Sightsong

自縄自縛日記

フロレンシア・オテロ『Nocturno Mundo musicas de Joni Mitchell』

2018-06-18 07:17:18 | 中南米

フロレンシア・オテロ『Nocturno Mundo musicas de Joni Mitchell』(BAU Records、2011年)を聴く。

Florencia Otero (vo)
Paula Schocron (p)
Ingrid Feniger (sax, cl)
Damian Poots (g)
Leonel Cejas (b)
Martin Lopez Grande (ds, perc)
Guest:
Melina Moguilevsky, Barbara Togander, Rodrigo Dominguez

フロレンシア・オテロをはじめ、アルゼンチンの音楽家たちによるジョニ・ミッチェルのカバーアルバムである。

『Blue』から「Blue」「River」「California」「Little Green」「A Case of You」。『Both Sides Now(青春の光と影)』からタイトル曲。『Court and Spark』から「Down to You」「The Same Situation」。『Song to a Seagull』から「I had a King」。『Ladies of the Canyon』から「Woodstock」。『Mingus』から「The Dry Cleaner」。

ジョニ・ミッチェルの声が持っていた陰のようなところはない。そのかわりにクリアで伸びやかな声であり、異なるから、ジョニじゃなくても聴いていられる。また、バンドサウンドも気持ちが良い。イングリッド・ファニガーのサックスにはウェイン・ショーターが見え隠れするがどうだろう。


かみむら泰一+齋藤徹@本八幡cooljojo

2018-06-17 09:08:36 | アヴァンギャルド・ジャズ

本八幡のcooljojoにおいて、かみむら泰一・齋藤徹デュオ(2018/6/16)。

Taiichi Kamimura かみむら泰一 (ts, ss)
Tetsu Saitoh 齋藤徹 (b)

このデュオは4年目になるという。CD『Choros & Improvisations Live』が2016年のキッド・アイラック・アート・ホールでの録音(サックスの森順治さんが素晴らしい演奏だったと言っていた)。わたしは、録音から数か月後に同じキッド・アイラックでの演奏、また今年になってこのcooljojoでの演奏を観ることができた。こうして共演を積み重ねるごとに、方法論的なものも表現も深化しているように思える。

ファーストセットはピシンギーニャのショーロ2曲から。音波が伝播する場への溶け込みをはじめるように、かみむらさんのテナーが音にならぬ音を出し始める。この「吹かないサックス」の過激化と方法論化にはやはり驚いてしまう。やがてサックスの管における共鳴が大きくなってゆき、その様子が、まるでネックや朝顔のどの箇所が息との擦れを起こしているのだろうと変なことが脳裏をよぎるのだが、それもまた、場への音の溶け込みが幻視となったからに違いない。

テツさんは術後のご体調のこともあって弦を2本金属に取り換えたという。そのために、従来のノイズの毛羽立ちよりも柔らかく聴こえる。

次に、齋藤徹さんの「オペリータ」から、「旅人の歌」2曲。ことばが大事であるからという理由で、かみむらさんはその詩を朗読した。そしてテツさんが弓で短い音のアーチを作り空中に投げるようにして、震えるソプラノと絡まった。

再びショーロでファーストセットが締めくくられた。悲喜こもごもを包み込み、旋律が大きく上下に行き来してまたいつの間にか戻ってくるような音楽か。テツさんの弓が力強かった。

セカンドセットは即興。ここではふたりがお互いの音に呼応し、間合いを図るプロセスがあった。細切れのテナーの音はまるで弓弾きのようにも聴こえた。マージナルな音領域への浸出を含めた素晴らしいサックスの倍音に対して、弓と棒の2本を弦に当ててのコントラバスの倍音。

ここで特筆すべきことは、かみむらさんの動作もまたデュオならではのものだったということである。テツさんの動きと音とをじっと観察しながら、まるでダンスするかのように動き、ソプラノから音を発する。それによるシンクロと離脱との繰り返しを目の当たりにすると、動きと音とは明確に分けられるものではないのだということがわかる。

ふっと音の盛り上がりが抜けてベースとテナーが浮かび上がる瞬間があって、次に、かみむらさんのオリジナル「Dikeman Blues」。ここでの中間域の音を活かしたサックスは、ジミー・ジュフリーや、やはりデューイ・レッドマンを想起させるものだった。そして最後に再びピシンギーニャのショーロ。面白い曲があって、それに演奏が合わさってゆく愉しい感覚があった。

Fuji X-E2、XF60mmF2.4

●かみむら泰一
かみむら泰一+齋藤徹@本八幡cooljojo(2018年)
かみむら泰一session@喫茶茶会記(2017年)
齋藤徹 plays JAZZ@横濱エアジン(JazzTokyo)(2017年)
かみむら泰一+齋藤徹@キッド・アイラック・アート・ホール(2016年)
齋藤徹+かみむら泰一、+喜多直毅、+矢萩竜太郎(JazzTokyo)(2015-16年)
かみむら泰一『A Girl From Mexico』(2004年)

