「本屋さんのダイアナ」柚木麻子
以前、「王妃の帰還」を読んだが、
それと同じか、それ以上に面白かった。
大穴(ダイアナ)」という名前のせいで、クラスでからかわれ、孤立するダイアナだったが、
小学生の時、同じクラスの彩子と仲良くなり、親友となる。
ところが、ちょっとした行き違いから絶交状態となる。
すぐ元に戻ると思われたが、私立の中学に受験した彩子と、
公立の中学、高校と進んだダイアナは、すれ違ってしまう。
お互い気になりながらも10年の歳月が流れる。
それぞれの家庭の事情を描きながら、
過去も明らかになっていく。
なぜ名前がダイアナなのか?
以下、ネタバレ有り、未読の方ご注意。
P246
「みんながみんな、アンみたいに飛び立てるわけじゃない。ほとんどの女の子は村で生きていく。脇役のダイアナこそが多くの女の子にとって等身大で、永遠の“腹心の友”足るべき存在だから・・・・・・。アンみたいに変わった女の子があの小さな村で受け入れられたのは、ダイアナが親友になったからだと僕は思っている。アンの良いところをダイアナは自然と引き出してあげたんだ」
これは、重要なメッセージである。
言われてみると、そうかもしれない。
村岡花子さん訳「アンの愛情」(ポプラ社)巻末の解説。P242
〈この本のなかでは、アンにも親友のダイアナにも、いろいろな変化がおこります。アンが大学へ入学するのにたいして、ダイアナは静かに家庭にいて、娘としての教養を身につけます。したしい友が村をはなれて、新しい大学生活にはいっていっても、ダイアナは、それをさけられない現実として受けいれ、彼女は自分自身の道を進んでいきます。それでいながら、アンとの友情は、けっして変わることがありません。これが、ほんとうの友情というものではないでしょうか。(後略)〉
PS
第151回の直木賞候補作もである。
(結局、黒川博行さんの「破門」が選ばれた)
私は、「本屋さんのダイアナ」の方が面白い、感じた。
【蛇足】
「アン・シリーズ」ファンなら、ご存じだろうか・・・著者のモンゴメリは自殺した、とも言われている。
あれだけ、少女たちに夢を与えながら、本人は“鬱病で自殺”・・・。(悲しすぎる)
私は、アンのキャラクターに、どうしてもなじめない。
読み進むに従って、違和感は大きくなる。
(理解はできるが、近づきたくないと思ってしまう)
著者とダブってしまうためだろうか?
【瑕疵】
敢えて欠点を言うと、ダイアナとはっとりさんが初めて会うシーン。(P228)
ダイアナは母にそっくりのはず。
しかも、ダイアナは自分の娘。
かつての母の担任・高柳先生でさえダイアナを見て「矢島……矢島有香子!?」と驚いたほど。」(P63)
だのに、はっとりさんは、ダイアナを見ても何とも感じない。
これは少しおかしくないか?
【参考リンク】
「王妃の帰還」柚木麻子
【ネット上の紹介】
私の呪いを解けるのは、私だけ――。すべての女子を肯定する、現代の『赤毛のアン』。「大穴(ダイアナ)」という名前、金色に染められたバサバサの髪。自分の全てを否定していた孤独なダイアナに、本の世界と彩子だけが光を与えてくれた。正反対の二人だけど、私たちは一瞬で親友になった。そう、“腹心の友”に――。自分を受け入れた時、初めて自分を好きになれる! 試練を越えて大人になる二人の少女。最強のダブルヒロイン小説。