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「シズコさん」佐野洋子

2018年06月06日 20時59分54秒 | 読書(エッセイ&コラム)

「シズコさん」佐野洋子

2008年4月に新潮社から刊行された作品。
シズコさんとは、著者の母親のこと。
母との確執、自責、贖罪、和解を描いている。
佐野洋子作品のなかでもっとも重要な作品、と感じた。

P7
四歳位の時、手をつなごうと思って母さんの手にいれた瞬間、チッと舌打ちして私の手をふりはらった。私はその時、二度と手をつながないと決意した。

P10
自分の家、父さんが死んだあと自分で建てた家をたった一人の息子の嫁に追い出されて来てたのだ。

P21
女の一生は、見栄と自慢を心棒にして、互いにそしらぬ顔をして社交するものなのだろうか。

晩年、著者は母を連れてヨーロッパ旅行に行く。
P32
終点はパリだった。ホテルはリッツだった。リッツは日本人のバスは裏口から入れるときいていたが本当だった。(リッツって、金は欲しいけど、日本人は泊めたくないんでしょうね)

P69
多分同じ自分の子でも合性のいい子と悪い子がいるのだろう。始めから合性が悪かったのだ。

P75
母は人に質問したり子供の話を聞いたりしなかった。命令だけした。その指令が母の希望通りにならないと凶暴になった。

P154
私は母を好きになれないという自責の念から解放された事はなかった。18で東京に出て来てからずっと、家で母に優しく出来ない時も一瞬も自責は私の底を切れる事のない流れだった。罪であるとも思った。

P166
民主主義は忍耐も従順もうばった。家族という一つの丸かった団子が、小さな団子に分裂した様になってしまった。

P178
家族とは非情な集団である。
他人を家族のように知りすぎたら、友人も知人も消滅するだろう。

P217
神様、私はゆるされたのですか。
神様にゆるされるより、自分にゆるされる方がずっと難しい事だった。

【おまけ】…「夕暮れへ」齋藤なずなより

「あの人いくつになっても女、やめたくなかったのよ!そういう母親もった娘って――
マンガ描いたり文章書いちゃったりするみたいね とかく」
「佐野洋子さんも嫌ってたんですよね お母さんのことすっごく」
「誰?」
「『百万回生きた猫』っていう絵本描いた人 有名よ」
「ふーん…」
「でも、洋子さんは最後に涙の和解するのよね ボケてすっかり可愛いおバァちゃんになっちゃった母親と」

【ネット上の紹介】
四歳の頃、つなごうとした手をふりはらわれた時から、母と私のきつい関係がはじまった。終戦後、五人の子を抱えて中国から引き揚げ、その後三人の子を亡くした母。父の死後、女手一つで家を建て、子供を大学までやったたくましい母。それでも私は母が嫌いだった。やがて老いた母に呆けのきざしが―。母を愛せなかった自責、母を見捨てた罪悪感、そして訪れたゆるしを見つめる物語。