●齋藤徹
DDKトリオ+齋藤徹@下北沢Apollo(2018年)
川島誠+齋藤徹@バーバー富士(JazzTokyo)(2018年)
齋藤徹+喜多直毅@板橋大山教会(2018年)
齋藤徹+喜多直毅+外山明@cooljojo(2018年)
かみむら泰一+齋藤徹@本八幡cooljojo(2018年)
齋藤徹+喜多直毅+皆藤千香子@アトリエ第Q藝術(2018年)
2017年ベスト(JazzTokyo)
即興パフォーマンス in いずるば 『今 ここ わたし 2017 ドイツ×日本』(2017年)
『小林裕児と森』ライヴペインティング@日本橋三越(2017年)
ロジャー・ターナー+喜多直毅+齋藤徹@横濱エアジン(JazzTokyo)(2017年)
長沢哲+齋藤徹@東北沢OTOOTO(2017年)
翠川敬基+齋藤徹+喜多直毅@in F(2017年)
齋藤徹ワークショップ特別ゲスト編 vol.1 ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+佐草夏美@いずるば(2017年)
齋藤徹+喜多直毅@巣鴨レソノサウンド(2017年)
齋藤徹@バーバー富士(2017年)
齋藤徹+今井和雄@稲毛Candy(2017年)
齋藤徹 plays JAZZ@横濱エアジン(JazzTokyo)(2017年)
齋藤徹ワークショップ「寄港」第ゼロ回@いずるば(2017年)
りら@七針(2017年)
広瀬淳二+今井和雄+齋藤徹+ジャック・ディミエール@Ftarri(2016年)
齋藤徹『TRAVESSIA』(2016年)
齋藤徹の世界・還暦記念コントラバスリサイタル@永福町ソノリウム(2016年)
かみむら泰一+齋藤徹@キッド・アイラック・アート・ホール(2016年)
齋藤徹+かみむら泰一、+喜多直毅、+矢萩竜太郎(JazzTokyo)(2015-16年)
齋藤徹・バッハ無伴奏チェロ組曲@横濱エアジン(2016年)
うたをさがして@ギャラリー悠玄(2015年) 
齋藤徹+類家心平@sound cafe dzumi(2015年)
齋藤徹+喜多直毅+黒田京子@横濱エアジン(2015年)
映像『ユーラシアンエコーズII』(2013年)
ユーラシアンエコーズ第2章(2013年)
バール・フィリップス+Bass Ensemble GEN311『Live at Space Who』(2012年)
ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹@ポレポレ坐(2011年)
齋藤徹による「bass ensemble "弦" gamma/ut」(2011年)
『うたをさがして live at Pole Pole za』(2011年)
齋藤徹『Contrabass Solo at ORT』(2010年)
齋藤徹+今井和雄『ORBIT ZERO』(2009年)
齋藤徹、2009年5月、東中野(2009年)
ミシェル・ドネダと齋藤徹、ペンタックス43mm(2007年)
齋藤徹+今井和雄+ミシェル・ドネダ『Orbit 1』(2006年)
ローレン・ニュートン+齋藤徹+沢井一恵『Full Moon Over Tokyo』(2005年)
明田川荘之+齋藤徹『LIFE TIME』(2005年)
ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹+今井和雄+沢井一恵『Une Chance Pour L'Ombre』(2003年)
往来トリオの2作品、『往来』と『雲は行く』(1999、2000年)
齋藤徹+ミシェル・ドネダ+チョン・チュルギ+坪井紀子+ザイ・クーニン『ペイガン・ヒム』(1999年)
齋藤徹+ミシェル・ドネダ『交感』(1999年)
齋藤徹+沢井一恵『八重山游行』(1996年)
久高島で記録された嘉手苅林昌『沖縄の魂の行方』、池澤夏樹『眠る女』、齋藤徹『パナリ』(1996年)
ミシェル・ドネダ+アラン・ジュール+齋藤徹『M'UOAZ』(1995年)
ユーラシアン・エコーズ、金石出(1993、1994年)
ジョゼフ・ジャーマン 


オノセイゲン+パール・アレクサンダー『Memories of Primitive Man』

2018-06-16 09:35:40 | アヴァンギャルド・ジャズ

オノセイゲン+パール・アレクサンダー『Memories of Primitive Man』(Sony Music Labels、2015年)を聴く。

Seigen Ono オノセイゲン (sound)
Pearl Alexander (b)

てっきり、パール・アレクサンダーのコントラバスをサウンドでくるんだようなものかと思っていた。はじめは何の気なしに小さめの音量で流していたのだが、何かおかしい。あらためで音量を上げてみると、サウンドの宝物がそこかしこに転がされ並べられていた。

もちろんアレクサンダーのベースの表現力にもじっと聴き取るべきものが多い。深い弦の音もさることながら、チェロやヴァイオリンに聴こえる音もすべてコントラバスによるものだという。これらのハーモニクスや響きに耳をゆだねていると、コントラバスとは人間の楽器なのだなと思えてくる。

オノセイゲンの創り出すサウンドは洗練され、きめ細やかであり、まるで森林の中でさまざまな匂いや水蒸気を身体中に浴びているようだ。マナウスの熱帯雨林におけるフィールド録音や、女性の声や、ダンスのステップや、ナナ・ヴァスコンセロスのハイハットまでがミックスされている。本人のギターも良い。

いやこれは動悸動悸する。浄化されている気にさえなってくる。もっと良いオーディオ・システムで体感したい。

●パール・アレキサンダー
Marimba & Contrabass Duo @喫茶茶会記(2017年)
ジョン・ブッチャー@横浜エアジン(2013年)(欠席
バール・フィリップス+Bass Ensemble GEN311『Live at Space Who』(2012年)
齋藤徹による「bass ensemble "弦" gamma/ut」(2011年)


