、黄泉の国、熊野と重ね合わされている(上里隆史『海の王国・琉球』)。そのような歴史を経て、沖縄の御嶽までが神社の権力体系に組み込まれようとしていた(加治順人『沖縄の神社』)。すなわち、いまわれわれがイメージする「聖なるもの」は、すでにイメージされ、権力の網の中に絡めとられてしまっている。

宮里千里『琉球弧の祭祀―久高島イザイホー』において、比嘉康雄が琉球のルーツを日本に見出そうとする伊波普猷(『琉球人種論』、1911年)の言説を誘導的に用いる場面が、唐突とも思える形で挿入されている(伊波普猷『古琉球』はそのような書物でもあった)。これは、罪なイノセントさに対する冷や水という意図的な罠(誰の?宮里千里さんの?)かと思えてならないのだ。

そんな話を、終了後に福島さんにしたところ、そうするとこの場がカルチュラル・スタディーになってしまう、と。確かにそうである。意図的に乱暴に越境し、別の数列を創りだすことが本意に違いない。いずれにしても、脳の使っていなかった箇所が刺激されるようで、愉快な時間だった。

●参照
宮里千里『琉球弧の祭祀―久高島イザイホー』
久高島の映像(1) 1966年のイザイホー
久高島の映像(2) 1978年のイザイホー
久高島の映像(3) 現在の姿『久高オデッセイ』
久高島の映像(4) 『豚の報い』
久高島の映像(5) 『イザイホー~沖縄の神女たち~』
久高島の映像(6) 『乾いた沖縄』
吉本隆明『南島論』
「岡谷神社学」の2冊
柳田國男『海南小記』
伊波普猷『古琉球』
伊佐眞一『伊波普猷批判序説』
村井紀『南島イデオロギーの発生』
佐谷眞木人『民俗学・台湾・国際連盟』
加治順人『沖縄の神社』
岡本亮輔『聖地巡礼』


ジム・ブラック『Malamute』

2017-02-06 08:02:18 | アヴァンギャルド・ジャズ

ジム・ブラック『Malamute』(Intakt、2016年)を聴く。

Óskar Guðjónsson (ts)
Elias Stemeseder (key)
Chris Tordini (b)
Jim Black (ds, sampler)

というのも、レコ屋でこれが流れていて妙にカッチョよく、誰だと確認したらジム・ブラック。「タダマス24」では、もう過去の人だと思っていたブラックが、2016年のアルバム『The Constant』において若者の力で蘇ったといった発言もあったが、さてどうなのだろう。

そうか、ブラックはこんな感じになっているのか。ガジェット感を発散して、つまり悪ガキが変顔でワ~と叫びながら、玩具をそこいらにぶんぶん投げては、とにかく走り抜くという按配。アンドリュー・ディアンジェロやピーター・エヴァンスとの活動もあるにはあったし、何にせよスタイルは変わらないわけである。

独特の雰囲気は、オスカー・グジョンソンのスモーキーなサックスと、エリアス・ステメセーダーのサウンド全体を覆うキーボードとが相まって形成されている。ベースは前作のトーマス・モーガンから変わったが悪くない。

●ジム・ブラック
アンドリュー・ディアンジェロ『Norman』(2014年)
ピーター・エヴァンス『Destiation: Void』(2013年)
ピーター・エヴァンス『Ghosts』(2011年)
Human Feel 『Galore』(2007年) 
ヒルマー・イエンソン『MEG NEM SA』、アンドリュー・ディアンジェロ『Skadra Degis』(2006、2007年)
三田の「みの」、ジム・ブラック(『Habyor』2004年、『Splay』2002年)
エド・シュラー『The Force』(1994年)


藤澤由二+岩山健@本八幡cooljojo

2017-02-06 00:00:26 | アヴァンギャルド・ジャズ

本八幡のcooljojoに足を運び、藤澤由二・岩山健デュオ(2017/2/5)。

Yuji Fujisawa 藤澤由二 (p)
Ken Iwayama 岩山健 (b)

