「天秀尼の生涯」三池純正
駆込寺・東慶寺、中興の祖・天秀尼の生涯。
とは言え、資料はあまり残っていない。
どう料理するか、腕の見せどころ。
P57
この時代、武将は野戦などに出ると、その場、時々で現地の女性と関係をもった。
その中には梅毒に感染した女性もいたと思われ、徳川方の記録『当代記』にも、「加藤清正、浅野幸長、池田輝政らの武将が死んだのは好色に偏ったためで、浅野幸長など遊女を買い取っていた」とある。
P146
「千からお願いがございます。姫の命だけは、何としてもお助けいただきとうございます。そして、姫を私にいただけないでしょうか。千は姫をわが子といたしとうございます」
千は家康に哀願した。
(秀頼と側室の娘なので殺されてもおかしくないが、千姫の養女となったので、出家して生きることを許される。これが天秀尼の始まりである)
【ネット上の紹介】
大坂城落城によって滅亡した豊臣家―。実は、秀頼の実子泰姫が生き延びていた。泰姫は東慶寺で天秀尼となって仏法に帰依し、封建社会の江戸時代において、虐げられた女性の人権を守り、それを徳川幕府にまで認めさせた先駆者であった。そして、秀頼の実子としての誇りと、義母千姫の愛情を胸に、自身の宿命に真っ向から立ち向かっていった。宿命を使命にかえ、桜花のごとく生きた女性。東慶寺で寺法を守り抜き、女性の人権を守った先駆者、天秀尼の知られざる生涯。