クリスチャン・マクブライド@Cotton Club

2018-06-16 07:50:36 | アヴァンギャルド・ジャズ

丸の内のコットンクラブで、クリスチャン・マクブライドの新グループ「New Jawn」(2018/6/15)。

Christian McBride (b)
Josh Evans (tp)
Marcus Strickland (ts, ss, bcl)
Nasheet Waits (ds)

クリスチャン・マクブライドのベースは実に愉し気によく鳴り、実に気持ちよくバンドを駆動する。騒がれたデビュー当時以降はさほど追いかけてもこなかったのだが、やはりマスターである。新グループはピアノ抜き、しかもメンバーはわりと強面。

ジョシュ・エヴァンスは熱いどジャズの人であり、Smallsで何度か観てとても気に入ったこともあり、その後、インタビューをした(>> JazzTokyo誌の記事)。このステージでは、自身のバンドでの熱さとは少し距離を置いている感があったけれど、模索しながらフレーズを繰り出してゆく様には嬉しくなってしまった。常によどみないわけではなく、ときにごつごつと躓く瞬間もあったのだがそれも個性。フレーズにセロニアス・モンク的な断片があって、伝統を重んじるかれらしいなと思っていると、モンクに捧げたオリジナル「Ballard for Ernie Washington」も演奏した(アーニー・ワシントンはモンクの仮名)。

ナシート・ウェイツは強く硬い感じで攻める。また、マーカス・ストリックランドはテナー中心で、ドライな音色とフレージング。もう少し色気とか艶とかあってもよさそうなものだ。しかしかれらであるからこそ、トニー・ウィリアムスのオリジナル「Arboretum」(『Foregin Introgue』に入っている曲)が、新生BNでのトニーの鮮烈なサウンドとはまるで違った雰囲気になった。

このグループのCDは数か月後に出るとのこと。楽しみである。

●クリスチャン・マクブライド
アレックス・ギブニー『ミスター・ダイナマイト ファンクの帝王ジェームス・ブラウン』(2014年)
オリン・エヴァンス『The Evolution of Oneself』(2014年)
デューク・エリントンとテリ・リン・キャリントンの『Money Jungle』(1962、2013年)
パット・メセニーの映像『at Marciac Festival』(2003年)
ジョー・ヘンダーソン『Lush Life』、「A列車で行こう」、クラウド・ナイン(1991年)

●ジョシュ・エヴァンス
ルイ・ヘイズ『Serenade for Horace』(-2017年)
ジョシュ・エヴァンスへのインタヴュー(2015年)
マイク・ディルーボ@Smalls(2015年)
ジョシュ・エヴァンス@Smalls (2015年)
ジョシュ・エヴァンス『Hope and Despair』(2014年)
フランク・レイシー@Smalls(2014年)
フランク・レイシー『Live at Smalls』(2012年)
レイモンド・マクモーリン『RayMack』、ジョシュ・エヴァンス『Portrait』(2011、12年)
ラルフ・ピーターソン『Outer Reaches』(2010年)

●マーカス・ストリックランド
マーカス・ストリックランド『Nihil Novi』(2016年)

●ナシート・ウェイツ
アーチー・シェップ『Tribute to John Coltrane』(2017年)
カート・ローゼンウィンケル@Village Vanguard(2015年)
デイヴィッド・マレイ feat. ソール・ウィリアムズ『Blues for Memo』(2015年)
トニー・マラビー『Incantations』(2015年)
デイヴィッド・マレイ・ビッグ・バンド featuring メイシー・グレイ@ブルーノート東京(2013年)
タールベイビー『Ballad of Sam Langford』(2013年)
ローガン・リチャードソン『Shift』(2013年)
トニー・マラビー『Adobe』、『Somos Agua』(2003、2013年)
デイヴィッド・マレイ『Be My Monster Love』、『Rendezvous Suite』(2009、2012年)
トニー・マラビー『Paloma Recio』(2008年)
ローガン・リチャードソン『Cerebral Flow』(2006年)


小田実、玄順恵『われ=われの旅 NY.ベルリン・神戸・済州島』

2018-06-16 06:46:29 | 思想・文学

小田実、玄順恵『われ=われの旅 NY.ベルリン・神戸・済州島』(岩波書店、1996年)を読む。

故・小田実と、パートナーの玄順恵との対話。それは第三者をまじえた私的なものであり、対話が実りあるために必要な緊張感はあまり感じられない。それでも、発言を追っていくとはっとさせられるところは少なくない。

たとえば。

●軍隊とは疑う余地なく悪いものなのか。結論がそうだとして、日本社会はそのことを思考するプロセスを経ないできたのではないか。ドイツのように、目をそむけることができないほど現実に戦争の痕がある社会とは異なったからではないか。また思考の逃げ場所として被害というものがあったのではないか。

●日本以外には、「政治」と「文学」との二元論・二元的対立の考え方はない。小田実が引用する誰かの言葉。「詩人はしょっちゅう詩を書いているわけじゃない。詩を書かないとき、詩人はただヒルネをしているのかね。デモ行進に行かないのかね。」

●被災の思想、共生、棄民。すべてが関連するものとして。軍事大国が侵略の歴史を経て生み出したものは、あまたの「難死」であり「棄民」であった。災害には何も手を差し伸べない国となった。一方で、得体の知れぬ人たちを含めた密度の濃い有機的な「共生」は、こちら側にある。