藤澤さんは聴いてみたい人だった。そして最初の数音で、とてもユニークで素晴らしいピアニストだということがわかった。何しろ、一音、一音が独立して強く、それらが強度を保ったまま旋律を紡いでゆくのだ。一方、岩山さんのベースは軋みがとても良かった。

曲は、「D.I.T」(スティーヴ・スワロウ)、「Beatrice」(サム・リヴァース)、「Upper Egypt & Lower Egypt」(ファラオ・サンダース)、「かくれんぼの空」(ヴィクトル・ハラ)、「南へ帰ろう」(アストル・ピアソラ)、「Sometimes Snow in April」(プリンス)、「Our Spanish Love Song」(チャーリー・ヘイデン)、そして藤澤さんのオリジナルと、一癖あるものばかり。

Fuji X-E2、XF35mmF1.4


小杉泰『イスラーム帝国のジハード』

2017-02-05 10:15:38 | 中東・アフリカ

小杉泰『イスラーム帝国のジハード』(講談社学術文庫、原著2006年)を読む。

林佳世子『オスマン帝国500年の平和』杉山正明『モンゴル帝国と長いその後』と同様に、講談社の「興亡の世界史」シリーズの1冊である。今回はkindle版にしてみたところ、用語の検索が意外に便利だった。(そして飛行機の中では、うまく読書灯が当たらず紙の本を読みたくなくなることがままあって、kindleはとても快適だと気が付いた。)

一見してタイトルが過激なようだが、実はそうではない。もとより「ジハード」とは、武力の行使(剣のジハード)に限定されるものではなく、自分の心の悪や社会的不正義をただすための奮闘努力を意味し、戦争の原理ではなかった。そして、それは、7世紀のアラビア半島西部・ヒジャーズの部族社会において、共同体(ウンマ)の論理を構築しようとしたムハンマドのヴィジョンであった。

しかし、当初の理想的なものは、その及ぼす影響の範囲が大きくなると、国家という別の論理にとってかわってゆく。ムハンマド没後に指導者がどのような存在であるべきか、どのように選ばれてゆくべきかという模索が、ウマイヤ朝やアッバース朝という初期のイスラーム帝国でも歪みを生み、シーア派・スンニ派という異なる流れを生んだ。そういった構造的に不可避だったであろう歴史は、現在に至るまでダイナミックにつながっているわけである。

著者がイスラームに向ける視線は、西側の偏った視線を極力排除して、人類の精神的遺産として評価しようとするものにちがいない。カリフという存在や呼称は、7世紀から紆余曲折あるも続き、オスマン帝国の滅亡とともにいちどは廃されるわけだが、またISにおいても復活している。しかし、不幸な歴史や状況にのみとらわれることは誤りである。

イスラームの歴史的な意味や流れを俯瞰するための良書である。

●参照
林佳世子『オスマン帝国500年の平和』
高橋和夫『中東から世界が崩れる』
鵜塚健『イランの野望』
桜井啓子編『イスラーム圏で働く』、岩崎葉子『「個人主義」大国イラン』
アレズ・ファクレジャハニ『一家族三世代の女性から見たイラン・イスラム共和国』
ジョン・フィルビー『サウジ・アラビア王朝史』
保坂修司『サウジアラビア』
中東の今と日本 私たちに何ができるか
酒井啓子『<中東>の考え方』
酒井啓子『イラクは食べる』


『宮沢賢治コレクション1 銀河鉄道の夜』

2017-02-05 08:44:38 | 東北・中部

『宮沢賢治コレクション1 銀河鉄道の夜』(筑摩書房)を読む。

収録されている作品は、「ポラーノの広場」(1924年)、「銀河鉄道の夜」(1924-31年)とその草稿のひとつ、「風の又三郎」(1924-33年)、「セロ弾きのゴーシュ」(1931年)、「グスコーブドリの日記」(1932年)など。

