「置き去り サハリン残留日本女性たちの六十年」吉武輝子
地上戦が行われたのは、沖縄だけ、と思っていないだろうか?
サハリン(樺太)でも、地上戦が行われ、民間人の多くが亡くなっている。
生き残った日本人も、「事情」により、引き揚げが適わなかった。
現地に行って取材し、多くの当事者に話を聞き、埋もれた史実を掘り起こしたのが本書である。
P19
「満鉄」の初代総裁は台湾の民政長官だった後藤新平。この後藤新平が、満州への移民政策の発案者で、政府にも積極的に働きかけたが、後藤新平が構想の見本としたのはイギリスがインドを支配するために設立した「東インド会社」だった。
P170
8月15日の玉音は、停戦せよとの内部向けの命令であって、国会の議決も経ていない。それを受けて8月26日、占領軍が日本に進駐したが、9月2日、正式に降伏調印式が行われるまでの間は、あくまでも戦闘状態の一時中止であり、平和は確定していなかったのである。(中略)
ちなみに韓国は9月2日を独立記念日にしている。米国もロシアも日本に対する戦勝記念日は9月2日である。(この認識の誤差により、多くの悲劇が発生している)
【ネット上の紹介】
歴史の闇に埋もれた女たちの衝撃の証言!サハリン、韓国、日本の現地取材による渾身のドキュメント。
序章 歴史の闇の中に放置された人びとを訪ねる―サハリン残留日本女性の真実
第1章 戦後四十年、鉄のカーテンに封じ込められて―日本人であることを隠して生きた女性たち
第2章 子どもを投げては帰れません―国籍が分けた運命の明暗
第3章 ああ北緯五〇度。国境の町に立って―苛烈を極めた日ソ国境線の跡は今も
第4章 国がやらないならサハリンが故郷の自分たちでやる!―同志で立ち上げた手づくりの「日本サハリン同胞交流協会」
第5章 戦争は終わってはいなかった!―玉音放送の五日後に起こった惨劇
第6章 北海の藻屑と消え散った四〇〇〇人の命―待ち望んだ母国の山野を目前にして
第7章 二つの国と三つの名前に引き裂かれた人生―韓国に帰ったサハリン残留日本女性を訪ねて
第1章 戦後四十年、鉄のカーテンに封じ込められて―日本人であることを隠して生きた女性たち
第2章 子どもを投げては帰れません―国籍が分けた運命の明暗
第3章 ああ北緯五〇度。国境の町に立って―苛烈を極めた日ソ国境線の跡は今も
第4章 国がやらないならサハリンが故郷の自分たちでやる!―同志で立ち上げた手づくりの「日本サハリン同胞交流協会」
第5章 戦争は終わってはいなかった!―玉音放送の五日後に起こった惨劇
第6章 北海の藻屑と消え散った四〇〇〇人の命―待ち望んだ母国の山野を目前にして
第7章 二つの国と三つの名前に引き裂かれた人生―韓国に帰ったサハリン残留日本女性を訪ねて