阪神淡路大震災の直後になされた対話である。当時、被災者たる在日コリアンの人々の脳裏には、関東大震災後のデマと虐殺がよぎったという(本書にもその指摘がある)。そして棄民化政策。たとえば東日本大震災でも同じことが繰り返され、日本社会は成熟どころか劣化を続けてきたのではないかとの思いにとらわれてしまう。

●小田実
佐藤真、小田実、新宿御苑と最後のコダクローム
小田実『中流の復興』


ノーム・チョムスキー『アメリカンドリームの終わり』

2018-06-15 07:21:42 | 北米

ノーム・チョムスキー『アメリカンドリームの終わり あるいは、富と権力を集中させる10の原理』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、原著2017年)を読む。

ノーム・チョムスキーのこれまでの発言に接してきたならば、何もいまになってその内容が変わっていたり特別に新奇なものが入っているわけではないことがわかる。しかし、あらためて驚くことがふたつある。

ひとつは、トランプ現象が必然であったように感じられることである。すなわち、金成隆一『ルポ トランプ王国―もう一つのアメリカを行く』においても実状がまとめられているように、「中流」の崩壊(=アメリカンドリームの崩壊)、製造業の衰退、排外主義をもたらしてしまう社会構造、それらにより鬱積した不満といったものが、トランプ政権誕生の原動力となった。そしてチョムスキーが指摘するのは、それは結果としての社会構造・産業構造の変化などではなく、「富める者がより富を蓄積するため」の意図された変化であったことである。

もうひとつは、訳者も言うように、この極端なアメリカという世界が「明日の日本」であること。この20年ほどで進められた政治のエリート独裁(民意を敢えて取り入れない仕組み)、抵抗手段の骨抜き、教育の高コスト化、市民を敢えて不安定な位置に置くという手段、医療の高コスト化、政界と財界とを行き来する「回転ドア」(特定の人物が思い浮かぶ)、実に狭い範囲での選択肢を演出することによる「合意の捏造」、・・・。おそらく現在の問題意識をもって読むと、むしろ、「今日の日本」であることが見出されるだろう。

まるで陰謀論本のような装丁にされていることが残念である。日本の問題をとらえなおすために広く読まれるべき本。

●ノーム・チョムスキー
ノーム・チョムスキー『我々はどのような生き物なのか ソフィア・レクチャーズ』(2015年)
ノーム・チョムスキー講演「資本主義的民主制の下で人類は生き残れるか」(2014年)
ノーム・チョムスキー+アンドレ・ヴルチェク『チョムスキーが語る戦争のからくり』(2013年)
ノーム・チョムスキー+ラリー・ポーク『複雑化する世界、単純化する欲望 核戦争と破滅に向かう環境世界』
(2013年)
ノーム・チョムスキー+ラレイ・ポーク『Nuclear War and Environmental Catastrophe』(2013年)
ノーム・チョムスキー『アメリカを占拠せよ!』(2012年)


大友良英+マッツ・グスタフソン@GOK Sound

2018-06-15 06:57:50 | アヴァンギャルド・ジャズ

吉祥寺のGOK Soundにおいて、大友良英、マッツ・グスタフソンのレコーディングライヴ(2018/6/14)。

Yoshihide Otomo (turntables, g, banjo)
Mats Gustafsson (bs, metal cl, fl, electronics) 

大友良英さんのプレイに直接接するのはいつ以来なのだろう、おそらく8年前にマドリッドでジョン・ブッチャーとのデュオを観て以来である。それ以降は企画や制作の側に立つ人というイメージだった。しかしこの日の生々しく間に何かを挟むことのないプレイを観ると、それは思い込みだったと感じさせられた。

ターンテーブルをふたつとギター、バンジョー。マッツ・グスタフソンの強すぎるほどの圧にまったく負けることはなく、レコード盤を楔のように攻める。またギターを別の楽器として操るというよりも、ターンテーブルと連続的につながっている音響を作りだしていた。強度とともに巧みさもあった。

マッツ・グスタフソンはパワープレイなのだが、それは遮二無二エネルギーを放出するものではない。両足を広げて立ち、全身でむしろ軽やかにバランスを取りながら吹く。エレクトロニクスさえ、その肉体のダンスのひとつとして操っている。フルートによる切れ切れの音は、ウルトラセブンがアイスラッガーを飛ばすような勢いと短さのものだったのだが、やはり、身体の挙動のひとつとして位置づけられた。メタル・クラリネットはフルートに自分でマウスピースを付けたものであり(と、演奏後にマッツが説明してくれた。昔からやっている、珍しくもない、と)、その音色の多彩さはまた面白いものだった。スタンドに付けてそれごと吹くということさえもやった。

レコーディングだからなのか、ひとつひとつの試みに基づく曲は短く、ショーケース的なライヴでもあった。濃淡あれすべて両者が噛み合っていた。作品として改めて聴くのが楽しみである。

●大友良英
阿部芙蓉美『EP』(2014年)
ペーター・ブロッツマンの映像『Concert for Fukushima / Wels 2011』(2011年)
ジョン・ブッチャー+大友良英、2010年2月、マドリッド(2010年)
井上剛『その街のこども 劇場版』(2010年)
『その街のこども』(2010年)
大友良英+尾関幹人+マッツ・グスタフソン 『ENSEMBLES 09 休符だらけの音楽装置展 「with records」』(2009年)
サインホ・ナムチラックの映像(2008年)
大友良英の映像『Multiple Otomo』(2007年)
『鬼太郎が見た玉砕』(2007年)
原みどりとワンダー5『恋☆さざなみ慕情』(2006年)
テレビドラマ版『クライマーズ・ハイ』(2003年)