もちろんそれらの代表作は読んだものばかりなのだけど、再読するたびに何かが心の中でひっかかって小さな光を放つ。

「銀河鉄道の夜」における私的なクライマックスは、車両からカムパネルラの姿が消えて、それが永遠の別れであることを直感的に悟ったジョバンニの行動場面である。

「『カムパネルラ、僕たち一緒に行こうねえ。』ジョバンニが斯う云いながらふりかえって見ましたらそのいままでカムパネルラの座っていた席にもうカムパネルラの姿は見えず、ジョバンニはまるで鉄砲玉のように立ちあがりました。そして誰にも聞こえないように窓の外へからだを乗り出して力いっぱいはげしく胸をうって叫びそれからもう咽喉いっぱい泣きだしました。もうそこらが一ぺんにまっくらになったように思いました。」

この文章のなかにいかに多くの霊感が詰め込まれているか。「鉄砲玉のように」立ち上がるのである。「力いっぱいはげしく胸をうって叫」ぶのである。「咽喉いっぱい」泣き出すのである。しかも、「誰にも聞こえないように」。

鎌田東二『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」精読』には、「銀河鉄道の夜」の初稿から最終稿(第四稿)までが収録されており、「もう咽喉いっぱい」の表現が第三稿において登場したことがわかる。本書に収録されている草稿も第三稿。ここで完成度がさらに高まったのである。

今回再読してみて、この作品が、罪の意識、また、それと裏腹の全員の幸福(「みんなの幸せ」)を希う気持に彩られていることが、また伝わってきた。

●参照
横田庄一郎『チェロと宮沢賢治』
ジョバンニは、「もう咽喉いっぱい泣き出しました」
6輌編成で彼岸と此岸とを行き来する銀河鉄道 畑山博『「銀河鉄道の夜」探検ブック』
小森陽一『ことばの力 平和の力』
吉本隆明のざっくり感


かむろ耕平@本八幡cooljojo

2017-02-05 07:54:11 | アヴァンギャルド・ジャズ

本八幡のcooljojoに足を運び、かむろ耕平トリオ(2017/2/4)。ずっと観たいプログラムがいろいろあったのだけど、入院したり出張していたりして、半年ぶりの再訪だった。

Kohei Kamuro かむろ耕平 (g)
Ryohei Komaki 小牧良平 (b)
Koichi Inoue 井上功一 (ds)

かむろさんのギタープレイを観るのははじめてだ。佐藤浩一やレイモンド・マクモーリンらとの共演があって気になっていた。

もともと秋山一将さんのギタートリオの予定だったところ、秋山さんがインフルエンザに罹ってしまい、急遽かむろさんに変更された。そんなわけで、リハーサルなしのスタンダード中心だった。「Stella by Starlight」、「Cheryl」、「On A Misty Night」(はじめて聴いた、タッド・ダメロンの曲)、「Invitation」、「If I Were A Bell」、「The Man I Love」、「Evidence」、「Days of Wine and Roses」など。

最初は、ちょっとタメを作るフレーズが多いのかなと思って聴いていたのだが、そうではなかった。規定のビートに乗るのではなく、自らのテンポを創りだし、ビートの間にブリッジを架けている。その合間に即興フレーズを詰め込み、これは独創的。「Evidence」のようなヘンなテンポの曲がさらに換骨奪胎されていた。

帰宅中に寄り道して飲んでいると、上述のマクモーリンさんが現れ、そんな感想を話すと、いやそうなんだよ、井上功一さんも強力で良いんだよ、と。 

Fuji X-E2、XF35mmF1.4


照内央晴・松本ちはや『哀しみさえも星となりて』(JazzTokyo)

2017-02-04 13:02:21 | アヴァンギャルド・ジャズ

ウェブマガジンJazzTokyo誌に、照内央晴・松本ちはや『哀しみさえも星となりて』(Bishop Records、2016年)のレビューを寄稿させていただきました。