●マッツ・グスタフソン
マッツ・グスタフソン+クレイグ・テイボーン『Ljubljana』(2016年)
ザ・シング@稲毛Candy(2013年)
マッツ・グスタフソン+サーストン・ムーア『Vi Är Alla Guds Slavar』(2013年)
ピーター・エヴァンス+アグスティ・フェルナンデス+マッツ・グスタフソン『A Quietness of Water』(2012年)
ペーター・ブロッツマンの映像『Concert for Fukushima / Wels 2011』(2011年)
ペーター・ブロッツマンの映像『Soldier of the Road』(2011年)
大友良英+尾関幹人+マッツ・グスタフソン 『ENSEMBLES 09 休符だらけの音楽装置展 「with records」』(2009年)
マッツ・グスタフソンのエリントン集(2008年) 


Zhu Wenbo、Zhao Cong、浦裕幸、石原雄治、竹下勇馬、増渕顕史、徳永将豪@Ftarri

2018-06-14 23:17:27 | アヴァンギャルド・ジャズ

水道橋のFtarri(2018/6/13)。大人数だが、北京からZhu WenboとZhao Congのふたりが来日しており、かれらを中心としたギグということになるだろうか。

■ 石原雄治+竹下勇馬+浦裕幸

Yuji Ishihara 石原雄治 (ds)
Yuma Takeshita 竹下勇馬 (electro b)
Hiroyuki Ura 浦裕幸 (composition, etc.)

Zhu Wenboが運営するカセットテープのみのレーベル「Zoomin' Night」より、この3人が新たな作品を出している。それを記念しての演奏である。(なおこのレーベルから出されたカセットテープには興味深いものがあり、順次聴くつもりである。)

浦裕幸のコンポジションは、どうやら通常のスコアではなくテキストによる指示などで構成されている(未確認)。かれらは1枚ずつそれをめくっては演奏を行う。演奏の連続性は分断され、また、次に進むまでの時間間隔(つまり、楽譜をめくって演奏するまでの合間)も、かなり自然体でなされるがままに決定されている。この分断とその都度の曖昧な音楽の生起が、そもそも奇妙であやうい合意に基づくものであることに気付かされるものだった。

■ Zhao Cong+徳永将豪+増渕顕史

Zhao Cong (electronics, etc.)
Masahide Tokunaga 徳永将豪 (as)
Takashi Masubuchi 増渕顕史 (g)

はじめに、「予め演奏時間を定めない」ことだけが合意された。

ここでは三者の役割分担が明確なようにも見えた。すなわち、徳永将豪のアルトのロングトーンによる引き伸ばされた時間、何かに依拠することを拒むような増渕顕史のギターによる時間の分断。そして、Zhao Congは扇風機や回転するモノといった近しい人為を増幅し、エーテルを創出し、サウンドを絶えず過去のもものとして括ることを許さない。しかしそれでいて、演奏となると相互に侵犯しあう局面が確かにあった。

終息が見えたときに、増渕さんはそれまで独立的な音を出していたのだが、終息か収束としか思えない音の連なりを発した。その後に実際に演奏が終わるまでの短い間、次の音は出そうとして出さなかった。これは意図的なものだったか。

■ 全員

Zhu Wenbo (composition, cl, etc.)
Zhao Cong (electronics, etc.)
Masahide Tokunaga 徳永将豪 (as)
Takashi Masubuchi 増渕顕史 (g)
Yuji Ishihara 石原雄治 (ds)
Yuma Takeshita 竹下勇馬 (electro b)
Hiroyuki Ura 浦裕幸 (misc.)

Zhu Wenboの曲を全員で演奏。何が協議されたのか不明だが、事前に合意と取り決めがなされたようである。

Zhuは小さな電子部品による音やクラリネット演奏も行った。クラは循環呼吸も用いた。また作曲にどのように各演奏者の自由度が与えられているのか不明だが、制約とは矛盾しない形で、かなり大きかったのではないか。その結果、各人の発する音は、インタラクション的なものを拒み(拒むという自由)、普通に変わらない音で出すというものに聴こえた。それは普通のことではないから非常に面白く進行した。

Fuji X-E2、Xf35mmF1.4

●Zhao Cong、Zhu Wenbo
Zhao Cong、すずえり、滝沢朋恵@Ftarri(2018年)
『Ftarri 福袋 2018』(2017年)

●浦裕幸
徳永将豪+中村ゆい+浦裕幸@Ftarri(2017年)

●石原雄治
石原雄治+山崎阿弥@Bar Isshee(2018年)
TUMO featuring 熊坂路得子@Bar Isshee(2017年)
窓 vol.2@祖師ヶ谷大蔵カフェムリウイ(2017年)
『《《》》 / Relay』(2015年)
『《《》》』(metsu)(2014年)

●竹下勇馬
高島正志+河野円+徳永将豪+竹下勇馬@Ftarri(2018年)
TUMO featuring 熊坂路得子@Bar Isshee(2017年)
竹下勇馬+中村としまる『Occurrence, Differentiation』(2017年)
二コラ・ハイン+ヨシュア・ヴァイツェル+アルフレート・23・ハルト+竹下勇馬@Bar Isshee(2017年)
『《《》》 / Relay』(2015年)
『《《》》』(metsu)(2014年)