>> #1374 『照内央晴・松本ちはや / 哀しみさえも星となりて』

Hisaharu Teruuchi 照内央晴 (p)
Chihaya Matsumoto 松本ちはや (perc)

レコ発ライヴも楽しみなのだ。

●照内央晴
照内央晴「九月に~即興演奏とダンスの夜 茶会記篇」@喫茶茶会記(JazzTokyo)(2016年)
田村夏樹+3人のピアニスト@なってるハウス(2016年)


「JazzTokyo」のNY特集(2017/2/1)

2017-02-04 12:39:07 | アヴァンギャルド・ジャズ

「JazzTokyo」のNY特集(2017/2/1)。

■ 連載第19回 ニューヨーク・シーン最新ライヴ・レポート&リリース情報

翻訳・寄稿させていただきました。

フィラデルフィア現代美術館において、『自由の原則:1965年から現在までのアートと音楽の実験』および『絶え間ない叫び』という展覧会が開かれており、それに沿って、AACM、AfriCOBRA、公民権運動、ブラック・パワーなどを論じる内容。ムハル・リチャード・エイブラムスによるアートもある。フィラデルフィア在住のライター、DJ、プロデューサーのジョン・モリソンによる。

また、ブランドン・ロペスの新グループThe Messのこけら落としライヴも(シスコ・ブラッドリー)。

■ ニューヨーク:変容する「ジャズ」のいま 第11回 ムハル・リチャード・エイブラムス~内側の焦点に共鳴する音~<後編>

蓮見令麻さんによる連載。前号に続き、ムハル・リチャード・エイブラムスへのインタビュー。スタイルを超越した偉大な音楽家である。

●参照
「JazzTokyo」のNY特集(2016/10/1)
「JazzTokyo」のNY特集(2016/9/1)
「JazzTokyo」のNY特集(2016/8/1)
「JazzTokyo」のNY特集(2016/7/1)
「JazzTokyo」のNY特集(2016/6/1)
「JazzTokyo」のNY特集(2016/5/1)
「JazzTokyo」のNY特集(2016/4/1)
「JazzTokyo」のNY特集(2016/1/31)
「JazzTokyo」のNY特集(2015/12/27)
「JazzTokyo」のNY特集(2015/11/21)
「JazzTokyo」のNY特集(2015/10/12)
「JazzTokyo」のNY特集(2015/8/30)
「JazzTokyo」のNY特集(2015/7/26)


『RAdIO』カセットテープ版

2017-02-04 12:27:45 | アヴァンギャルド・ジャズ

「RAdIO」は凄いグループによる凄い演奏であり、かつて、カセットテープ版(地底レコード、1994年)で出されていて愛聴していた。音質は良くなかったが、地底レコードさんの解説によれば、「今後、このメンバーでのセッションが考えにくいので、発売に踏み切りました」ということである。

しかしもうカセットを聴くこともあるまいと思い、ある時期にほかのものとともに手放してしまった。その後CD化された『RAdIO』は別のセッションが記録されている。勿体ないことをしたと呟いていたところ、カネコさんのご好意で、また聴くことができた。(ありがとうございます。)

川下直広 (sax, vln)
不破大輔 (b)
渋谷毅 (org)
勝井祐二 (vln)
芳垣安洋 (ds)

CD版とは異なり、こちらには勝井祐二が参加している。曲は、フェダインでもお馴染みだった「DAVADAVADABA」、ブリジット・フォンテーヌの「ラジオのように」、そして書かれていないが「Mile and Half」の3曲。

いやそれにしても大迫力であり、やはり渋谷さんのオルガン炸裂ぶりに吐きそうな歓喜を覚える。一貫してグルーヴィなエレベを弾いている不破大輔、サックス2本吹きなど濁った音を吐き出しまくる川下直広、ヴァイオリンを射しこみまくる勝井祐二、ドライヴしまくる芳垣安洋と、まくりまくりの歴史的名演なのだった。