●徳永将豪
高島正志+河野円+徳永将豪+竹下勇馬@Ftarri(2018年)
クレイグ・ペデルセン+エリザベス・ミラー+徳永将豪+増渕顕史+中村ゆい@Ftarri(2017年)
Shield Reflection@Ftarri(2017年)
窓 vol.2@祖師ヶ谷大蔵カフェムリウイ(2017年)
徳永将豪『Bwoouunn: Fleeting Excitement』(2016、17年)
徳永将豪+中村ゆい+浦裕幸@Ftarri
(2017年)

●増渕顕史
クレイグ・ペデルセン+エリザベス・ミラー+徳永将豪+増渕顕史+中村ゆい@Ftarri(2017年)
杉本拓+増渕顕史@東北沢OTOOTO(2017年)
Spontaneous Ensemble vol.7@東北沢OTOOTO(2017年)


ミシェル・ンデゲオチェロ『Ventriloquism』

2018-06-11 16:26:30 | ポップス

ミシェル・ンデゲオチェロ『Ventriloquism』(Naïve、2018年)を聴く。

80-90年代のR&Bやポップスのカヴァー集であり、ひとつずつ、オリジナルと聴き比べてみる(こういったときにパソコンでCDと原曲の動画検索を切り替えられるのは便利だな)。

ジョージ・クリントンの「Atomic Dog」とか、ティナ・ターナーの「Private Dancer」とか、シャーデーの「Smooth Operator」とか、ちょっと意外な選択もある。しかしどれも、最低限の楽器の伴奏とともに、しっとりと艶やかなンデゲオチェロの歌になっている。なかでもプリンスの「Sometimes It Snows in April」にはやられてしまった。揺蕩うようなサウンドの中で、ンデゲオチェロが心の底にたまった澱をかき集めていくようで、じっと聴いていると涙腺がゆるんでくる。

この歌手としての成熟。落ち着いた雰囲気のクラブでライヴを観たい(前回のビルボードはどうも・・・)。

●ミシェル・ンデゲオチェロ
ミシェル・ンデゲオチェロ@ビルボードライブ東京(2017年)
マーカス・ストリックランド『Nihil Novi』(2016年)
テリ・リン・キャリントン『The Mosaic Project: Love and Soul』(2015年)
ミシェル・ンデゲオチェロ『Comet, Come to Me』(2014年)
ニーナ・シモンの映像『Live at Ronnie Scott's』、ミシェル・ンデゲオチェロ『Pour une ame souveraine』(1985、2012年)
ミシェル・ンデゲオチェロの映像『Holland 1996』(1996年)


アレサ・フランクリンの5枚組

2018-06-11 12:32:30 | ポップス

入院するにあたりいろいろCDも持ち込んだ。その中に、数年前になんとなく買っておいたアレサ・フランクリンの5枚組。

『I Never Loved a Man the Way I Love You』(1967年)
『Lady Soul』(1968年)
『Aretha Now』(1968年)
『Spirit in the Dark』(1970年)
『Aretha Live at Fillmore West』(1971年)

ヒットした名盤ばかりであり何を言うのでもないのだが、やはり、何を聴いてもアレサは素晴らしいな。

特に、フィルモア・ウェストにおけるライヴ盤。『It Never...』と同じくオーティス・レディングの「Respect」から入り、がんがん盛り上げていく。メンバーも凄い。キング・カーティス、コーネル・デュプリー、バーナード・パーディ。アレサはフェンダーローズも弾く。終盤にはレイ・チャールズ登場。いやー凄い。アナログも欲しい。

●アレサ・フランクリン
ハーレム・スタジオ美術館再々訪(2017年)
ハンク・クロフォードのアレサ・フランクリン集
(1969年)


ジョン・ブッチャー+ジノ・ロベール『Bottle Breaking Heart Leap』

2018-06-10 09:00:00 | アヴァンギャルド・ジャズ

ジョン・ブッチャー+ジノ・ロベール『Bottle Breaking Heart Leap』(2013年)を聴く。

Gino Robair (energised surfaces, blipoo box)
John Butcher (sax)

1997年から続けられているという、ジョン・ブッチャーとジノ・ロベールとのコラボレーションのひとつ。わたしはこれまでに、デレク・ベイリーを含めた3人で吹き込んだ『Scrutables』(2000年)と、dieb13が参加してやはり3人で共演した、The Open Secret『A Geography For Plays』(2014年)を聴いた。本盤は時期的にはその間である。

本盤の印象は、ブッチャーがロベールの放つさまざまな音にあわせて変身・変貌を続けるというよりは、対等なパートナーとしてサックスで絡み合っているというところだ。ブッチャーのテクはいつも通りであり、生音も増幅音もじっと悦びに耐えるようにして受け取るものばかりである。15分前後の共演が2つ、その後半ではロベールの「blipoo box」だろうか、パーカッション音が多くなりより活発となっている。

そして即興音楽としては、明らかに、NYのノイズ/アヴァン(や音響派)のように次々に己の持てるものを開陳し、暴き、裁いてもらうものとは明らかに異なっている。それは欧州との精神の違いによるものかもしれないが、そこまで言うと雑だろう。ただ、サウンドの展開する時間間隔が長く、ひとつひとつの音も大きなうねりに至るためのものとしてとらえられているような雰囲気がある。

このコラボレーションはぜひナマで目撃してみたいものだ。

●ジョン・ブッチャー
ジョン・ブッチャー+ジョン・エドワーズ+マーク・サンダース『Last Dream of the Morning』(2016年)
歌舞伎町ナルシスの壁(2016年)
ジョン・ブッチャー+高橋悠治@ホール・エッグファーム(2015年)
鈴木昭男+ジョン・ブッチャー『Immediate Landscapes』(2006、15年)
ジョン・ブッチャー+ストーレ・リアヴィーク・ソルベルグ『So Beautiful, It Starts to Rain』(2015年)
The Open Secret『A Geography For Plays』(2014年)
ジョン・ブッチャー+トマス・レーン+マシュー・シップ『Tangle』(2014年)
ロードリ・デイヴィス+ジョン・ブッチャー『Routing Lynn』
(2014年)
ジョン・ブッチャー@横浜エアジン(2013年)
ヨアヒム・バーデンホルスト+ジョン・ブッチャー+ポール・リットン『Nachitigall』(2013年)
ジョン・ブッチャー+大友良英、2010年2月、マドリッド(2010年)
ジョン・ブッチャー+マシュー・シップ『At Oto』(2010年)
フレッド・フリス+ジョン・ブッチャー『The Natural Order』(2009年)
ジョン・ブッチャー『The Geometry of Sentiment』(2007年)
デレク・ベイリー+ジョン・ブッチャー+ジノ・ロベール『Scrutables』(2000年)
『News from the Shed 1989』(1989年)

ジョン・ラッセル+フィル・デュラン+ジョン・ブッチャー『Conceits』(1987、92年) 


コーリー・スマイス+ピーター・エヴァンス『Weatherbird』

2018-06-10 07:08:56 | アヴァンギャルド・ジャズ

コーリー・スマイス+ピーター・エヴァンス『Weatherbird』(More and More / Tundra、2015年)を聴く。

Cory Smythe (p)
Peter Evans (tp, piccolo tp)

かつてルイ・アームストロングとアール・ハインズがデュオで演奏した「Weatherbird」を最初と最後に配置したアルバム。それらにはやはり伝統へのリスペクト感や帰属の嬉しさのようなものがある。もともとはクラシック畑のコーリー・スマイスと、完璧なトランペット演奏技術を持つピーター・エヴァンスであるだけに、ああ、こんなことは出来て当然なんだなというところだろう。

それらの間に差し挟まれた4曲は面白くて、リズムやパターンを連続的・現代的に発展させた変奏的なもの、インプロ界への突入の可能性を示唆して寸止めで戻るもの、ちょっとしたショーケースである。エヴァンスの音色の豊かさにはここでも驚かされる。ピッコロ・トランペットを使っているのだろうか、クラリネットに聴こえるような時間もある。

それでも、終始リラックスムード。悪くない。

●コーリー・スマイス
ネイト・ウーリー『Argonautica』(2014年)

●ピーター・エヴァンス
ピーター・エヴァンス+ウィーゼル・ウォルター『Poisonous』(2018年)
マタナ・ロバーツ「breathe...」@Roulette(2017年)
Pulverize the Sound、ケヴィン・シェイ+ルーカス・ブロード@Trans-Pecos(2017年)
ピーター・エヴァンス『House Special』(2015年)
Pulverize the Sound@The Stone(2015年)
Rocket Science変形版@The Stone(2015年)
エヴァン・パーカー US Electro-Acoustic Ensemble@The Stone(2015年)
トラヴィス・ラプランテ+ピーター・エヴァンス『Secret Meeting』(2015年)
ブランカート+エヴァンス+ジェンセン+ペック『The Gauntlet of Mehen』(2015年)
エヴァン・パーカー ElectroAcoustic Septet『Seven』(2014年)
MOPDtK『Blue』(2014年)
チャン+エヴァンス+ブランカート+ウォルター『CRYPTOCRYSTALLINE』、『Pulverize the Sound』(2013、15年)
PEOPLEの3枚(-2005、-2007、-2014年)
ピーター・エヴァンス『Destiation: Void』(2013年)
ピーター・エヴァンス+アグスティ・フェルナンデス+マッツ・グスタフソン『A Quietness of Water』(2012年)
『Rocket Science』(2012年)
MOPDtK『(live)』(2012年)
ピエロ・ビットロ・ボン(Lacus Amoenus)『The Sauna Session』(2012年)
ウィーゼル・ウォルター+メアリー・ハルヴァーソン+ピーター・エヴァンス『Mechanical Malfunction』(2012年)
ピーター・エヴァンス+サム・プルータ+ジム・アルティエリ『sum and difference』(2011年)
ピーター・エヴァンス『Ghosts』(2011年)
エヴァン・パーカー+オッキュン・リー+ピーター・エヴァンス『The Bleeding Edge』(2010年)
ピーター・エヴァンス『Live in Lisbon』(2009年)
MOPDtK『The Coimbra Concert』(2010年)
ウィーゼル・ウォルター+メアリー・ハルヴァーソン+ピーター・エヴァンス『Electric Fruit』(2009年)
オッキュン・リー+ピーター・エヴァンス+スティーヴ・ベレスフォード『Check for Monsters』(2008年)
MOPDtK『Forty Fort』(2008-09年) 


ジョイス・キャロル・オーツ『とうもろこしの乙女、あるいは七つの悪夢』

2018-06-09 19:34:40 | 北米

ジョイス・キャロル・オーツ『とうもろこしの乙女、あるいは七つの悪夢』(河出文庫、原著1996-2011年)を読む。

読む前からわかってはいたようなものだが、やはり、気持ちが悪く、とても怖い。いやタイトルからはもうちょっとファンタジックなジュヴナイルかなとも思ったのだが、違った。気持ちが悪く、とても怖い。