素晴らしい素晴らしい。

●RAdIO
『RAdIO』(1996、99年) 

●川下直広
川下直広@ナベサン(2016年)
川下直広カルテット@なってるハウス(2016年)
渡辺勝+川下直広@なってるハウス(2015年)
のなか悟空&元祖・人間国宝オールスターズ『伝説の「アフリカ探検前夜」/ピットインライブ生録画』(1988年)
『RAdIO』(1996, 99年)

●不破大輔
川下直広カルテット@なってるハウス(2016年)
立花秀輝+不破大輔@Bar Isshee(2015年)
不破大輔@東京琉球館(2015年)
高木元輝の最後の歌(2000年)
2000年4月21日、高木元輝+不破大輔+小山彰太(2000年)
のなか悟空&元祖・人間国宝オールスターズ『伝説の「アフリカ探検前夜」/ピットインライブ生録画』(1988年)
『RAdIO』(1996, 99年)

●渋谷毅
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2016年その3)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2016年その2)
廣木光一+渋谷毅@本八幡Cooljojo(2016年)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2016年その1)
渋谷毅@裏窓(2016年)
渋谷毅+市野元彦+外山明『Childhood』(2015年)
渋谷毅エッセンシャル・エリントン@新宿ピットイン(2015年)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2014年)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2011年)
渋谷毅+津上研太@ディスクユニオン(2011年)
渋谷毅+川端民生『蝶々在中』
カーラ・ブレイ+スティーヴ・スワロウ『DUETS』、渋谷毅オーケストラ
渋谷毅のソロピアノ2枚
見上げてごらん夜の星を
『RAdIO』(1996, 99年) 
浅川マキ+渋谷毅『ちょっと長い関係のブルース』(1985年) 

●勝井祐二
勝井祐二+ユザーン、灰野敬二+石橋英子@スーパーデラックス(2015年) 

●芳垣安洋
ネッド・ローゼンバーグ@神保町視聴室(2014年)
『RAdIO』(1996, 99年) 
大島保克+オルケスタ・ボレ『今どぅ別り』 移民、棄民、基地(1997年)


旨いテヘラン その5

2017-02-04 10:17:31 | 中東・アフリカ

4か月ぶりのテヘラン。寒くてあまり出歩く気にもなれないのだが腹は減る。

■ フードコートのGrill Bar

ホテル近場のフードコートが便利なのだが、店の入れ替わりがあったりなかったりでよくわからない。あまりファーストフードという感じではなく、量が多く、結構どこも待たせる。

■ パン屋

パンのクオリティは高い。まともに食事を取ると満腹になるので、ときどきは適当にパンで済ませたりして。

■ HANI(イラン料理)

結局いつも来てしまうHANI。ブッフェ形式だが、2品以上頼むと大変な量になる。茄子の煮込み料理が結構旨いことを発見した。

どんな時間でもにぎわっている。今回は創業者の女性が笑顔でようこそ、と。

■ YAS Restaurant(イラン料理)

評判がいいので行ってみた。確かにケバブが柔らかくて旨い。茄子のシチューがパンに詰められた不思議なものを食べた。

■ Monsoon(アジア料理)

イラン料理ばかりだと飽きるのでここも何度目か。フトマキ・ホソマキも、ビビンパも、餃子もある。メニューには東南アジアの写真や一茶の詩なんか載せてあったりして、わけがわからない。アボガドとサーモンのフトマキは見たまんまの味。

なぜか味噌汁をやたらと勧めてきたのだが、1杯が800円くらいでどんなものが出てくるのか不明なのでやめた。

■ TAVAZO(ナッツ)

有名なナッツの店、再訪。定番はピスタチオで、ミックスナッツも、乾燥イチジクも、ほかのドライフルーツも旨い。つい興奮してしまう。

■ 果物

イランは果物もやたらと旨い。わたしの目当てはざくろであり、機会があれば食べまくっていた。ジュースがあればそれも飲んだ。旬は過ぎていたのだけれど。

■ Bella Monica(イタリア料理)

再訪、ヨーロッパに近いし。イラン料理が外食文化のもとに成り立っているわけではないので、他のものを食べたくなるのかな。フランス料理やドイツ料理はあまり見ないような気がする。

■ DAVA Burger(ハンバーガー)

2016年にできたばかりの小奇麗な店で、当初は根付くのかなと勝手に思っていたのだが、結構流行っていて軌道に乗った模様。店内のアメリカ映画のイラストも偏愛感たっぷり。みんなアメリカが大好きなのだ。めでたしめでたし。

マッシュルーム・バーガーがかなり旨い。レモネードをテイクアウトで買うと、大瓶のドレッシングのようなものを渡された。明らかに手作りで分離している。振って飲んでみるとかなりいける。

■ Shandiz(イラン料理)

宮殿のような豪華な建物。肉を食いたいという仕事仲間の意向があって来た。確かに名物のラムチョップがすごくて、フェンシングのような長い串にいくつも刺さっていて大迫力。みんな旨い旨いと言って、手づかみで骨のまわりの肉にかぶりついていた。

さて次のイラン訪問はいつの日か。今年か、それとももっと先か。我慢できず日暮里の「ざくろ」を再訪しようかな。

●参照
旨いテヘラン
旨いテヘラン その2
旨いテヘラン その3
旨いテヘラン その4


テヘランのバーザール

2017-02-03 22:19:07 | 中東・アフリカ

テヘランの古い地域に大きなバーザールがある。地図で見ると立派な公園よりもはるかに広い。アーケードの入り口から入ってみると本当に広い。簡単に迷子になりそうだったので変に曲がることはしない。

アーケードや建物の意匠はなかなか見事である。人々は猫ぐるまに絨毯だのなんだのを載せてすごい勢いで移動しており、懸命そのものである。といいつつ、その割に余裕もあったりして、なかなか愉しい。上野のアメ横や神戸のモトコー、あるいは広島の姿を消した愛友市場など、薄暗くてごみごみしたところに入ると、なぜ人は興奮してしまうのだろう。

ガイドブックを参照すると、「ガージャール朝以来、テヘラン経済の中枢としての役割を果たしてきた」とあるが、テヘランという都市がガージャール朝のときに首都となって発展したわけであるから、それは何も言っていないにひとしい。

そしてまた、「扱う商品によって出店場所がだいたい決まっているのは、中近東独特のスタイル」とある。実際にアメ横などでは違う種類の店が混在していて、サウジアラビアのリヤドにあるリヤドのゴールド・スークでは同じ種類の店が固まっているわけだが、ベトナムのハノイでは街自体がそのようなつくりになっている。したがって「中近東独特」ではないのではないかと思ってしまうのだがどうだろう。

入口の外にはカメラ店が、入ってすぐのところには時計の店が並んでいた。ガラスケースの中に並ぶ時計だけを凝視するなら、視えるものはバンコクでのものと似たようなものだ。いい感じのパネライもどきがあって、値段を訊こうかと思ったが、どうせ冷やかしだからやめた。ところで、ジャカルタの空港では、入ろうとすると「ロレックス、ファイブダラー!」と叫んで駆け寄ってくる人がいる。そして中に入ってほっとすると、「ブルガリどう?」と近づいてくる人もいるのだ。

Nikon P7800

●参照
2016年2月、テヘラン
2015年12月、テヘラン
イランの空
スーパーマーケットのダレイオス1世
テヘランの軍事博物館と緑の宮殿
テヘランのメッラト宮殿
カメラじろじろ(3)テヘラン篇
旨いテヘラン
旨いテヘラン その2
旨いテヘラン その3
旨いテヘラン その4
鵜塚健『イランの野望』
桜井啓子編『イスラーム圏で働く』、岩崎葉子『「個人主義」大国イラン』