本書にはタイトル通り7つの短編が収録されている。少女たちによる少女誘拐監禁。性犯罪を犯した義父への復讐。何でも知っている不吉な猫。立派で邪悪な兄と不健康でアーティストになった弟の双子。立派に見せかけることが天才的で邪悪な兄を呪う双子の弟。未亡人と、アメリカの戦争ですべてを失なった男との救いようのない話。整形外科医の破滅。 

どれも読んでいて怖くてやめたいのだがやめられない。翻訳者によれば、オーツはプロット重視ではなく心の動きを中心に描き出すアメリカ短編小説作家の系譜に連なるという(もちろん長編小説もたくさん書いている)。最後の短編で整形外科医が悪夢的にわけのわからない領域に突入する描写なんてまさに心の地獄、圧倒的。

でも怖いの苦手だからしばらくオーツは読まないけんね。あっまだ何冊か積んであった。 

●ジョイス・キャロル・オーツ
ジョイス・キャロル・オーツ『Daddy Love』(2013年)
ジョイス・キャロル・オーツ『Evil Eye』(2013年)
ジョイス・キャロル・オーツ『アグリーガール』(2002年)
林壮一『マイノリティーの拳』、ジョイス・キャロル・オーツ『オン・ボクシング』(1987年)
ジョイス・キャロル・オーツ『Solstice』(1985年)
ジョイス・キャロル・オーツ『エデン郡物語』(1966-72年)


マット・ミッチェル『Fiction』

2018-06-09 07:20:31 | アヴァンギャルド・ジャズ

マット・ミッチェル『Fiction』(Pi Recordings、-2013年)を聴く。(ミッチェルがツイッターで最近自薦していて知った。)

Matt Mitchell (p)
Ches Smith (ds, perc, vib)

形はシンプルなデュオなのだが、拡がりは形を超えている。

ミッチェルのピアノは現代音楽的なものであり、より大きなジャズのバンドにいるよりもその側面を押し出しているように聴こえる。はじめはチェス・スミスのドラムスとの共演で、ジャズの法則に縛られない雲の中において、お互いに触手を四方八方に伸ばし続ける。名手たちの優雅な空中遊泳のようでもある。もちろん衝突することはない。

5曲目の「Wanton Eon」において、スミスはヴァイブに切り替え、音風景がさらりと転換される。脳内の響きがとても嬉しい。次の「Dadaist Flu」ではまたドラムスに戻るのだが、ヴァイブを重ねたりもする。そしてその後は両者を平等に使う。ティム・バーンのSnakeoilにおいても、スミスはドラムスとヴァイブを同時かつ公平に(単に両方を、ではなく)使っており、このあたりにスミスの音の独自性を見出せるのでないか。

大きくふわりふわりと拡張も縮小もする素晴らしいサウンド。

●マット・ミッチェル
ティム・バーン+マット・ミッチェル『Angel Dusk』(2017年)
マット・ミッチェル『A Pouting Grimace』(2017年)
2017年ベスト(JazzTokyo)
ティム・バーン Snakeoil@Jazz Standard(2017年)
マリオ・パヴォーン『chrome』(2016年)
クリス・デイヴィス『Duopoly』(2015年)
マット・ミッチェル『Vista Accumulation』(2015年)
ティム・バーン『Incidentals』(2014年)
マリオ・パヴォーン『Blue Dialect』(2014年)
ティム・バーン『You've Been Watching Me』(2014年)
ティム・バーン『Shadow Man』(2013年)

●チェス・スミス
マーク・リボー(セラミック・ドッグ)『YRU Still Here?』(-2018年)
ティム・バーン Snakeoil@Jazz Standard(2017年)
マット・ミッチェル『A Pouting Grimace』(2017年)
チェス・スミス『The Bell』(2015年)
メアリー・ハルヴァーソン『Away With You』(2015年)
ティム・バーン『Incidentals』(2014年)
ティム・バーン『You've Been Watching Me』(2014年)
ティム・バーン『Shadow Man』(2013年)
チェス・スミス『International Hoohah』(2012年) 


アダム・オファリル『El Maquech』

2018-06-08 10:38:24 | アヴァンギャルド・ジャズ

アダム・オファリル『El Maquech』(Biophilia Records、-2018年)を聴く。

Adam O’Farrill (tp)
Chad Lefkowitz-Brown (ts)
Walter Stinson (b)
Zach O’Farrill (ds)

アダム・オファリルはブルックリン生まれだがルーツはキューバの音楽家系。最近では、メアリー・ハルヴァーソンのバンド「Code Girl」において、アンブローズ・アキンムシーレの代わりに参加することもある。

そのふたりのトランぺッターを比較すると、アキンムシーレには翳りのようなものがあり、知性によって絶妙なバランスで自己の露出を切り詰めているような印象がある。それに対して、オファリルはより柔軟度が幅広く、その間合いによって音色をコントロールしているように聴こえる。そして艶やかであり、かなり魅力的だ。

他のバンドメンバーも同様に柔軟に変拍子とともに音を柔軟に変更し続けていて、オファリルとの相乗効果がある。タイトル曲にはアフロラテンのテイストがある。しかし、他では抑制もするし、躍り出しそうな局面もあったりもする。

他のアルバムも聴いてみよう。未聴だが、ルドレシュ・マハンサッパのバンドにも参加している。